2006年、「第1回WBC」では、強力なリーダーシップと、一選手としても外野手部門の優秀選手賞に選ばれる活躍で、大きく日本の優勝に貢献したイチローさんは、2009年の「第2回WBC」にも出場すると、準決勝までは不振にあえぐも、決勝戦の韓国戦では、逆転タイムリーを含む6打数4安打という活躍で、日本の連覇に貢献しているのですが、
「第2回WBC」開幕前の2008年10月、既定路線だった星野仙一氏の代表監督就任に異議を唱えていました。
「イチローは第1回WBCでは強いリーダーシップで日本を世界一に導いていた!」からの続き
イチローは星野仙一が「第2回WBC」日本代表監督になることに異議を唱えていた
「第2回WBC(2009年)」では、2008年10月15日に開催された「第1回WBC体制検討会議」で、同年、北京五輪で指揮を執った星野仙一氏の就任が既定路線となっていました。
というのも、星野仙一氏は「金メダルしかいらない」と啖呵(たんか)を切って北京五輪に臨んだものの、金メダルどころか銅メダルも獲得することができずに惨敗しており、WBCで星野仙一氏に北京でのリベンジを期待する声が、日増しに強まっていたのです。
しかし、10月18日、イチローさんが、シアトルの自宅から、取材に対し、
大切なのは足並みをそろえること。(惨敗の)北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みをそろえることなんて不可能でしょう
と、この選考に異議を唱えます。
イチローの発言は「星野外し」と捉えられ、批判が沸き起こっていた
すると、星野仙一氏が北京五輪準決勝での韓国戦に臨む前、「リベンジしますよ」と語っていたこともあり、このイチローさんの発言が「星野外し」を意図したものだと一部で受け止められます。
また、イチローさんは、
『最強のチームを作る』という一方で、『現役監督から選ぶのは難しい』では、本気で最強のチームを作ろうとしているとは思えない。矛盾した行為ですよ
『もう一度、本気で世界一を奪いにいく』『WBC日本代表のユニホームを着ることが最高の栄誉である』とみんなが思える大会に自分たちで育てていく。シンプルなことなんですけどね
誰が監督で、どんなメンバーで戦うかよりも、これからどうしていくべきなのか、そういう大きな視点を持って(選考会議に臨んで)いるかどうかが問題なんです
などとも、発言しており、
これら一連の発言は大きな反響を呼び、「一選手が口を挟むことではない」との批判が沸き起こる一方で、一部の北京五輪代表メンバーからは支持されます。
「第2回WBC」の日本代表監督の選考は難航した末、原辰徳氏に決定していた
そんな中、王貞治コミッショナー特別顧問が、
(イチローさんの主張に)なるほどね、と思う
と、理解を示したことで、潮目が変わり、
10月22日、星野仙一氏が自身のHP上でWBC代表監督就任を引き受ける意思がないことを表明。
こうして、日本代表監督の選考は難航したのですが、最終的には、経験値の高さなどが買われ、2008年セ・リーグ優勝の巨人・原辰徳氏が代表監督に就任することに落ち着いたのでした。
イチローは「第2回WBC」で、実質的に自身の発言により、代表監督が星野仙一から原辰徳に変更となったことにプレッシャーを感じていた?
ちなみに、イチローさんは、原辰徳氏が日本代表監督に決まってから約1ヶ月後、自身の発言が監督決定の流れを変えたと思うか、もしそう感じたのなら、新たなプレッシャーが生まれたのではないか、との記者の質問に対し、
そもそも(発言の前と後で日本国内の状況が)どうなっているのか僕は(詳しく)知らない。でも、あの(日本代表の)ユニホームを着る限りは、必ず何かを背負わなきゃいけないということです
と、語っています。
写真は、2010年8月、マリナーズとオリオールズの試合前、談笑するイチローさんと星野仙一さん。
イチローは「第2回WBC」では開幕前の練習試合から極度の打撃不振にあえぐも決勝の韓国戦で逆転タイムリーを放ち連覇に貢献していた
ただ、イチローさんは、「第2回WBC」では、大会開幕前の練習試合から全く安打が出ず、大会開幕後も打率2割前後という絶不調の状態が続きます。
それでも、チーム自体は勝ち進み、韓国との決勝戦を迎えるのですが、ここまで、イチローさんは、38打数8安打、打率2割1分1厘と大不振。
(準決勝までは12打席連続ノーヒットでした)
そんな中、イチローさんは、この試合では、第一打席にはセンター前ヒット、第2打席と第3打席は凡退するも、第4打席にはバントヒット、第5打席にはライトへのツーベースヒットと、5打数3安打と復調すると、
(3対2と1点リードで迎えた9回裏、韓国の攻撃で、リリーフしたダルビッシュ有投手が同点適時打を浴びて延長戦になり)
延長10回表、先頭の内川聖一選手の右前打を足掛かりに回ってきた、二死二三塁の絶好のチャンスでは、2ボール2ストライクからの8球目の変化球をセンター前にはじき返す2点タイムリーヒットを放ち、日本は5対3と逆転。
すると、その裏をダルビッシュ有投手が無失点で締め、日本は見事、韓国を下し、WBC連覇を達成したのでした。
決勝の韓国戦で逆転タイムリーヒットを打つイチローさん。
イチローが「第2回WBC」で残した名言とは?
こうして、この大会、準決勝までは極度の打撃不振に陥るも、決勝戦では4安打してチームを牽引したイチローさんは、
(今大会は)谷しかなかった。最後に山に登ることができてよかった。神が降りてきました
と、語っており、
この言葉は現在も「名言」として語り継がれています。
イチローの決勝戦(韓国戦)での逆転タイムリーヒットには全試合1番で起用し続けた原辰徳監督の喜びもひとしおだった
ちなみに、イチローさんが極度のスランプに陥っていたにもかかわらず、イチローさんをチームの精神的支柱と判断し、全試合で1番で起用し続けた原辰徳監督は、
決勝戦(韓国戦)のイチローさんの逆転タイムリーについて、
あのセンター前は、私にとって生涯忘れられない映像になりました
と、語っています。
「イチローの成績(NPB)が凄い!7年連続3割4分以上首位打者!5冠王!」に続く