1973年、高校3年生の夏の甲子園(第55回全国高等学校野球選手権大会)の初戦・柳川商業高等学校戦では、敵将・福田精一監督による「奇策」に苦戦し、延長15回を投げきり、作新学院を勝利に導いた、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、続く、2回戦の銚子商業高等学校戦でも延長戦となると、10回裏には、土砂降りの影響もあり、サヨナラ負けの大ピンチを迎えます。
「江川卓は高3の夏の甲子園では柳川商戦で奇策に苦戦を強いられていた!」からの続き
高校3年生の夏の甲子園2回戦(銚子商業高等学校戦)も延長線に突入していた
1973年、高校3年生の時、夏の甲子園(第55回全国高等学校野球選手権大会)で、1回戦の柳川商業高等学校戦では、敵将・福田精一監督の「奇策」により、苦戦を強いられ、延長15回、23奪三振で、なんとか振り切った江川さんですが、
2回戦の銚子商業高等学校戦でも、銚子商の土屋正勝投手(後に中日ドラゴンズ)の好投に味方(作新学院)打線が点を取ることができず、0対0のまま延長線に突入します。
銚子商業高等学校戦では延長10回裏のピンチを小倉捕手のブロックで切り抜けていた
すると、10回裏には、8回から降り始めていた雨が激しくなったそうで、江川さんは、四球を2つ出すなどで二死一、二塁のピンチを招くと、次の打者・長谷川選手に右前安打を打たれ、さらには、右翼手がこれをこぼしてしまい、この瞬間、「終わった」と思ったそうですが、
捕手の小倉(現・亀岡)選手が、ブロックで走者の本塁到達を遅らせるため、一か八か、ライン際に本塁ベースから三塁側へ3歩離れると、見事、ブロックが決まり、二塁走者の多部田選手をタッチアウトし、ピンチを切り抜けます。
(小倉選手は、この時、「これで勝てる。流れは完全にこちらにある」と思ったそうですが、一方、江川さんは、疲れにより、「えっ、まだやらなきゃいけないの」と思ったそうです)
銚子商業高等学校戦では延長12回裏に激しい雨となりサヨナラ負けのピンチを迎えていた
その後、0対0のままで迎えた12回裏、銚子商の攻撃が始まったのですが、その瞬間、バケツをひっくり返したような土砂降りとなったそうで、
(激しい雨に、大会本部は「12回で決着が着かなければ翌日に続きを行う」と発表し、打ち切りを検討していたそうです)
江川さんは、この強い雨で、ポケットに入れていたロージンが固まって、濡れたボールで手が滑り、四球、センター前ヒット、四球(敬遠)で、一死満塁となり、次の打者・長谷川選手のカウントも2ストライク3ボールとなり、絶体絶命のピンチとなってしまったのでした。
(しかも、長谷川選手には、この試合、2本のヒットを許していました)
「江川卓は高校時代最後の1球は渾身のストレートを投げていた!」に続く
1973年夏の甲子園大会・銚子商業高等学校戦で熱投する江川さん。