1948年、宝塚歌劇団の舞台「春のをどり」で初舞台を踏むと、その後、「猿飛佐助」「三つのワルツ」などで、星組男役トップスターとして絶大な人気を博した、寿美花代(すみ はなよ)さん。
そんな寿美花代さんは、プライベートでは、俳優の高島忠夫さんと結婚しています。
今回は、寿美花代さんの夫・高島忠夫さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)についてご紹介します。
「寿美花代の若い頃(宝塚時代)が凄い!生い立ちから経歴を時系列まとめ!」からの続き
寿美花代と高島忠夫の馴れ初めは?
寿美花代さんは、1963年、俳優の高島忠夫さんと結婚しています。
寿美花代さんと高島忠夫さんは、1961年、テレビ番組の収録で知り合うと、寿美花代さんは、出会ってすぐに、
結婚するならこの人
と、決めたそうで、
寿美花代さんは、
顔もいい。優しくて長身。『素晴らしい。絶対に一緒になりたい』と思って
と、一目惚れだったことを語っています。
寿美花代が高島忠夫に猛アタックして交際に発展していた
そんな寿美花代さんは、高島忠夫さんに猛烈なアタックを開始したそうで、
高島忠夫さんをデートに誘うと、2人でオペラ「カルメン」を観に行ったそうですが、途中でお腹が空くと、劇場を出るなど、寿美花代さん主導のデートだったそうです。
また、劇場を出て、そのまま、神戸の「北野クラブ」で食事をし、その後、2人でダンスを踊ったそうですが、高島忠夫さんは、微妙な距離を取ってあまりくっついてこず、とても純情な人だったといいます。
そして、その帰り道、寿美花代さんは、急に車を脇に止め、後ろに座っていた高島忠夫さんのほうをくるりと向くと、
お給料いくらもらってるんですか?
住んでる所は持ち家ですか?
隠し女はいますか?
ご両親に仕送りをしていますか?
借金はありませんか?
など、高島忠夫さんを質問攻めにしたのだそうです。
すると、そんな寿美花代さんワールド全開の中、高島忠夫さんはそれらの質問を全てクリアしたことから、寿美花代さんは高島忠夫さんと結婚したいと思うようになったのだそうです。
ちなみに、寿美花代さんは、高島忠夫さんとの対談で、
私にとって、あなたははじめて好きになった男性。宝塚にいると、男性と接する機会なんてほとんどありませんでしたから。最初のデートから結婚を意識していたんです。
と、語っています。
寿美花代から高島忠夫にプロポーズしていた
そして、2年の交際の末、寿美花代さんの方から、
私と結婚してくれませんか。してくれないなら、他の人と結婚しますけど、いいですか
と、プロポーズすると、
あまりにも唐突だったため、高島忠夫さんは驚いたそうですが、心の中では、「この人と生きていこう」と思っていたそうで、結婚に至ったのだそうです。
寿美花代は高島忠夫と結婚後は家庭に入るも料理が全くできなかった
こうして、高島忠夫さんと結婚した寿美花代さんは、仕事をやめて、家庭に入ったそうですが、料理が全くできなかったそうで、
結婚して最初の2年間は、そんな寿美花代さんをみかねたファンの奥さんたちが、おいしい料理を作って順番に差し入れしてくれたそうで、寿美花代さんは、それを温めてテーブルに並べるだけだったといいます。
ただ、そのうち、奥さんたちに、
いい加減にしなさい
と、怒られて、料理を覚えるように諭されたそうで、
その後、料理学校に通い始めるようになったそうですが・・・
料理学校で習う料理はというと、オーブンを使ったものが多く、寿美花代さんは、オーブンの調子が分からず、いつまで待っても料理が出来上がらなかったこともあったのだそうです。
それでも、高島忠夫さんには、一言も文句や不満を言われたことがなかったそうで、本当にやさしかったことから、かえって、料理の腕を上げようと頑張ったのだそうです。
寿美花代は高島忠夫と結婚後は大好きな車の運転を控えていた
また、寿美花代さんは、とても車の運転が好きだったそうですが、
(結婚前は「阪神高速をものすごいスピードで走る『寿美花代ナンバー』の車」がしょっちゅう目撃されていたといいます)
高島忠夫さんに、
女性が車を運転するのはイヤだ。悪いけどやめてくれ
と、言われ、
結婚後は、スパッと車の運転をやめたそうです。
ただ、実は車が欲しくて家の近くのショールームに何度も一人で見に行き、「かっこいいな、乗りたいな」と思いつつ、なんと、20台以上も我慢していたのだそうです。
そんな中、寿美花代さんは、「かくし芸大会」に出演した際、津軽三味線の隠し芸で特賞をもらったそうですが、賞品が、なんと車だったそうで、寿美花代さんは大喜びしたそうです。
これには、さすがに、高島忠夫さんも、(芸を磨いて見事賞品を獲得したのだからと)文句を言ってはいけない、と自分に言い聞かせ、寿美花代さんに車に乗ることを許したそうですが、
結果、寿美花代さんの運転する車にいつも乗せてもらって、(送り迎えをしてもらうなど)楽をさせてもらい、とても感謝していたといいます。
寿美花代は夫・高島忠夫と料理番組「ごちそうさま」の司会を26年間務めていた
そんな寿美花代さんと夫・高島忠夫さんは、1971年1月11日から1998年3月31日まで、26年にわたって人気料理番組「ごちそうさま」の司会を夫婦で務めるなど、「おしどり夫婦」として周知されました。
寿美花代は夫・高島忠夫を献身的に看病&介護をしていた
ただ、夫の高島忠夫さんは、1984年頃から不眠とアルコール依存に悩み、睡眠薬が手放せない状態で仕事を続けていたそうで、
1998年には、うつ病を発症すると、一時は回復するも、その後は、パーキンソン病を患い、心臓にペースメーカーを入れるなど20年近く闘病生活を送った末、2019年に他界されています。
ちなみに、寿美花代さんは、その間、献身的に看病&介護をこなすほか、高島忠夫さんに代わってお金の管理をするようになったそうで、それまでは、銀行の通帳も見たことがなかったそうですが、自分がやるしかないと、手探りで一から覚えたのだそうです。
また、寿美花代さんは、いつも笑顔を絶やさないように心がけていたそうで、
夫・高島忠夫さんとの対談で、
泣き顔は見せないようにしていました。私が頑張れたのは、忠夫さんがそれまでずーっとやさしかったからなんですよ。積み重ねてきた夫婦の歴史が私に力を与えてくれたの。
ときには「どうして私がこんな目に遭わなくちゃいけないの!?」と思ったこともあるけれど、あなたが病気と闘っているのだから、私も負けられない、と自分に言い聞かせてきたんです。
と、語っています。
「寿美花代の子供は息子が3人!長男は殺害死!次男は高嶋政宏!三男は高嶋政伸!」に続く
1963年、舞台「タカラジェンヌに栄光あれ」を最後に宝塚歌劇団を退団すると、俳優の高島忠夫さんと結婚し、1971年から26年の長い間に渡って、料理番組「ごちそうさま」で夫婦で司会を務め、「おしどり夫婦」として知られた、寿 …