芸能界がまだ世間に認められていなかった時代、芸能プロダクションを立ち上げ、山口百恵さん、和田アキ子さんら大物芸能人を数多く世に送り出し、日本のエンターテイメント業界を牽引してきた、堀威夫(ほり たけお)さん。
そんな堀威夫さんは、先祖が投資で財を成したという裕福な家庭に誕生し、終戦から間もない中学3年生の時、ギターを始めると、高校2年生の時にはハワイアンバンドを結成し、演奏活動に熱中したそうですが、
将来、ミュージシャンになろうと思っていた訳ではなく、高校3年生の暮れには、ハワイアンバンドを辞めて、受験勉強に励んでいたといいます。
今回は、堀威夫さんの幼少期(生い立ち)から大学時代(「ワゴン・マスターズ」で活動)までを時系列でご紹介します。

堀威夫のプロフィール
堀威夫さんは、1932年10月15日生まれ、
神奈川県横浜市の出身、
学歴は、
浅野学園高等学校(現・浅野高等学校)
⇒明治大学商学部卒業
ちなみに、「堀威夫」は本名です。
堀威夫が幼い頃は当初は裕福な家庭で何不自由なく育っていた
堀威夫さんはお父さんの貢さんとお母さんの満喜さんのもと、2人兄弟(3歳年下の弟・良衛さん)の長男として誕生すると、堀家は、もともと、投資で財産を築いた一族だったことから、幼い頃は、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。
ちなみに、堀威夫さんの祖父の兄・栄助さんは、横浜の野毛(のげ)一帯に敷地を持つ大地主で、渡り廊下にはシーソーとすべり台がある、豪壮な家に住んでいたそうですが、
堀威夫さんのお父さんもまた、絹の靴下を1回履くと捨ててしまうほどの贅沢な暮らしをするほか、慶応義塾大学在学中には、ダンスに興じるなど、とてもハイカラな人だったそうです。
堀威夫の家系図
ここで、堀威夫さんの家系図の一部をご紹介しましょう。

堀威夫さんの家系図
堀威夫は幼い頃に父親が副業で失敗して困窮し、母親が手に職をつけるため洋裁学校に通っていた
ただ、やがて、お父さんが副業で失敗し、電気も水道も止められるなど、困窮してしまったそうです。
(お父さんは、本業であるサラリーマンとしての仕事に忙しく、商売を人に任せて騙されてしまったのだそうです)
すると、お母さんが、手に職をつけようと、東京の「ドレスメーカー女学院」で洋裁の技術を身に着け、堀威夫さんが小学校に上がる頃には、洋裁学校を営むまでになったそうで、
堀威夫さんは、大人になった後、しばしば、
兄は負けず嫌いの母親、弟はおっとりした父親のDNAを受け継いだんだなあ
と、弟の良衛さんと笑い合っているといいます。
堀威夫は中学3年生の時にギターを始めていた
さておき、そんな中、成長した堀威夫さんは、中学3年生の時、この頃はまだ、終戦して間もない時期だったため、大きな音で元気が出るような音楽が多かったそうですが、
ある日のこと、もの悲しげなギターの音楽に出会い、どうしてもその曲が弾きたくなってギターを購入し、毎日、仲間を集めてギターを弾くようになったといいます。
堀威夫は高2の時にハワイアンバンドを結成するも受験勉強のため高3の暮れにはやめていた
すると、やがては、ただ弾いているだけでは物足りなくなり、誰かに聴いてもらいたいと思うようになったそうで、
1948年、高校2年生の時、仲間たちとハワイアンバンド「ワイキキ・ハワイアンズ」を結成して演奏活動を始め、お小遣いを稼ぐまでになったそうですが、この頃はまだ、将来、音楽で食べていこうとは思っていなかったそうです。
というのも、当時は、まだ、”ミュージシャン”という職業は存在しておらず、怪しいイメージがあったそうで、
堀威夫さんもギターは好きだったものの、ミュージシャンになるのは両親や親戚に申し訳ないと思い、「ワイキキ・ハワイアンズ」も高校3年生の暮れには辞め、それ以降は、受験勉強に励んだのだそうです。
堀威夫は大学進学後に再びギターを始めていた
そして、明治大学を受験すると、見事、合格したそうで、堀威夫さんは、明治大学に入学したそうですが、たまたま、授業で隣に座った同級生が高校時代にバンドをやっていたことから、意気投合したそうで、
その友達の家に遊びに行くと、その友達の従兄弟がおり、彼は、夜になるといつもギターを片手に仕事に出かけていたことから、堀威夫さんも、再びギターを弾き始めたのだそうです。
堀威夫は大学1年生の時に「ワゴン・マスターズ」に加入し米軍キャンプ巡りをしていた
すると、大学1年生の暮れには、プロのバンド「ワゴン・マスターズ」から、小坂一也さん、井原高忠さんらと共にスカウトされたそうで、
堀威夫さんは、大学4年間、「ワゴン・マスターズ」でリードギターを担当し、米軍キャンプを回るなど、とても忙しい日々を過ごしたのだそうです。
ちなみに、堀威夫さんは、その時のことを、
ちょうど朝鮮戦争の時だったんで、朝鮮半島の最前線で戦っている兵士が、休暇を過ごしに日本に来るわけです。朝鮮戦争では、日本は物資の供給地であり、兵士の休暇場所だったんです。だから兵士を楽しませに、よく米軍キャンプでライブをしました。
兵士は、普段は戦地にいるわけだから、給料は使えない。また戦争手当っていう危険手当も上積みされて、お金はたっぷり持ってた。僕たちにとっては、本当にいい時代だった。せっかくの休みだから、兵士もなかなかライブを終わらしてくれないんです。
オーバータイム払うから、もう一曲やってくれって、どんどんお金を投げ込んでくる。だからライブが終わったら、ドル紙幣がどっさり。いちいち勘定するのも面倒だから、一掴みずつメンバーがそこから取っていくっていうようなことをやってた。
と、語っています。

「ワゴン・マスターズ」時代の堀威夫さん(前列左端)。
「堀威夫の若い頃はワゴンマスターズやスイングウエストでギタリスト!」に続く
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大学卒業に伴い、伝統に従って「ワゴン・マスターズ」を辞めると、その後は、自身のバンド「キャクタス・ワゴン」を結成するも、復帰要請を受け、「ワゴン・マスターズ」に復帰したという、堀威夫(ほり たけお)さんですが、 復帰した …







