終戦後、満洲では、ソ連兵が町で暴虐の限りを尽くすようになり、怯えて暮らす毎日を過ごしていたという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんですが、実際、ソ連兵に家に押し入られ、銃撃されるという、恐ろしい経験をしたといいます。
「森繁久彌は敗戦後満洲でソ連兵の暴虐に怯えて暮らしていた!」からの続き
ソ連兵に家に押し入られ銃撃されていた
ある晩のこと、奥さんがゴミを捨てようと裏口を開けると、その途端、ニューッと背の高いソ連兵が2人入って来て、
チャスイ・・・ダワイ チャスイ(時計をわたせ)
と、言ったそうで、
(時計はソ連兵が一番欲しいものだったそうです)
森繁さんが、
お前のはない。その代わりにこれをやる
と、台所でライターを出したそうですが、
ソ連兵はいきなりガーンとピストルをぶっ放したそうで、満州の家はレンガ造りだっため、弾がはねてガラス戸を破り、森繁さんは、思わず、ライターを落としてしまったそうです。
(キーンと耳鳴りがして、しばらくボーッとしたそうです)
ソ連兵は当初ライターを理解することができなかった
すると、ソ連兵は、森繁さんが落としたライターを指して、
チトー エート(何だ、これは)
を、連発したそうで、
森繁さんが、
スピーチカ(マッチ)だ
と、説明するも、ライターを見たことがないソ連兵には分かってもらえず、これが武器でないことを分かってもらえるまでに、30分以上もかかったのだそうです。
ただ、ようやく、ソ連兵が、ライターが素晴らしい文明の利器だと理解すると、他愛なく喜び、ポケットから札束を出して置き、そのまま出て行ったそうで、事なきを得たのだそうです。
(森繁さんは、以前、ソ連兵に家に押し入られた時、ソ連兵が電球のところへタバコを持っていって火をつけようとしていたのを見たそうで、ソ連兵の生活は、ランプ中心なのだろうと思っていたそうです)
日本人が日本人相手に商売を始めていた
また、その頃あたりから、男が道を歩いていると、ソ連兵に労役に引っ張り出され、そのまま2~3日、帰って来ない、という現象が起き始めたほか、
何かしなければ、食べていけないため、森繁さんの社宅では、まるで運動会の模擬店のように、課長がしるこ屋を、部長がうどん屋を、重役は一杯飲み屋を始めるなど、日本人が日本人を相手に、なけなしのお金をはたきあう、奇妙な商売が道を賑わし始めると、
それと同時に、公園の至る所に市が立つようになり、日本人女性も、満洲人の群れに混じって、自身の持ち物をより高く売ろうと、甲高い声を張り上げて売り始めたのだそうです。
(これは、引き揚げまで続いたそうですが、森繁さんは、いかに、日本人が分不相応の買いだめをしていたことが分かり、驚いたそうです)