歌手として、「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」「お久しぶりね」などがヒットする中、1982年、映画「誘拐報道」で女優業にも本格的に進出すると、いきなり、「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」を受賞するほか、翌年の「白蛇抄」では「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」にも輝き、
その後も、歌手、女優、タレントとして、多彩な才能を発揮し続けている、小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)さん。
今回は、そんな小柳ルミ子さんの、若い頃から現在までの出演作品(映画・ドラマ)や受賞歴ほか経歴をご紹介します。

「【画像】小柳ルミ子の若い頃から現在までの歌(シングル)は?受賞歴は?」からの続き
小柳ルミ子は30歳の時に「誘拐報道」で映画初出演にして「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」を獲得
小柳ルミ子さんは、1982年には、歌手活動と並行して女優業も本格的に開始し、映画「誘拐報道」で、主人公(萩原健一さん)の妻役を演じると、
映画初出演にして、「第56回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞」と「第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」を受賞しています。

「誘拐報道」より。小柳ルミ子さんと萩原健一さん。
実は、小柳ルミ子さんは、日本情緒あふれる歌い手として活動する中で、幼少期から学んだバレエや日舞の経験を活かし、「歌、踊り、お芝居」の三本立てで活動したいという思いを、かねてから抱いていたそうですが、
そんな中、伊藤俊也監督が渡辺プロに小柳ルミ子さんの出演をオファーしていたといいます。
ただ、伊藤俊也監督が何度オファーしても、渡辺プロには、売れっ子歌手である小柳ルミ子さんの長期拘束を理由に断られ続けていたそうで、
制作に出資していた日本テレビは、吉永小百合さんや大原麗子さんを希望していたそうですが、伊藤俊也監督は強く小柳ルミ子さんにこだわったそうで、
そんな中、小柳ルミ子さんは、1981年、萩原健一さんからの電話で、伊藤俊也監督から映画「誘拐報道」(1982年)の出演オファーがあったことを知ると、
伊藤監督も私を待っていてくださるし、この作品をやったら私を変えられる
との思いで、渡辺プロに映画への出演を直訴。
すると、小柳ルミ子さんの熱意に、渡辺プロもようやく折れ、多くの営業をキャンセルして撮影に参加することが出来たのだそうです。
(ちなみに、小柳ルミ子さんは、撮影初日がいきなりラストシーン(娘と夜逃げするシーン)だったそうで、ノーメイクでゴム合羽姿の渾身の演技を披露しています)
小柳ルミ子は31歳の時に「白蛇抄」で「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を獲得
そんな小柳ルミ子さんは、翌1983年、31歳の時には、映画「白蛇抄」で主演を務めているのですが、
今度は、「第7回 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」に輝いています。

「白蛇抄」より。小柳ルミ子さんと杉本哲太さん。
実は、映画「誘拐報道」の撮影中、伊藤俊也監督が、次作、水上勉氏原作の小説「白蛇抄」の映画化で小柳ルミ子さんを主演に起用したい旨、東映の岡田茂社長に申し出ると、岡田茂社長も「ルミ子が主演なら」と快諾していたそうですが、
原作には官能的な描写が多く含まれており、ヌードシーンは避けられない内容で、オファーを受けた小柳ルミ子さんは、渡辺プロが反対することを予想し、「事後承諾」という手段を選択していたといいます。
つまり、まず、伊藤俊也監督に出演の意思を伝え、後戻りできない段階になって、マネジャーに報告したそうですが、案の定、マネジャーは叫び声を上げるほど驚き、その後、この件が渡辺晋社長の耳に入ると、渡辺晋社長は激怒。
そして、渡辺晋社長は、東映の岡田社長を呼び出したそうですが、
その席では、
ウチの可愛い娘を頼んだぞ
と、告げたそうで、
渡辺晋社長は、濡れ場シーンには最後まで納得していないながら、小柳ルミ子さん本人の強い意欲を認め、最終的に出演を認めたのだそうです。
小柳ルミ子は30歳頃には「8時だョ!全員集合」で志村けんと夫婦コントを演じていた
また、小柳ルミ子さんは、バラエティ番組「8時だョ!全員集合」にゲスト出演して、志村けんさんと夫婦コントを演じ、バラエティでも存在感を発揮しているのですが、

志村けんさんと小柳ルミ子さん。
小柳ルミ子さんは、「8時だョ!全員集合」に出演した時のことを、
もうね、私とのコントはほとんどアドリブなんですよ。『全員集合』は土曜日が本番で、水曜と木曜がTBSのスタジオでリハーサル、金曜日にその週の会場でセットを組みます。
一応、私はリハには行くのですが、台本を見るとけんちゃんとのパートは全くの空白。なんにも書かれていないんですよ。番組前半の大掛かりなコントのところはびっしり書かれているのに、こちらは全部私たちにお任せだったんです
と、語っています。
小柳ルミ子は個人事務所「テンプテーション」を設立していた
その後、小柳ルミ子さんは、ポップスやミュージカルを志望するも、渡辺プロダクションが認めてくれなかったことから、独立し、
個人事務所「テンプテーション(心を惹きつけるもの)」(名付け親は志村けんさん)を設立すると、その後も、歌手、女優、タレントとして、様々な分野で活動しています。
(小柳ルミ子さんは、後に「テンプテーション」を解散し、2025年現在はプラチナムプロダクションに所属しています)
小柳ルミ子は68歳の時に引退を表明するも桑田佳祐の言葉で撤回していた
そんな小柳ルミ子さんは、2020年、68歳の時には、芸能生活50周年を迎えているのですが、
この頃、猛威を振るっていたコロナの緊急事態宣言で、長期間、仕事がなく、ラジオで引退を表明しています。
ただ、ブログのコメント欄で、
週刊文春のコラムで、桑田佳祐さんがルミ子さんのことを絶賛している
と、教えてくれた人がいたそうで、
さっそく、週刊文春を購入して読むと、そこには、
「最強のエリート歌姫」は小柳ルミ子さんであり、その理由として、「歌がうまい」「エロい」「踊りが上手(うま)い」「芝居が上手い」「脱げる」
など、桑田佳祐さんによる称賛の言葉が並んでいたそうで、
この言葉で、小柳ルミ子さんは、引退を思いとどまったといいます。
ちなみに、小柳ルミ子さんは、その時のことを、
もう体が震えて、号泣しちゃって。このタイミングで、桑田さんがこのように私の事を分析して、私自身が失いかけていたキャラクターをしっかり見てくださっていたというのが、もううれしくて。
コラムがあと1週間遅かったら、私、引退していたと思いますから。これはもう神がかっているというか、奇跡に近いと思います。
と、語っています。
(小柳ルミ子さんは、桑田佳祐さんとは、「サザンオールスターズ」がデビューした頃に、バラエティー番組でよく共演していたそうですが、桑田佳祐さんとは、それ以来、会っていなかったそうです)
小柳ルミ子の出演作品(映画)
それでは、最後に、小柳ルミ子さんの出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1971年「春だドリフだ 全員集合!!」
- 1971年「日本一のショック男」
- 1975年「どてらい男」
- 1982年「誘拐報道」
- 1983年「白蛇抄」
- 1987年「塀の中の懲りない面々」
- 1987年「塀の中のプレイ・ボール」
- 1994年「家なき子 劇場版」
- 1996年「陽炎2」
- 2000年「Codename:TOMOKO<TOMOKO もっとも危険な女>」
小柳ルミ子の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1970年「虹」
- 1971年「おさな妻」
- 1972年「お祭り銀次捕物帳」
- 1975年「大江戸捜査網」
- 1976年「金のなる樹は誰のもの」
- 1977年「いちばん星」
- 1978年「UFOセブン大冒険」
- 1979年「水戸黄門」
- 1980年「新・江戸の旋風」
- 1981年「春まっしぐら!」
- 1982年「ある日突然恋だった」
- 1983年「望郷 美しき妻の別れ」
- 1984年「火曜サスペンス劇場 松本清張スペシャル・一年半待て」
- 1987年「ザ・ドラマチックナイト 松本清張の地方紙を買う女」
- 1988年「火曜サスペンス劇場 過去からの声」
- 1989年「火曜サスペンス劇場 湾岸に消えた女」
- 1991年「代表取締役刑事」
- 1992年「裸の大将」

「裸の大将」より。 - 1993年「琉球の風」
- 1994年「家なき子」

「家なき子」より。安達祐実さん(左)と小柳ルミ子さん(右)。 - 1996年「愛とは決して後悔しないこと」
- 1997年「冬の蛍」
- 1998年「土曜ワイド劇場 ジャンボ宝くじ1億5千万円が当たった女!連続殺人」
- 1999年「金曜エンタテイメント 主夫刑事と猛妻鑑識官の夫婦事件帳」
- 2000年「明日を抱きしめて」
- 2001年「金田一少年の事件簿 第3シリーズ 黒死蝶殺人事件」
- 2003年「こころ」
- 2004年「仔犬のワルツ」
- 2006年「魂萌え!」
- 2007年「不倫調査員・片山由美9 黒髪人形・尼寺殺人事件」
- 2008年「白と黒」
- 2012年「金曜プレステージ 山村美紗サスペンス 4週連続スペシャル 第3弾 推理作家・池加代子~殺しのシナリオ~」
- 2018年「西郷どん」

「西郷どん」より。鹿賀丈史さんと小柳ルミ子さん。 - 2023年「グランマの憂鬱」
- 2024年「マル秘の密子さん」
- 2025年「終幕のロンド -もう二度と、会えないあなたに-」

「終幕のロンド」より。小柳ルミ子さんと要潤さん。
ほか、
数多くの作品に出演しています。
小柳ルミ子の受賞歴(女優として)
そんな小柳ルミ子さんは、
- 1983年「誘拐報道」で、第56回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞、「第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」
- 1984年「白蛇抄」で、「第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」
と、女優としても賞を受賞しています。
小柳ルミ子の著書・写真集
また、小柳ルミ子さんは、
- 「留美子 波のように愛して」(ワニブックス、1980年)
- 「週刊プレイボーイ特別編集」(集英社、1983年)
- 「小柳ルミ子写真集」(集英社、1991年)
- 「ルミ子的極楽生活術」(コスモの本、1993年8月)
- 「私の半生記」(双葉社、1994年1月)
- 「ルミ子・賢也の愛のエクササイズ」(マガジンハウス、1994年3月)※大澄賢也と共著
- 「結婚」(コスモの本、1995年1月)※大澄賢也と共著
- 「EL VENENO」(バウハウス、1999年)
- 「図解 40代からのレーシックで視力回復」(講談社 2011年7月)※冨田実と共著
- 「もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか」(徳間書店 2020年9月)
- 「パスコースがない? じゃあ、つくればいい。 ルミ子の勝手にサッカー学」(東京書籍、2018年5月)
と、著書や写真集も数多く出版しています。
「小柳ルミ子の前夫・大澄賢也との馴れ初めは?離婚理由は?慰謝料1億請求?」に続く
![]()
現在では当たり前となっている、歌って踊れるエンターテイナー、歌手と女優業の両立など、時代の先駆者として活躍し続けてきた、小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)さん。 そんな小柳ルミ子さんは、プライベートでは、ダンサーの大澄賢也さ …
























