知性と細やかな情感を併せ持ち、女方も立役の二枚目も魅力的に演じ、圧倒的な吸引力で観客を沸かせるほか、伯父・二代目市川猿翁さんのスーパー歌舞伎をさらに発展させたスーパー歌舞伎Ⅱ第2作「ワンピース」では、演者のみならず、演出家、プロデューサーとしての手腕も発揮し、幅広い層から高く評価された、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さん。今回は、そんな猿之助さんの家系図とキャリアなどをご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?学歴は?

猿之助さんは、1975年11月26日生まれ、
東京都出身、

身長171センチ、
体重61キロ、

血液型はO型、

学歴は、
暁星小学校
⇒暁星中学校
⇒暁星高校
⇒慶応義塾大学文学部国文学専攻卒業

趣味は、骨董品(江戸時代のぐい飲み、茶碗など)の収集、寺院仏閣巡りで、以前は、浮世絵(役者絵)を収集していたこともあったそうで、約2000枚所有し、一番高い物は300万円、安いものは1000円だそうです。また、幼少の頃から、仏像を集めているそうで、ダンボール箱2箱分もあり、父・四代目市川段四郎さんの弟子を驚かせたこともあったそうです。

本名は?屋号は?

猿之助さんの本名は、喜熨斗孝彦(きのし たかひこ)です。

また、屋号は「澤瀉屋(おもだかや)」で、襲名は以下のように変遷しています。

  1. 二代目市川亀治郎(1983年7月、歌舞伎座「御目見得太功記」)
  2. 四代目市川猿之助(2012年6月7月、新橋演舞場「義経千本桜」「ヤマトタケル」」)

ちなみに、

父方の祖母は、女優の高杉早苗さん
お父さんは、四代目市川段四郎さん、
お母さんは、喜熨斗延子(きのし のぶこ) さん、
伯父さん(父親の兄)は、二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)さん、

と、芸能一家です。

家系図

家系図は以下の通りです。

歌舞伎座「御目見得太功記」の禿たより役で二代目市川亀治郎を襲名

猿之助さんは、四代目市川段四郎さんと延子さんのもと、一人っ子として誕生すると、1980年7月には、歌舞伎座「義経千本櫻(よしつねせんぼんざくら)」の安徳帝で初お目見得し、1983年7月には、二代目目市川亀治郎として、歌舞伎座「御目見得太功記」の禿たより役で初舞台。

1985年10月、9歳の時には、歌舞伎座夜の部「雙生隅田川」で伯父の三代目市川猿之助さん、七代目尾上菊五郎さんの3人で宙乗りをし、当時の最年少宙乗り記録を樹立すると、

1987年9月、11歳の時には、南座スペシャル「猿之助のすべて Dプログラム」夜の部「連獅子」で、「狂言師左近後に仔獅子の精」役で出演。(「狂言師右近後に親獅子の精」役はお父さんの四代目市川段四郎さん)

1989年7月、歌舞伎座昼の部では、独楽(コマ)売が独楽の由来を語りながら曲芸を披露しつつ、次第に独楽売自身が独楽となり、刀渡りや百廻りを軽やかに披露する「独楽(コマ)」の独楽売万作役を、弱冠13歳で演じています。

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16歳の時に梅沢富美男の大衆演劇「梅沢劇団」の舞台に出演していた

ちなみに、猿之助さんは、16歳の時、梅沢富美男さんの大衆演劇「梅沢劇団」の舞台に出演したことがあるそうですが、

梅沢さんは、当時のことを、

感動したというか袖でヤキモチを焼いていた。俺が15~20年で物にしたものを、なんで16の子供ができるんだろう

と、語っています。

(歌舞伎俳優が大衆演劇の舞台に上がるのはタブーだったそうですが、猿之助さんの懇願で実現したのだそうです)

「市川猿之助(4代目)が慶應義塾大学時代は成績優秀だった!」に続く

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