2020年、カルビーとロッテが共同設立した「おかしな研究所」のCMで芸能界デビューすると、2021年には、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」のヒロイン・ジュリエット役で女優デビューを果たした、天翔愛(てんしょう あい)さんですが、実は、少女時代は、お父さんの藤岡弘、さんから、「父親が藤岡弘、だと言ってはいけない」と厳しく言われて育ち、きつい思いをしていたといいます。
今回は、そんな天翔愛さんの、本名や芸名の由来のほか、簡単なプロフィール、芸能人の子息であるがゆえの特殊な生い立ちについてご紹介します。
天翔愛の年齢は?出身は?身長は?血液型は?高校大学は?
天翔愛さんは、2001年12月14日生まれ、
東京都の出身、
身長168センチ、
血液型はO型、
学歴は、
玉川学園小学部・中学部・高等部卒業
⇒玉川大学卒業
⇒音楽大学卒業(大学名は不明)
趣味は、ジブリ鑑賞、ミュージカルの観劇、空手、杖術、映画鑑賞、童謡の歌唱、
特技は、歌、シナリオ作り、折り紙、細かいことが器用、両利き、イラスト、オブジェ作り、
だそうです。
天翔愛の本名は?芸名の由来は宝塚好きから
天翔愛さんの本名は、「藤岡愛里(ふじおか あいり)」です。
また、芸名の「天翔」は、愛さんが宝塚歌劇団の大ファンのため、お父さんの藤岡弘、さんが、「天を羽ばたくように」という意味を込めて宝塚風に名付けてくれたのだそうです。
天翔愛は父・藤岡弘、の配慮でプライバシーを守るため芸名をつけられていた
ちなみに、天翔愛さんが芸名を使用したのは、お父さんの藤岡弘、さんが、天翔愛さんのプライバシーを守るためだったそうで、妹の天翔天音さんも、天翔愛さんと同様の理由で、芸名を使ったそうです。
ただ、2019年9月には、父・藤岡弘、さんと共に、弟・藤岡真威人さん、妹・天翔天音さん、妹・藤岡舞衣さんが、バラエティ番組「人生が変わる1分間の深イイ話」で初めてテレビに出演し、全員、藤岡弘、さんの子供であることを公表しており、
弟の藤岡真威人さんと妹の藤岡舞衣さんは本名で出演し、その後も、本名で芸能活動を続けています。
(藤岡弘、さんは、2019年9月まで、子供たちの存在を公表していませんでした)
天翔愛の生い立ちは?少女時代は藤岡弘、の娘だと周囲に気づかれないように細心の注意を払って行動していた
そんな天翔愛さんは、藤岡弘、さんのもと、4人兄弟姉妹の長女として誕生しているのですが、幼い頃は、お父さんに、
父親が藤岡弘、だと言ってはいけない
と、厳しく言われていたそうで、
幼稚園の頃から、家に友達を呼ぶことができなかったそうです。
また、天翔愛さんだけでなく、家族も藤岡弘、さん一家だと周囲に分からないよう行動していたそうで、家族でレストランに行く時には、お父さんと時間をずらしてお店に入り、旅行の時も、フロントの人が見ているかもしれないため、その場面、場面で注意を払わなければならなかったそうで、
天翔愛さんは、
もうちょっと普通にしたいな
と、思っていたそうです。
(人前ではお父さんのことを「社長」と呼んでいたのだそうです)
ただ、これほど細心の注意を払っていても、
小学校受験の際、両親と面接に行くと、お父さんを見かけた保護者の人が言いふらしたのか、
4月に入学するときに藤岡姓の人がいたら芸能人の子どもだ!
と、言われ、同じ学年だけでなく、他の学年にまで広まってしまったほか、
中学校でも高校でも、
お父さんって藤岡弘、なんでしょ?
と、面と向かって聞かれたこともあったそうです。
(学年や学校が変わっても、友達の従兄弟が一緒だったなど、誰かと何かしらのつながりがあったことから、すぐに噂が広まってしまったそうです)
天翔愛はあくまでも父親が藤岡弘、ということは隠し、父親の職業を警察官や医者と言って誤魔化していた
それでも、天翔愛さんは、友達同士でお父さんがどんな仕事をしているのか話す場面では、
うちのお父さん、不動産屋さんなんだ
と、答え、
また、ある時は、
お父さんはお医者さん
と、言い、
(小学校の作文では「お父さんは警察官」と書いたこともあったそうです)
時々、言葉に詰まりそうになったことはあったものの、どうにか切り抜けてきたそうで、
天翔愛さんは、
私の目の前で「藤岡弘、」を検索して、携帯と私の顔を交互に見比べるとか。「藤岡弘、イケメンだなぁ。この人何歳だろうなぁ」って言いながらジッと見られるみたいな。
高校のクラス替えで初めて教室に入ったときは、先に教室に入っていた男子生徒たちがちょうどこの学年に芸能人の子どもがいるって話をしていたみたいで、私の姿を集団で見るなり、「あいつだよね? あいつだよね?」ってヒソヒソ話をしていたり。
他の学年から「藤岡弘、の娘いる?」みたいな感じで教室まで見に来られたこともしょっちゅうありました。
と、語っています。
そして、友達にお父さんの職業を答えていた時の気持ちについて、
周りにウソついてごめんねっていう気持ちと、本当のことを言いたいなって寂しい気持ちもありましたけど、仕方ないな、またか、とか。
でも、仕方ないの方が大きかったのかな。それだけ父が注目されているわけですし、生まれてきた宿命というか、父の影響力が大きいということは私が芸能界に入る前から感じていました。
と、語っています。
天翔愛は少女時代、父・藤岡弘が学校行事に一度も来れず淋しい思いをするも、兄弟姉妹で同じ思いを共有して救われていた
そんな天翔愛さんは、運動会や授業参観などの学校行事にお父さんが来てくれたことは一度もなかったため、さみしい思いをしたそうですが、
(天翔愛さんは小学6年生の時、念願だったリレーの選手に選ばれたそうですが(足が速かったため、リレーの選手に選ばれることを毎年願っていたそうです)、当日、自分が頑張った姿をお父さんに見てもらえなかった寂しさは今でも忘れられないそうです)
自分だけではなく兄弟姉妹もみんな、お父さんのことを周囲に黙っていなければならず、同じ思いをみんなで共有しながら過ごしたことで救われたそうです。
(お父さんが、「父親が藤岡弘、だと周りに言ってはいけない」と厳しく言っていたのは、藤岡弘、の子どもとして幼稚園や小学校に行ってしまうと、必要以上に注目されてしまうため、そういうことを気にせず伸び伸びと生きてほしいという気持ちからだったそうです)
「天翔愛は高3の時「エイガワールドカップ」で最優秀女子演技賞に輝いていた!」に続く