1993年、お笑いコンビ「オセロ」としてデビューすると、その後は、テレビでは見ない日がないほどの爆発的な人気を誇るも、2013年には「オセロ」を解散した、中島知子(なかじま ともこ)さん。

そんな中島知子さんは、幼い頃からお父さんに厳しいしつけを受けて育ったそうで、家族が嫌でたまらず、家を出ることばかりを考えていたそうですが、

大学1年生の時、学園祭でマドンナのモノマネをして「ミス京都精華大学」に選ばれたことがきっかけでスカウトされて松竹芸能事務所の養成所に入所したといいます。

今回は、中島知子さんの生い立ち(幼少期~大学時代にスカウトされて松竹芸能養成所に入所するまで)をご紹介します。

中島知子

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中島知子のプロフィール

中島知子さんは、1971年8月26日生まれ、
埼玉県の出身、
京都府京都市東山区山科(現・山科区)育ち、

身長164センチ、

血液型はA型、

学歴は、
京都市立音羽中学校
⇒京都府立洛東高等学校
⇒京都精華大学人文学部卒業

特技は詩吟で、中島知子さんの両親が詩吟神心流の家元だったことから、子供の頃に詩吟を習っていたそうで、中学時代には、全国詩吟コンクールジュニア部門で優勝したこともあるそうです。

ちなみに、「中島知子」は本名です。

中島知子は幼い頃に埼玉から京都に移り住んでいた

中島知子さんは、貿易会社社長のお父さんと専業主婦のお母さんのもと、3人きょうだい(2歳年下の弟と6歳年下の妹)の長女として埼玉県で誕生すると、

その後、京都府京都市東山区山科(現・山科区)に移り住んだそうです。

中島知子は幼い頃から父親に厳しいしつけを受けて育っていた

そんな中島知子さんは、幼い頃から、厳格だったお父さんに厳しいしつけを受けて育ったそうで、箸の持ち方が悪い、挨拶ができていないと言われては、近所の人が見ている前でもビンタされていたそうです。

また、大学生になっても門限は午後の10時だったそうで、さすがに、門限を破ることも多々あったそうですが、

ある冬の日のこと、夜の10時半頃に、

だらしない子に育てたつもりはない!

と、お父さんに大声で怒鳴られ、家に入れてもらえず、外で震えていたこともあったといいます。

その一方で、お父さんは、妹には甘く、欲しいものは何でも買ってあげて、ビンタもすることはなかったそうで、

中島知子さんは、よく、近所の人に、

妹はめちゃくちゃ依怙贔屓(えこひいき)されてる

と、愚痴っていたといいます。

(そのせいで、中島知子さんは、幼い頃からよく家出をしていたそうです)

中島知子が大学生の頃は家を出たい一心で芸能事務所に履歴書を送っていた

そんな中島知子さんは、とにかく家を出たくて、大学生の頃には、家を出るためには東京に出るしかないと思い、芸能事務所「ビッグアップル」に履歴書を送ると、一次審査に通過したそうですが・・・

家に届いた封筒を妹に勝手に開けられて家族にバレてしまい、結局は行くことができなかったのだそうです。

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中島知子は大学生の時に学園祭で「ミス京都精華大学」に選ばれたことがきっかけでスカウトされて松竹芸能に入所していた

そんな中、大学1年生の時、学園祭でマドンナのモノマネをして「ミス京都精華大学」に選ばれると、それを見ていた松竹芸能のスタッフ・難波規精さんに、

授業料なしでいいから

と、養成所に誘われたそうで、

(「ミス京都精華大学」は京都精華大学の学園祭で行われる、かくし芸的なイベントで選出されたものだったそうで、一般的なミスコンテストではないそうです)

中島知子さんは、松竹芸能を知らなかったそうですが、父親から逃れられると思い、松竹芸能の養成所に入所したのだそうです。

ちなみに、中島知子さんが、松竹芸能について、難波規精さんに、

どういう事務所ですか?

と、尋ねたところ、

チラシを見せてもらったそうで、そこには、お笑いトリオの「レツゴー三匹」が載っていたことから、お笑い芸人の事務所だと分かったそうですが、

(当時はお笑いの第2ブームだったことから、松竹芸能は面白いことをしている人を探していたのだそうです)

中島知子さんは、

遠くの大学に行くぐらいじゃ絶対に家を出るのは無理だなと思って。全然違う関係の仕事に入らないと無理だなと思ってました。だから、すごい機会を狙ってましたよね。まさかスカウトされるとは思わなかったですけど。

と、語っています。

「【画像】中島知子の若い頃は?ヌード写真集も!デビューから現在までの経歴一覧!」に続く

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