ショーケン萩原健一の若い頃は?現在の妻は?逮捕歴と恋愛結婚歴が凄い!


ショーケンこと、俳優の萩原健一(はぎわら けんいち)さん。若い頃はバンドのヴォーカルとして活躍され、一世を風靡されました。数々の事件を起こされたことから、お騒がせな人物としても注目を集められました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

萩原さんは、1950年7月26日生まれ、
埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区)のご出身、

身長174センチ、

血液型はO型、

学歴は、
聖橋中学校・高等学校(現在は廃校)、

ちなみに、本名は、
萩原 敬三(はぎわら けいぞう)ですが、

ニックネームの「ショーケン」は、デビュー前の不良仲間、ダイケン、チューケン、ショーケンから、そのままだそうです。

テンプターズへ加入

「ザ・テンプターズ」は、1965年、埼玉県大宮市で、田中俊夫さん、高久昇さん、松崎由治さんで結成された、高校生のアマチュアバンドでした。

大宮市のダンスホールを中心に、バンド活動をされていましたが、当時の「ザ・テンプターズ」は、女性がヴォーカルを担当されていたそうです。

しかし、このヴォーカルの女性が体調不良の為、バンドだけで出演していたある日、坊主頭の中学生が飛び入り参加し、ビートルズの「マネー」を歌ったのでした。

そう、この少年こそが、萩原健一さんだったのです!

しかし、あまりにヘタだったため、松崎さんは唖然とされたのだとか(^^;

しかし、萩原さんに熱心に頼み込まれて、メンバーに加入することを許されたのだそうです。

萩原さん、すごいガッツですね!

少年時代

ちなみに、この頃の萩原さんは、学校通いの傍ら、実家の魚屋を手伝っておられたのですが、アルバイト代として、月5000円(現在の約5万円)ももらっていたそうで、中学生のお小遣いとしては破格の額。

当初は、この、サラリーマンよりも高いかもしれないお小遣いで、ラジコンなどを買われて遊んでいたそうですが、友人の影響でビートルズを聴くようになり、音楽に夢中になられたのだそうです。

デビュー

そして、1967年、「ザ・テンプターズ」は、「スパイダーズ」の田邊昭知さんが設立した、スパイダクション(Spi Duction:現在の田辺エージェンシー)にスカウトされ、

ザ・スパイダースの弟分バンド」として、
デビューを果たされます。

萩原さんは、この時、まだ16歳でしたが、プロに専念するため、高校を辞められたそうで、萩原さんの本気度が伺えますね。

すると、デビュー曲「忘れ得ぬ君」は、好調な売上を記録し、第二弾シングル「神様おねがい」は大ブレイク。

続く、「エメラルドの伝説」も大ヒットを飛ばし、「ザ・テンプターズ」の人気は不動のものとなったのでした。

ちなみに、「ザ・テンプターズ」は、当時、日本ではほとんど無名だった、イギリスのロックバンド「ローリング・ストーンズ」の影響を大きく受けており、ちょっとダークな感じの曲が持ち味だったそうです。

アイドルでありながら、不良っぽさが見え隠れする、そのスタイルこそが、萩原さんの魅力そのものと言えますね。

解散

しかし、流行は去り、次第に人気は低迷。「ザ・テンプターズ」は、1970年末に解散します。

解散コンサートをすることもなく、なんとも寂しい終わり方だったそうです。

萩原さんは、「ザ・テンプターズ」の解散後は、「PYG(ピッグ)」というバンドで活動されたそうですが、


左から3人目が萩原さん。その右隣は沢田研二さん、左端は岸部一徳さん。

音楽活動よりも、次第に、映画監督を目指すようになっていかれたそうです。

俳優として

ただ、そんな萩原さんに転機が訪れます。

1972年、映画「約束」の制作現場に、助監督として参加した折、主演俳優が降板したことにより、代役に抜擢。

すると、岸恵子さんと共演した、この悲しい恋愛映画は大ヒットを記録したのです。

この映画は、今でも名作として語り継がれている映画のひとつなので、ぜひ見てみたいですね。

こうして、萩原さんは、その後も、テレビドラマ「太陽にほえろ!」で、マカロニ刑事役を演じられると、またまた大ブレイク。

1972年12月には、音楽活動を停止され、「PYG」は事実上解散、萩原さんは、俳優業に専念されることとなったのでした。

その後も、萩原さんは、俳優としての才能を開花させ、映画「青春の蹉跌」
テレビドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」など、次々と出演され、主演を務められます。

そして、その後も俳優としての活動は順調だったのですが・・・私生活は波乱に満ちたものだったようです。

そこで、萩原さんの私生活を中心に、気になる話題について調べてみました。

三度の交通事故

萩原さんは、これまでに、三度の交通事故を起こされているようです。

最初は、1984年、「酒気帯び運転」で人身事故を起こしてしまい、「業務上過失傷害」で逮捕。

古い話なので、詳しいことは分かりませんでしたが、「酒気帯び運転」の末の事故ということで、世間に与えた打撃は、相当大きかったのではないかと思われます。

また、二度目は、2004年、萩原さんの車が、対向車線からはみ出していたことにより、バイクと正面衝突。またしても、「業務上過失致傷罪」で現行犯逮捕されています。

そして、三度目は、2011年、左側車線からUターンしようとした萩原さんの車が、右側車線の後ろから来たタクシーと衝突。萩原さんの後方確認が不十分だったとのことでした。

ただ、いずれの事故も、どなたも怪我はなかったそうなので、不幸中の幸いでしたね。

それにしても、萩原さん、車の運転は控えられた方が良いかもです。

脅迫事件

そして、2004年には、萩原さん主演の映画「透光の樹」で、監督、スタッフ、共演者への、暴言、暴行を繰り返したために降板させられています。

その際、萩原さんは、前払い分の出演料半額の返還を求められましたが、これを拒否。

そのうえ、途中降板したにも関わらず、残りの出演料1050万円も騙しとろうと、担当プロデューサーの携帯電話の留守電に、

国税局、警視庁、山口組、住吉、熱海の若頭が、全部協力してくれまして、「やったろうじゃないか」と言っております。必ずやっつけますから。契約通りちゃんと払ってください。

と、脅迫のメッセージを残されたと言うのです。

結局、製作者側から「恐喝未遂」で告訴され、萩原さんは逮捕。

「懲役1年6ヶ月、執行猶予3年」の有罪判決を受け、芸能活動を休止せざるを得なくなったのでした。

萩原さんは、その後復帰されるのですが、やはり、ほとんど、映画やドラマには出演されていないようです。

結婚歴は?

ところで、萩原さんは、これまでに、4人の方と結婚されています。

一人目は、1975年、モデルの小泉一十三(こいずみ ひとみ)さんと結婚され、娘さんが一人誕生していますが、1978年に離婚。


萩原さんと小泉一十三さん。

二人目は、1980年、女優のいしだあゆみさんと結婚されるも、1984年に離婚。

自叙伝「ショーケン」の中では、未入籍で事実婚だったと告白されていましたが、

2008年「週刊新潮」では、一転、「未入籍はウソだった」と告白され、やはり、いしださんとは籍を入れられていたようです。


左は、婚約会見時の萩原さんといしだあゆみさん。右は、萩原さんの著書「ショーケン

三人目は、1996年、ヘアメイクを担当されていた女性と結婚され、2006年に離婚。

この離婚は、萩原さんの、「人身事故」「恐喝未遂事件」などが原因だったようです。

倍賞美津子と不倫

また、萩原さんは、女優の倍賞美津子さんと不倫関係になっています。

お二人は、1985年、映画「恋文」での共演で知り合われると、お互い惹かれあったようですが、当時、倍賞さんは、プロレスラーのアントニオ猪木さんの妻。

実は、倍賞さんは、1971年に猪木さんと結婚された当初はラブラブだったのですが、その後、猪木さんの浮気や借金などが原因で、「仮面夫婦」と呼ばれるほど、仲が冷え込んでおり、そんな時期での萩原さんとの出会いだったようです。

はじめは、この映画で倍賞さんが萩原さんとラブシーンを演じたことに激怒した猪木さんでしたが、やがて、二人の関係を知り、ついには、1988年に、倍賞さんと猪木さんは離婚。

それからほどなくして、晴れて、倍賞さんと萩原さんは同棲を始めるのですが・・・

萩原さんが、女優の石田えりさんと新たに関係を持ったことで、倍賞さんとも破局してしまったのでした。(ちなみに、倍賞さんはその後ずっと独身を貫いておられます)

現在の妻は?

現在の奥さんは、2011年に結婚された、モデルの冨田リカさんです。

お二人の出会いは、2009年に東京の青山で行われた女性月刊誌の対談で、もともと、萩原さんのファンだった冨田さんが、この対談を熱望されたのだそうです。

萩原さんは、冨田さんと出会った時のことを、

あった瞬間から過去のことは忘れた。(僕は)悪いイメージが多いけど、家内に出会えたのは、いいこともしてたご褒美かな。

と、ベタボレのご様子♪

そして、

ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人で、メリーゴーランドのような、ゆっくりした人生を歩みたい。

と、語られ、現在は、穏やかな人生を、奥さんと共に歩まれているようです。

萩原さんは、自叙伝「ショーケン」の中で、自身が、母親が不倫した末に誕生した生い立ちや、薬物に手を出したり、多くの女性と関係したことなどを、赤裸々に綴っておられます。

萩原さんの人生そのものが、まるでドラマのストーリーのようですね。

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死因は?2011年から闘病していた!

そして、そんな萩原さんも、2019年3月26日、午前10時30分、「GIST(消化管間質腫瘍)」のため、都内の病院で、68歳で永眠。

(※GIST(消化管間質腫瘍)という病気は、消化管の壁に発生する腸腫のことをいうそうで、特に、胃や小腸で発見されるケースが多いそうで、特殊な細胞が異常増殖し、腫瘍を形成するそうですが、胃がんや大腸がんが消化管の粘膜から発生するのに対し、GISTは、粘膜の下にある筋肉の層から発生するという違いがあるそうで、ガンとは異なり、「肉腫」の一種とされているそうです。)

2019年3月18日に、内田裕也さんが亡くなった際には、所属事務所を通じて、

非常に残念です。近々、企画書をもって裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥様のご不幸があり、タイミングを逃しました。心よりご冥福をお祈りします。

と、コメントを発表された矢先に、萩原さんも帰らぬ人となったのでした。

実は、萩原さんの強い希望で病名は公表されずに2011年頃から闘病されていたそうで、今回、容体が急変し、理加(冨田リカ)さんに看取られて息を引き取られたのだそうです。

ちなみに、葬儀は、生前の萩原さんの意思で、家族のみで営まれたそうで、「お別れ会」なども行わないそうです。

萩原さんのご冥福をお祈りいたします。

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