1957年11月3日、東京六大学野球の秋のリーグ戦で、勝てばチームは優勝、個人的には、あと1本ホームランを打てば、東京六大学の記録を更新するという状況で、緊張のあまりバッティングが振るわなかったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、そんな中、5回裏、第2打席が回ってきた際、チームメイトの浅井さんの太いタイカッブ型バットを借りると、これが功を奏し、ついに、5球目、インコース低めに食い込んだカーブをレフトスタンドにホームランし、東京六大学史上新記録となる8本塁打を達成します。
「長嶋茂雄は東京六大学最終戦では途中でタイカッブバットを借りていた!」からの続き
対戦相手の慶應義塾大学は新記録を作られないようボールを散らしてきた
優勝と新記録がかかった試合で緊張のあまりバッティングが振るわなかったという長嶋さんですが、5回裏、第2打席が回ってきた際、ふと、自身のバットの隣に差し込んであった、チームメイトの浅井さんのずんぐりと太いタイ・カッブ型のバットを借りて、バッターボックスに立つと、
一球目は、カーブでボール。
二球目は、ストレートだったそうですが、やはりボール。
三球目は、アウトコースぎりぎりのストレートで、バットを振ったそうですが、これはファウル。
四球目は、またアウトコースへのカーブで、これはボール一つ外れて、カウント1-3となったそうです。
5球目に勝負をかけていた
そんな中、長嶋さんは、対戦相手の慶大が新記録を作られることを嫌い、意識的に球を散らしてきているのが分かったそうですが、四球目の後、とっさに、
(慶大のピッチャーの林さんは)自分を歩かせないだろう。次の1球はかならずストライクを投げてくる。アウトコースかインコースか、それとも思い切って真ん中をついてくるか。
と、思い、次の1球で勝負しようと決めたそうで、
林さんの右腕が上がると、呼吸を整え、借り物のバットを握り直したそうです。
東京六大学野球の新記録8本塁打達成
すると、林さんが投げた5球目はインコース低めに食い込むカーブだったそうで、長嶋さんがその球を巻き込むようにして打ち返し、全身をバネのようにして駆け出すと、打球はレフトポールめがけて飛び、スタンドに入ったそうで、
長嶋さんが、観客席から上がるどよめきに包まれながらベースを回ると、サードを回る時には、コーチャーの柴田さんが顔をくしゃくしゃにして手を差し出し、ベンチのチームメイトたちは一斉に飛び出してきて、長嶋さんがホームを踏んだ瞬間、荒っぽい祝福をしてくれたそうで、長嶋さんは喜びに酔いしれたのだそうです。
また、ベンチの上の観客席からも祝福のテープが飛んできたそうで、それを手で引っ張りながら、しみじみと嬉しさを噛み締めつつ、お父さんが生きていたら、どんなに喜んでくれただろうと思ったそうです。
(お母さんは、この瞬間を、ラジオにかじりついて、涙を流しながら聴いていたそうです)
ちなみに、長嶋さんの神宮球場での通算成績は、96試合に出場し、87安打、打点38、打率は3割8分6厘で、2度の首位打者のタイトルを獲得するほか、1955年秋から連続4シーズン、ベストナインに選ばれています。