1989年1月6日、23歳の時、1ヶ月足らずの交際から、13歳年上の小柳ルミ子さんと電撃婚すると、結婚後は、テレビやステージで夫婦共演を重ね、その仲睦まじい姿からおしどり夫婦と呼ばれるも、2000年に離婚した、大澄賢也(おおすみ けんや)さん。
今回は、そんな大澄賢也さんと小柳ルミ子さんの離婚理由や、大澄賢也さんが興信所による尾行に追い詰められていたことについてご紹介します。

「大澄賢也の前妻・小柳ルミ子との馴れ初めは?交際1ヶ月未満の電撃婚だった!」からの続き
大澄賢也と小柳ルミ子の離婚理由は?
大澄賢也さんと小柳ルミ子さんは、公私ともに良きパートナーとして、順調満帆な生活を送っていると思われていた中、結婚から11年後の2000年に離婚しているのですが、
離婚の理由は、大澄賢也さんの女性問題だと言われました。
実際、1997年頃から、大澄賢也さんが、
彼女とは同じベッドでは寝られない
と、愚痴り、
夜遊びをしたり、六本木のクラブホステスを気に入ってその店に通っているなど、浮気の噂が立ち始めていました。
それでは、なぜ、大澄賢也さんの心が小柳ルミ子さんから離れてしまったのでしょうか。
理由1:小柳ルミ子による”使用人扱い”
小柳ルミ子さんは、
賢也クンがここまで来れたのも私のおかげネ
が、口癖だったそうで、
当時の写真誌の記者は、
彼の実状は、ただの使用人でした。ルミ子は芸能事務所の社長らを家に呼んで麻雀の日々で、パカパカと煙草を吸って、灰皿を大澄に交換させていた。
ベッドの中でパンツをはくこともできない、なんて話も漏れ伝わって、その真偽はともかく、使用人かつホストという立ち位置。普通の男なら逃げ出しますよ
と、大澄賢也さんに同情的に語っています。
理由2:”小柳ルミ子の夫”というレッテル
大澄賢也さんは、小柳ルミ子さんと結婚してから離婚するまで、ずっと、”小柳ルミ子の夫”と言われ続けていたそうで、
ダンサーや俳優としてのキャリアを積み、評価が高まっても、どうしても「格差婚」として離婚の噂が立ってしまっており、大澄賢也さんは、これに嫌気が差していたと言われています。
理由3:小柳ルミ子に子供を拒否されていた
大澄賢也さんは、子供を望んでいたそうですが、
一方、小柳ルミ子さんは、子供が欲しくなかったそうで、
大澄賢也さんは、2000年1月15日、離婚について記者会見を開いた際、
彼女に子供を生んでもらうのが、夫婦としての唯一のことだった。でもそれを否定され、ただのパートナーなのかと…。この時に、別れた方がいいと決心したんです。後悔はないです。彼女のことが重い存在でした
と、語っています。
理由4:小柳ルミ子に一人前として認められなかった
また、子供を望む大澄賢也さんに対し、小柳ルミ子さんは、
あなたの稼ぎだけではとても暮らせない
と言って、仕事をセーブしようとしなかったそうで、
大澄賢也さんは、この時、月300万円~400万円の収入があったそうですが、小柳ルミ子さんに一人前として認めてもらえなかったといいます。
以上のことから、大澄賢也さんの心が小柳ルミ子さんから離れていき、外で女性を作ってしまったと考えられています。
大澄賢也は小柳ルミ子と別居していた
そんな中、大澄賢也さんは、わざと、8回目の結婚記念日だった1997年1月6日、浮気をしたことを小柳ルミ子さんに伝えたそうで、
その後は、しばしば、家を空けるようになり、同年5月には完全に別居し、1998年4月には、離婚届に判を押して小柳ルミ子さんに預けたといいます。
大澄賢也は小柳ルミ子による興信所からの尾行に神経をすり減らしていた
一方、小柳ルミ子さんはというと、大澄賢也さんに嫌われたとは夢にも思っておらず、浮気相手の女性との対決を画策し、大澄賢也さんの住まいをつきとめるため、興信所を雇ったそうで、
大澄賢也さんが、興信所の執拗(しつよう)な尾行に、精神的に追い詰められていた様子が、週刊誌記者の証言から明らかとなっています。
記者によると、1999年夏、記者が大澄賢也さんを尾行した際、大澄賢也さんは異常なまでの警戒行動を見せたそうで、
大澄賢也さんは、新宿コマ劇場での公演後、マネージャーと焼肉屋で食事すると、タクシーでわずか一区間だけ移動して降車し、
そこから自分の車に乗り換えると、駐車場から一方通行を時速80キロの猛スピードで駆け抜け、甲州街道では信号が黄色になる瞬間を狙って急発進するなど、危険な運転で徹底的に尾行を振り切ろうとしたといいます。
また、大澄賢也さんが特に警戒していたのは車への発信器の取り付けで、自宅マンション前では、車を停めた後、車のタイヤ前後に紙くずをバラ巻き、短時間で戻って紙くずを拾っていたそうで、これは、車の下に発信器が付けられていないかを確認していたのだそうです。
そして、ある日、大澄賢也さんが尾行に気がつき(実際は週刊誌記者の尾行)、逆に、尾行していた車の後ろにぴったりとつけたそうですが、記者が観念して雑誌名を明かすと、
興信所ではないと分かった大澄賢也さんは、それまでの険しかった表情が一変し、心底ほっとした様子を見せたそうで、大澄賢也さんが、いかに興信所の尾行を恐れていたかが分かったと、記者は語っています。
「大澄賢也は小柳ルミ子に慰謝料1億円を請求され支払っていた?」に続く
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