1971年、18歳の時、ファーストシングル「わたしの城下町」でレコードデビューすると、160万枚を売り上げる大ヒットを記録して、たちまちブレイクすると、
その後も、「瀬戸の花嫁」「お祭りの夜」「京のにわか雨」「漁火恋唄」「春のおとずれ」など、抜群の歌唱力で次々とヒットを連発した、小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)さん。
そんな小柳ルミ子さんは、娘を歌手にさせたいお母さんの意向により、3歳の時から、クラシックバレエ、歌、ピアノなど8つもの習い事をしていたそうで、幼い頃はバレリーナに憧れたそうですが、
中学卒業後は、高校へ行って学問を勉強するよりかは、芸事を勉強して歌手になりたいとの思いから、宝塚音楽学校を受験したといいます。
今回は、小柳ルミ子さんの、幼少期(生い立ち)から宝塚歌劇団を2ヶ月で卒業するまでをご紹介します。

小柳ルミ子のプロフィール
小柳ルミ子さんは、1952年7月2日生まれ、
福岡県福岡市早良区の出身、
身長160センチ、
血液型はA型、
学歴は、
筑紫女学園中学校
⇒宝塚音楽学校卒業
趣味は、
麻雀、三味線、ビーズ工芸、サッカー観戦、ゴルフ、
特技は、
料理、書道、ダンス、タップダンス、
ちなみに、本名は「小柳留美子(読み方同じ)」で、宝塚歌劇団には「夏川るみ」名義で入団しています。
小柳ルミ子が幼い頃は裕福な家庭で何不自由なく育っていた
小柳ルミ子さんは、運送業「小柳運送店」を営むお父さんのもと、一人っ子として誕生したそうですが、お父さんは、小柳ルミ子さんが物心つく前に、若くして病気により他界されたそうで、
お母さんが、その後、裕福な男性と再婚したことから、小柳ルミ子さんは、邸宅に住み、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。
(そのため、小柳ルミ子さんは本当のお父さんの記憶はほとんどないそうです)
ちなみに、小柳ルミ子さんは、1993年、雑誌の取材で、
あれは私が小学校五年生くらいのときでした。(略)そのとき初めて知ったんです。本当のお父さんは私が三歳のとき病気で亡くなったこと。いまのお父さんはそのあと母が再婚した相手であること。
それはショックでした。言い難い悲しみが襲ってきて、私はポロポロ涙を流して泣きました。
(中略)母が私に本当のことを知らせたくない、あわよくば将来にわたってずっと隠し通したい、今の夫を本当のお父さんだと思わせておきたいと考えたのは、結局のところ母の唯一最大の目的である『私を一流の歌手に育てる』プログラムの一環だったのかもしれません。
と、語っています。
小柳ルミ子は幼い頃からクラシックバレエほか8つもの習い事をしていた
さておき、小柳ルミ子さんは、お母さんが、
女の子を産んで歌手にする
と、決めていたことから、
3歳の時にクラシックバレエを習い始めると、以降、歌、日本舞踊、ジャズダンス、タップダンス、ピアノ、三味線、習字など、一番多い時で8つもの習い事をするようになったそうです。
ただ、お母さんは、一般的な親のように、ああしなさい、こうしなさい、こうしちゃダメ、と先回りして子供に手を差し伸べるのではなく、全てのことを小柳ルミ子さん自身に決断させ、失敗することが分かっていても手を出さないという教育方針だったそうで、
小柳ルミ子さんは、今となっては、そんなお母さんの強さがすごかったと思っているそうです。
小柳ルミ子は中学進学後に芸事で生きていくことを決断していた
そんな小柳ルミ子さんは、幼い頃はバレリーナになりたくて、トゥシューズを抱いて眠るほどだったそうですが、
ある時、お母さんに、
バレエだけじゃ生活していけんとよ
と、言われたそうで、
それならば、
歌って踊ってお芝居をするエンターテイナーになろう
と、思うようになり、
中学に進学した頃には、芸事で生きていくことを決めたそうです。
小柳ルミ子は中学卒業後、宝塚音楽学校に合格し首席で卒業していた
そんな中、小柳ルミ子さんは、
中学卒業後は、高校に行って学問を勉強するより、芸事を勉強して歌手になりたい
と、思ったそうで、
宝塚音楽学校を受験すると、見事、40倍の難関を突破して、合格。
さらに、小柳ルミ子さんは、もともと、歌手を目指していたことから、宝塚音楽学校入学後、宝塚音楽学校の先輩で、すでに歌手として活動していた梓みちよさんの口利きで、「渡辺プロダクション」に歌手になりたい旨願い出ると、
渡辺プロには、
宝塚(音楽学校)を首席で卒業したら歌手にしてあげる
と、言われたそうですが、
なんと、小柳ルミ子さんは、1970年、見事、宝塚音楽学校を首席で卒業したのでした。
小柳ルミ子は17歳の時に宝塚歌劇団を2ヶ月で退団していた
こうして、歌手デビューへの切符を手にした小柳ルミ子さんですが、渡辺プロから、初舞台だけは踏むように言われたそうで、
宝塚歌劇団に入団すると、初舞台を踏み、わずか2ヶ月で宝塚歌劇団を退団したのでした。
ちなみに、小柳ルミ子さんは、2020年、ラジオ番組「黒木瞳のあさナビ」(2020年4月26日放送)にゲスト出演した際、
もともと宝塚に長くいるつもりはなかった。あくまでも最終目標は「歌って踊れる人」でした。
(宝塚も歌って踊るが宝塚はあくまでも)通過点で。高校に行って学問を勉強するよりは芸事をさらに勉強して、歌手になりたい。それが、子供の頃からあって。だから、宝塚が最終目的ではなかった。
と、語っています。
「【画像】小柳ルミ子の若い頃から現在までの歌(シングル)は?受賞歴は?」に続く
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「瀬戸の花嫁」を始めとする数々のヒット曲で、歌手として一世を風靡すると、1983年には、女優としても、映画「白蛇抄」で「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を受賞するなど、歌と演技の両方で頂点を極めた、小柳ルミ子(こやなぎ …






