1964年、東京オリンピック開催に際し新聞社が企画した座談会で、コンパニオンを務めていた亜希子さんに一目惚れし、その後、猛アタックの末、結婚に至ったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、結婚後、亜希子さんには、男の職場に顔を出さないよう言っていたといいます。

「長嶋茂雄の妻との馴れ初めは?一目惚れだった!」からの続き

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妻・亜希子に「男の職場に顔出すな」と言っていた

長嶋さんは、結婚後、亜希子さんに、たった一つだけ注文をつけたそうですが、それは、「男の職場に顔出すな」ということだったそうで、そのため、亜希子さんは、その言葉を忠実に守り、長嶋さんの試合を観に行くことは滅多になく、主婦業と子育てに専念していたそうで、

長嶋さんは、このことについて、著書「燃えた、打った、走った!」で、

とにかくぼくは仕事場と家庭とに大ナタで断ち割ったような線を思い切って引くことに決めていた。ぼくは古い人間かもしれない。

男がひとたび自分の家を離れたら、妻子のことは考えるべきではない・・・なんて言うと、今どき笑われるかもしれない。が、ぼくにとっては本気なのである

と、綴っています。


燃えた、打った、走った!

妻・亜希子への取材を断っていた

また、長嶋さん自身も、亜希子さんについて公の場で語ることはほとんどなかったそうで、マスコミの人たちには悪いと思いつつも、夫婦揃っての取材や、亜希子さんだけの写真撮影などは、一切、受けなかったそうです。

ただ、長い付き合いのマスコミ関係者もいたことから、毎回すげなく断るわけにもいかず、例外的に、亜希子さんに取材を受けて欲しい時もあったそうで、

たまにはオレの顔をたてて、ちょっと頼むよ

と、亜希子さんにお願いすることもあったそうですが、

亜希子さんは、なかなか認めてくれなかったそうです。

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妻・亜希子は内助の功に徹していた

そんな亜希子さんは、長嶋さんが人生の節目において、大きな話題になった時でさえも(巨人のV9、引退、監督就任、挫折、脳梗塞など)、一切、表に出ていないのですが、

家では、長嶋さんの健康を考え、肉料理から魚料理中心に食事を切り替えるほか、6度目の首位打者となった1971年には、シーズン中ずっと、長嶋さんが眠るまで足腰をマッサージするなど、陰で長嶋さんをサポートしていたのだそうです。

(亜希子さんがマスコミで話題になったのは、亜希子さん自身が、2002年、環境省「環の国くらし会議」のメンバーになった時だけだそうです)

「長嶋茂雄の妻の死因が自殺と噂される理由とは?」に続く

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