華やかな女形で人気を博すと、その美しさから「下町の玉三郎」と称された、梅沢富美男(うめざわ とみお)さん。今回は、そんな梅沢さんの幼少期についてご紹介します。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?本名は?

梅沢さんは、1950年11月9日生まれ、
福島県福島市舟場町のご出身、

身長170センチ、

血液型はB型、

本名は、
池田富美男(いけだ とみお)、

学歴は、
前橋市立第四中学校
⇒福島高校中退

趣味は、
料理、麻雀、競馬、競艇、野球、スキューバダイビング、

特技は、
デザイン(舞台用の衣装、バッグ)、

ちなみに、梅沢さんの本名は「池田富美男(いけだ とみお)」だそうです。

(当時、阪神タイガースの主力選手だった、藤村富美男さんにちなんで、「富美男」と名付けられたそうです。)

両親ともに大衆演劇界のエリート

梅沢さんのお父さんは、1939年に剣劇一座「梅沢劇団」を旗揚げし、戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期には、浅草「常盤座」などの劇場を満員にするなど、花形役者として活躍された梅沢清(うめざわ きよし)さん、

お母さんも、娘歌舞伎で活躍された竹沢龍千代(たけざわりゅうちよ)さん(父親が大きな雑貨問屋の経営者、母親の実家も津軽藩家老で大地主というお嬢様だったそうです)と、両親とも大衆演劇界のエリートだったそうです。

生まれた時から芝居に恵まれた環境で育つ

そんなお二人の間に、8人兄弟の5男(7番目)として誕生した梅沢さんは、生まれた時から、家族と一緒に旅回りをされていたそうで、そのため、幼い頃から、袖から舞台を見るのが好きだったそうですが、

(「梅沢劇団」は、団員が約50人で、東北6県を移動されていたそうです)

見るだけでは飽き足らず、いつの間にかセリフや踊りも覚え、器用に真似していたのだそうです。

1歳5ヶ月で「梅沢劇団」のスターに

そして、なんと、わずか1歳5ヶ月の時に初舞台を踏まれたそうで、梅沢さんが後に両親から聞いた話によると、一座が郡山で公演中、開演前にもかかわらず、客席から大きな笑い声が聞こえてきたことから、ふと、舞台を観たところ、なんと、おしめをした梅沢さんが「伊那の勘太郎」のBGMに合わせて花道で踊っていたというのです。

面白がったお母さんが、翌日、梅沢さんに三度笠を持った股旅者の姿をさせ、舞台に上げたところ、今度は、まだ、よちよち歩きの梅沢さんが、切って捨てた悪党の背中に足を乗せて見得を切ったそうで、これに客席は大盛りあがり。

地元の新聞にも、

天才少年現れる!

と、大きく取り上げられたのだそうです。

以来、お父さんは、出し物を梅沢さん中心に切り替えたそうで、代表的なお芝居「母をたずねて」では、梅沢さんが、「ちゃーん!」「おっかぁ!」と言うだけで、観客は感動したそうで、梅沢さんは1歳5ヶ月にして、たちまち一座のスターになったのでした。

Sponsored Link

性格の悪い子どもだった

そんな梅沢さんは、その後、成長と共に芝居もますます上手になっていくと、幼くして、観客からおひねりをもらうようになり、大好きなおもちゃのピストルも自分で買うことができるほど稼ぐようになったそうですが、

(※おひねりとは、舞台やショーが終わった後に、観客より、楽しんだ謝礼として紙などに包んで投げられるお金のこと。今でいう、チップや心付けのようなもの。)

大人の役者をつかまえては、

こんな下手なやつとはやりたくない

と、バカにするような、憎たらしい子どもに成長したそうで、

(それでも、周囲の大人たちから叱られることなどなく、むしろ、子役スターとしてちやほやされたそうです。)

お兄さんの武生さん(後の二代目「梅沢劇団」座長)からおもちゃをプレゼントしてもらった時には、ずっと高価なものを自分で買うことができたことから、お兄さんからプレゼントされたおもちゃを投げて捨てたのだそうです。

(それでも、後から一座に入ったお兄さんは、「富美男に芝居を教えてもらえ」と兄弟子たちに言われるなど、散々な思いをしたそうで、「いい役者になって、富美男をいつか、顎の先で使ってやる」と心に誓ったのだそうです。)

「梅沢富美男は小3の時に極貧になりアルバイトをしていた!」に続く

Sponsored Link