1957年(大学4年生)の時、春のリーグ戦で通算7本塁打を放ち、あと1本で、当時の東京六大学リーグ史上、新記録になるという状況の中、マスコミの存在や周囲の目が気になって、なかなか思うようなバッティングができずにいたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、いよいよ勝てば優勝で、最終戦となる2回戦目を迎えます。

「長嶋茂雄は東京六大学野球ではマスコミの存在に苦しんでいた!」からの続き

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最終戦当日は弱気にならないよう自分自身に言い聞かせていた

東京六大学野球の秋のリーグ戦で、あと1勝すれば立教大学が優勝、長嶋さんにとっては、あと1本ホームランを打てば、東京六大学野球の新記録更新という状況の中、迎えた当日、1957年11月3日は祝日(文化の日)だったことから、神宮球場はたくさんの人で埋まっていたそうで、

長嶋さんは、

弱気になるなよ・・・

きょうの慶応のピッチャーがだれであれ、敵はむしろそのピッチャーではなく、自分自身だ

ひるんではいけない。負けるものか

などと、自分自身に言い聞かせていたそうです。

(バッティング練習が始まった時から、カメラは長嶋さんに集中したそうです)

緊張のあまり立教大学の打線は振るわずにいた

ただ、前日は6点も取っていたにもかかわらず、チームメイトは緊張のため、コチコチになり、打線はどうも振るわなかったそうで、

長嶋さんも例外ではなく、いくら自分に言い聞かせても、やはり、意識過剰になっていたのか、第1打席は、まるで他人がバットを振っているような感じだったそうです。

(一方、対戦相手の慶應義塾大学も、同様に緊張していたようで、4回を終わってもお互い、タイ・スコアだったそうです)

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チームメイトの太いタイ・カッブ型のバットを借りていた

そんな中、5回裏、長嶋さんに第2打席が回ってくると、長嶋さんは、ケースからバットを抜きだそうとした手を、ふとストップし、

(長嶋さんは、1956年、1年間で5本塁打を放ち、東京六大学新記録を作っていたのですが、その時の気持ちを思い出そうとしていたそうです)

おい、浅井、お前のバットを借りるぞ

と、長嶋さんのバットの隣に差し込んであった浅井さんのバットを抜き出したそうで、

これは、とっさの思いつきだったそうですが、浅井さんのバットはずんぐりと太い、タイ・カッブ型のバットで、長嶋さんの、握りの部分がとても細い、ヘッドが効いた長距離ヒッター用のバットとは、あまりにも感じが違うことに驚くも、その慣れない太いバットに全神経を集中したことで、不思議と、あれほど耳についていたカメラのシャッター音やジーッというアイモ撮影機の回転音が気にならなくなったのだそうです。

「長嶋茂雄はタイカッブバットで東京六大学新記録8本塁打を達成していた!」に続く

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