新人リーグ戦が始まる1954年6月6日を前に、練習にも一層、熱が入り始めた頃、お父さんが危篤との報せを受け、大急ぎで自宅に帰った、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、臨終のお父さんに日本一のプロ野球選手になることを誓ったといいます。
「長嶋茂雄は新人リーグ戦前に父親危篤の報せを受け取っていた!」からの続き
臨終の父親の手をさすりながら呼びかけ続けた
お父さんが危篤との報せを受け、大急ぎで自宅に帰った長嶋さんは、何とかお父さんの臨終に間に合ったそうで、
父さん・・・
・・・しっかりしてよ
と、泣きじゃくりながら抱きついたそうですが、
お父さんはというと、遠い目で長嶋さんを見ていたそうで、
長嶋さんは、
ぼくだよ。茂雄だよ
と、夢中でお父さんの衰弱しきった手をさすりながら、呼びかけたそうです。
父親が死去
すると、お父さんの目に、一瞬、光がよみがえり、
シゲか・・・お前に、言うとくことがある・・・
と、言ったそうで、
長嶋さんが、必死でお父さんの二の腕をさすり続けながら、
しっかりしてよ。父さん・・・
と、呼びかけると、
お父さん:ああ。シゲよ。野球をやるなら・・・(苦しそうに息をついて)・・・野球やるなら、六大学一番の選手にならんといかんぞ。
長嶋さん:うん。
お父さん:・・・それから、プロ野球に入っても、シゲ、一番にならんといかんぞ。いいか。誰にも負けん、日本一のプロの選手になるんだぞ・・・
長嶋さん:・・・・
お父さん:シゲ・・・分かったな?
長嶋さん:うん
というやり取りがあり、
その後、お父さんは、長嶋さんの返事に安心したように目をつぶったそうで、その後、長嶋さんが何度「父さん!」と呼びかけても返事はなく、長嶋さんがさすり続けていたお父さんの二の腕は、みるみるうちに冷たくなっていったそうです。
それでも、長嶋さんは、また、お父さんが温かくなるのではと、必死になって手をさすり、足をさすったそうですが、お父さんは、二度と目を開かなかったそうです。
(お父さんは、最後の気力をふりしぼって、長嶋さんが帰ってくるのを待っていたのでした)
父親の墓前に日本一のプロ野球選手になることを誓う
ちなみに、長嶋さんは、著書「燃えた、打った、走った!」で、
ぼくは、泣いた。
体中の涙という涙がすっかりなくなってしまうまで、とめどなく泣いた。安らかなおやじの死に顔は、まだぼくに語りかけているような気がした。
茂雄、誰にも負けん、日本一のプロ野球選手になるんだぞ!
この世の中で、たったひとりの父親の死はショックだった。
ただの一度も、末っ子のぼくを叱ったことのない優しい父は、どんよりした梅雨空のもと臼井の長源寺に葬られた。
もう少し、せめてあと5年でもいい、生きていて欲しかった。ぼくはきっと父に、プロ野球選手としての晴れ姿を見せることができただろう。
線香の煙が、梅雨空にきえていく。
父の墓前にぬかずいて、ぼくは歯をくいしばって涙をこらえた。
もう泣かないぞ。親父、見ていてくれ。きっと日本一のプロ野球選手になってみせる。
と、綴っています。
「長嶋茂雄は父の死後は家計のため立教大中退(プロ入り)を考えていた!」に続く