1989年、ダンサーの大澄賢也さんと結婚すると、テレビ、ステージ、イベントなどで夫婦共演し、「おしどり夫婦」と呼ばれるほど仲睦まじい様子を見せるも、結婚から12年後の2000年に離婚した、小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)さん。
そんな小柳ルミ子さんは、その後、27歳年下の俳優の石橋正高さんと交際するも、ほどなくして破局していたといいます。
今回は、小柳ルミ子さんと石橋正高さんの、馴れ初め、破局理由などについてご紹介します。

「小柳ルミ子は再婚している?子供(娘)は?愛犬は?」からの続き
小柳ルミ子の石橋正高との馴れ初めは?
小柳ルミ子さんは、2006年4月(小柳ルミ子さん55歳)上演の舞台「清水の次郎長外伝〜恋女房お蝶の奮闘記〜」での共演がきっかけで、石橋正高さん(28歳)と知り合うと、
舞台期間中は、共演者同士の食事会の後、石橋正高さんが小柳ルミ子さんを車で自宅に送ることもあったそうで、芸能界の大先輩と後輩の関係から信頼を深めていったとされています。

石橋正高さん。
(小柳ルミ子さんは親しい友人に、石橋正高さんのことを「ボーイフレンド」「彼」などと紹介していたそうです)
こうして、小柳ルミ子さんと石橋正高さんは、2006年4月から交際を開始すると、小柳ルミ子さんは、石橋正高さんを「たかちゃん」と呼ぶなど、稽古中も仲睦まじい姿を見せていたそうで、
取材に対しても、
私の胸にポーンとスコーンと飛び込んで来たのがI(石橋正高さん)だったんですよ
と、語っていたといいます。
また、小柳ルミ子さんは、前夫・大澄賢也さんと暮らしていた邸宅で、石橋正高さんと同棲するようになり、
(石橋正高さんは)前夫のことなんて気にせず、私にぞっこんだったんです
とも、語っていたそうで、
石橋正高さんとはかなりラブラブだったことが分かります。
小柳ルミ子は石橋正高との婚約・再婚が報じられるも完全否定
そんな中、2007年7月には、石橋正高さんが、「一生ついていきたい」と周囲に語るなど、小柳ルミ子さんに夢中で、すでに小柳ルミ子さんに指輪をプレゼントし(婚約)、2006年12月12日に他界された小柳ルミ子さんのお母さんの喪が明ける2007年12月末に再婚するという、小柳ルミ子さんと石橋正高さんの婚約・再婚報道が流れたのですが・・・
この報道の翌日、小柳ルミ子さんは、マスコミに対しFAXで石橋正高さんとの再婚を否定。
また、小柳ルミ子さんの所属事務所も、マスコミの取材に対し、
結婚の話はない。『どこからそんな話が出たんだろう』と本人も笑っていました
と、再婚を否定するコメントをしたのでした。
(一方、石橋正高さんはというと、大阪・新歌舞伎座で「小林旭・特別公演」に出演中だったのですが、待機する報道陣から逃げるように劇場を後にしたといいます)
小柳ルミ子と石橋正高の破局理由とは?
そこで、気になる、小柳ルミ子さんと石橋正高さんの破局理由ですが、
小柳ルミ子さんは、2006年9月末頃から、
彼が自分の足で歩こうとしない。このまま私と一緒にいていいのか
と、悩み始め、周囲に相談して、石橋正高さんとの同居を解消していたそうで、
後には、
いつまでも甘えられて疲れた
と、語っていたほか、
2007年11月には、
なんとなく私が連絡しなかった
悪い女ですね、すいません
と、吹っ切れた様子で語っていたそうで、
いつまでも甘えられる状態に疲れてしまったのかもしれません。
(いつ頃、破局したのかはっきりした時期は不明です)
小柳ルミ子の再婚報道は石橋正高がリークしたものだった?
では、なぜ、小柳ルミ子さんと石橋正高さんの婚約・再婚報道が流れたのでしょうか。
報道では、
小柳ルミ子が翌日に再婚を否定したということは、石橋正高が自ら言いふらしていたのがバレバレ
と、されており、
石橋正高さんも特に否定していないことから、その通りなのかもしれません。
(ちなみに、その後、石橋正高さんは、2023年、歌舞伎役者の四代目市川猿之助さんの自殺未遂騒動の際に、市川猿之助さんの遺書の中で書かれていた「愛するM大好き。次の世で会おうね」の”M”で、市川猿之助さんの”最愛の人”として再び注目を浴びています)
2013年5月18日、一家心中を図り、お父さんとお母さんは死亡するも、自身は一命を取り留めた、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、自宅からは、「愛するM」と書かれた遺書らしきメモが複数発見され …
「澤瀉屋」関係者の目に余るほど、遺書に書かれていたMさんを寵愛していたという、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんですが、今回は、このMさんが誰なのか、また、Mさんのその後の驚くべき言動をご紹介します …
さて、いかがでしたでしょうか。
小柳ルミ子さんの、
- 小柳ルミ子の生い立ちは?中卒後に宝塚音楽学校を首席卒業も宝塚歌劇団を2ヶ月で退団!
- 小柳ルミ子のプロフィール
- 小柳ルミ子が幼い頃は裕福な家庭で何不自由なく育っていた
- 小柳ルミ子は幼い頃からクラシックバレエほか8つもの習い事をしていた
- 小柳ルミ子は中学進学後に芸事で生きていくことを決断していた
- 小柳ルミ子は中学卒業後、宝塚音楽学校に合格し首席で卒業していた
- 小柳ルミ子は17歳の時に宝塚歌劇団を2ヶ月で退団していた
- 【画像】小柳ルミ子の若い頃から現在までの歌(シングル)は?受賞歴は?
- 小柳ルミ子は17歳の時にNHK連続テレビ小説「虹」で女優デビュー
- 小柳ルミ子は18歳の時に「わたしの城下町」が160万枚を売り上げる大ヒット
- 小柳ルミ子は19歳の時に「瀬戸の花嫁」が大ヒット
- 小柳ルミ子は23歳~31歳の時に「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」が大ヒット
- 小柳ルミ子のディスコグラフィー(シングル)
- 小柳ルミ子の受賞歴(歌手として)
- 【画像】小柳ルミ子の若い頃から現在までの出演ドラマ映画は?受賞歴は?
- 小柳ルミ子は30歳の時に「誘拐報道」で映画初出演にして「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」を獲得
- 小柳ルミ子は31歳の時に「白蛇抄」で「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を獲得
- 小柳ルミ子は30歳頃には「8時だョ!全員集合」で志村けんと夫婦コントを演じていた
- 小柳ルミ子は個人事務所「テンプテーション」を設立していた
- 小柳ルミ子は68歳の時に引退を表明するも桑田佳祐の言葉で撤回していた
- 小柳ルミ子の出演作品(映画)
- 小柳ルミ子の出演作品(テレビドラマ)
- 小柳ルミ子の受賞歴(女優として)
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- 小柳ルミ子は愛犬を亡くしていた
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- 小柳ルミ子は石橋正高との婚約・再婚が報じられるも完全否定
- 小柳ルミ子と石橋正高の破局理由は?
- 小柳ルミ子の再婚報道は石橋正高がリークしたものだった?
について、ご紹介しました。
中卒で宝塚音楽学校に合格しトップで卒業すると、宝塚歌劇団はわずか2ヶ月で退団し、18歳で「わたしの城下町」が160万枚の大ヒットを記録してスターダムに駆け上がり、天地真理さん、南沙織さんとともに「三人娘」として1970年代前半のアイドル時代を築くと、
その後も、実力派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「お久しぶりね」など数々のヒット曲を世に送り出してきた、小柳ルミ子さん。
そんな小柳ルミ子さんも、既にデビューから50年以上経ち、70代を回る年齢となっているのですが、現在も、歌手活動を続けながら、ブログやSNSを通じてファンとの交流を大切にしており、これからも、いつまでも若々しく華やかな存在であり続けてほしいものです。
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1971年、18歳の時、ファーストシングル「わたしの城下町」でレコードデビューすると、160万枚を売り上げる大ヒットを記録して、たちまちブレイクすると、 その後も、「瀬戸の花嫁」「お祭りの夜」「京のにわか雨」「漁火恋唄」 …








