1961年に「田邊昭知とザ・スパイダース(後に「ザ・スパイダース」)」を結成すると、「夕陽が泣いている」「なんとなくなんとなく」「あの時君は若かった」などがヒットし、大ブレイクした、田邊昭知(たなべ しょうち)さん。

ただ、田邊昭知さんが「田邊昭知とザ・スパイダース」を立ち上げた当初、固定メンバーは、田邊昭知さん以外一人もいなかったといいます。

今回は、田邊昭知さんが、7人の黄金メンバー(堺正章さん、井上順さん、大野克夫さん、かまやつひろしさん、井上堯之さん、加藤充さん)を集めた経緯をご紹介します。

「ザ・スパイダース」

「田邊昭知の若い頃は?スイング・ウエストを経て堀威夫と共にホリプロを設立!」からの続き

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田邊昭知は23歳の時に「田邊昭知とザ・スパイダース」を結成するも自身以外は固定メンバーがいなかった

田邊昭知さんは、1960年秋の終わり頃、堀威夫さんと守屋浩さんの3人で「堀プロダクション(現・ホリプロ)」を設立すると、翌1961年には、「田邊昭知とザ・スパイダース」を結成したそうですが、

当初は、田邊昭知さん以外のメンバーが決まっていなかったことから、当時、王国を築きつつあった大手の「渡辺プロダクション」が仕切っていたジャズ喫茶などには出演することができなかったといいます。

(この頃のはっきりした活動は不明ですが、サポートメンバー、ゲストメンバーで活動していたようです)

また、この頃の「堀プロダクション」の所属タレントは、田邊昭知さん、守屋浩さんのほか、かまやつひろしさん、斎藤チヤ子さん、ポール聖名子さん、北村英治クインテットさん、「チャーリー脇野とゲイ・ポップス・オーケストラ」だったそうですが、

安定した収入があったのは、「東洋企画」時代から人気歌手だった守屋浩さんのみだったそうで、「堀プロダクション」は、守屋浩さんに前借りしていたといいます。

田邊昭知はかまやつひろしにメンバー探しを依頼していた

そこで、田邊昭知さんは、まずは、「田邊昭知とザ・スパイダース」のゲストシンガーで、その才能と人柄を買っていた、かまやつひろしさんにメンバー探しを依頼したといいます。

(かまやつひろしさんも、後に、「田邊昭知とザ・スパイダース」の正式メンバーになっています)

かまやつひろし
かまやつひろしさん

井上堯之は当初は「田邊昭知とザ・スパイダース」ではなく「スリー・ジェット」の所属だった

そんな中、1961年には、井上堯之さんが「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入しているのですが、

実は、井上堯之さんは、1961年4月5日、プロのミュージシャンを目指し、何のあてもなく地元・神戸から上京してきたそうですが、

上京当日、たまたま訪れた池袋のジャズ喫茶「キサス」で、この頃、「田邊昭知とザ・スパイダース」でギターを担当していた伊藤源雄さんと再会を果たしたそうで、

(井上堯之さんと伊藤源雄さんは、神戸にいた頃、一緒にバンドをしていたそうです)

伊藤源雄さんから井上堯之さんのことを聞いた田邊昭知さんが、井上堯之さんを楽屋に呼び寄せて、夜のステージに同行させ、ジャズ喫茶のメッカ「テネシー」で歌わせたところ、歌がうまかったことから、

井上堯之さんは、まず、ボーカルユニット「スリー・ジェット」の一人としてデビューすることになったのだそうです。

井上堯之
井上堯之さん

というのも、田邊昭知さんは、当時、大ヒットしていた映画「ウエスト・サイド・ストーリー」に登場する「ジェット団」のように歌って踊れる男性アイドルグループとして売り出そうと、

「堀プロダクション」に所属していた、「田邊昭知とザ・スパイダース」「キャノンボール」「モアナエコーズ」からそれぞれボーカルを集めて、「スリー・ジェット」としたのだそうです。

大野克夫と加藤充が「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入した経緯は?

次に、田邊昭知さんは、

京都に天才・大野克夫あり

と、その名が東京まで轟いていた大野克夫さんに、

うちに来てほしい

と、誘いの連絡を入れたそうですが、

実はその頃、大野克夫さんは、かつての音楽仲間である井上堯之さんがテレビに出演している姿を目にして、

神戸でくすぶっていた堯之が、あっという間にテレビに出とる

と、強い衝撃を受け、

自分も早く行かなければ

と、焦りを感じ、上京を計画していたところだったそうで、

大野克夫さんが、

ベースを弾いている加藤充と2人一緒なら

と、条件を出すと、

田邊昭知さんはこの提案を快諾したそうで、大野克夫さんと加藤充さん二人の「田邊昭知とザ・スパイダース」加入が即座に決定したのだそうです。

大野克夫
大野克夫さん

ただ、大野克夫さんは、この時、「サウンド・オブ・ウエスト」というバンドに在籍していたことから、正式な加入は1962年7月となっています。

また、加藤充さんは、大野克夫さんの「サウンド・オブ・ウエスト」時代の先輩で、音楽活動を引退し、家業を継ぐため、寿司職人になるための修行を始めていたところだったそうですが、大野克夫さんの誘いに応じ、「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入したのだそうです。

加藤充
加藤充さん

堺正章が「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入した経緯は?

その後、堺正章さんのお父さんで俳優の堺駿二さんが、共演者の斎藤チヤ子さんに、

息子が音楽をやりたがっている

と、話したことが、「堀プロダクション」の堀威夫さんを通じて、田邊昭知さんに伝わり、

田邊昭知さんは、当時、まだ高校生だった堺正章さんと渋谷テアトルで会うことになり、堺正章さんも「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入したそうで、

堺正章
堺正章さん

田邊昭知さんは、堺正章さんとの出会いについて、書籍「芸能界誕生」で、

堺正章は、堺駿二さんと共演した女優がいて、その人の紹介で俺のところへ来ることになったんだ。

「渋谷テアトルというところに行くからお願いします」「分かった」と。行ったら、待ってたよ。休憩時間にトイレに行こうとした時にその通路をまっすぐ歩いてきて声をかけてきたのが マチャアキ(堺正章)だった。

と、綴っています。

井上堯之が「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入した経緯は?

すると、堺正章さんは、5歳年上の井上堯之さんと一緒にジャズダンスのレッスンを受けた際、すぐに意気投合し、「イノ」「マチャアキ」と呼び合うほど仲良くなったそうで、

ちょうどその頃、井上堯之さんが所属していたボーカルユニット「スリー・ジェット」がヒットに恵まれることなく自然消滅していたことから、

田邊昭知さんが、

お前も、いつまでもスリー・ジェットじゃしょうがないだろう。明日からスパイダースにボーカルとして参加しろ

と言い、「田邊昭知とザ・スパイダース」は、堺正章さんと井上堯之さんのツインボーカルとすることにしたのだそうです。

井上順が「田邊昭知とザ・スパイダース」に加入した経緯は?

また、田邊昭知さんは、1964年2月、ジャズ喫茶「銀座ACB」に、「田邊昭知とザ・スパイダース」として出演したそうですが、その休憩中、かまやつひろしさんと一緒にブラッと外に出ると、道端で自分の靴を磨いている少年がいたそうで、

その少年が、

スパイダースに入れてください

と、声をかけてきたといいます。

実は、その少年は、当時16歳の井上順さんだったのですが、井上順さんは、当時、「野獣会」のメンバーの一員で、「野獣会」のメンバーに仕立ててもらったジャケットを着て、顔立ちも日本人離れした彫りの深いルックスだったそうで、

(田邊昭知さんは、最初、外国人かと思ったそうです)

田邊昭知さんは、井上順さんを「二枚目枠」として採用したのだそうです。

井上順
井上順さん

伊藤源雄は大野克夫と対立して「田邊昭知とザ・スパイダース」から脱退していた

こうして、1964年、「田邊昭知とザ・スパイダース」は、田邊昭知さん(ドラムス)、かまやつひろしさん(ギター ボーカル)、大野克夫さん(キーボード)、加藤充さん(ベース)、堺正章さん(ボーカル)、井上堯之さん(ボーカル)、井上順さん(ボーカル)、伊藤源雄さん(ギター)の8人となったのですが、

ギターの伊藤源雄さんが大野克夫さんと対立して脱退したそうで、田邊昭知さんは、急遽、1964年3月、井上堯之さんと堺正章さんのツインボーカルにする予定を変更して、井上堯之さんをリードギターにしたそうです。

ちなみに、ギターの腕はかまやつひろしさんの方が遥かに優れていたそうですが、井上堯之さんの腕を向上させる為、あえて井上堯之さんをリードギターにしたそうで、

井上堯之さんもそれに応え、猛練習の末、田邊昭知さんも驚くほど急速にギターの腕を上げていったそうです。

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「田邊昭知とザ・スパイダース」の名前の由来は?

ところで、「田邊昭知とザ・スパイダース」の名前の由来ですが、

かまやつひろしさんのお父さんのティーブ釜萢さんが、

蜘蛛の巣の様に世界を席巻する

という想いを込めて命名したのだそうです。

(ティーブ釜萢さんは、当時、日本ジャズ会で有名なシンガーだったそうです)

「【画像】田邊昭知の若い頃はザ・スパイダース!ヒット曲は?解散理由は?」に続く

ザ・スパイダース
「ザ・スパイダース」(左から)加藤充さん、井上堯之さん、かまやつひろしさん、堺正章さん、井上順さん、田邊昭知さん、大野克夫さん。

お読みいただきありがとうございました

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