1968年、18歳の時、「星空の孤独」で歌手デビューすると、以降、歌手、タレントして活躍し、歯に衣着せぬ物言いで人気を博している、和田アキ子(わだ あきこ)さんですが、実は、和田さんは、幼い頃、お父さんによる壮絶な虐待に苦しんでいました。

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年齢は?出身は?身長は?

和田さんは、1950年4月10日生まれ、
大阪府大阪市天王寺区舟橋町のご出身、

身長174センチ、

靴のサイズは26.5センチ、

血液型はO型、

学歴は、
大阪市立真田山小学校卒業、
⇒私立城星学園中学校卒業
⇒城星学園高等学校中退
(お父さんが勝手に退学届を出したため、在学期間はわずか3日だったとか)

趣味は、
読書、パソコン、麻雀、パチンコ、競馬、ギャンブル、ゴルフ、

特技は、
料理、英会話、マッサージだそうです。

本名は?韓国人?

ちなみに、和田さんは、在日韓国人として出生した後、日本へ帰化されており、

出生名は「金福子(Kim Bokja)」
帰化前の通名は「金海福子」
現在の本名は「飯塚現子(いいづか あきこ)」(旧姓:和田)で、

愛称は、 アッコ(さん・ちゃん)、アコ(さん・ちゃん)、ゴッド(姉ちゃん・姉さん)です。

(和田さんは、「自分が日本人ではないと知ったのは中学生の頃で、区役所に行って分かった」と、『週刊文春』のインタビューで、語っておられます。)

幼少期は父親から虐待の日々

和田さんは、お父さんが済州島出身、お母さんが朝鮮半島出身の、在日韓国人2世として、4人兄弟の長女として誕生すると、幼い頃から体が大きく、小学校6年生の時には、身長が165センチもあったそうで、身長の高さを理由にいじめられることも多かったそうですが、

学校でのイジメよりも、もっと恐ろしかったのが、体重100キロ超える巨漢で柔道の師範である、お父さんの存在だったそうです。

(お父さんは、大阪環状線鶴橋駅の近所にある自宅で柔道場を開いていたそうです)

というのも、和田さんは、6歳の頃からお父さんに厳しく柔道の指導を受けていたのですが、男尊女卑の考えのお父さんは、女の子だった和田さんには、礼儀作法に厳しく、常に正座に敬語、少しでもお父さんの気に障るようなことを言ったりやったりすると、容赦なく殴られたそうで、

(3人の弟には暴力を振るうことはなかったそうです)

ある日のこと、和田さんは、お父さんにベルトで殴られると、バックルが下唇を貫通。それでもお父さんに、「ボケッ、コラ」と言われながら、殴られ続け、その後、貫通したまま、泣きながら病院に行ったこともあったといいます。

(今でもその傷跡が残っているそうです)

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中1で家出~中2で不良番長に

こうして、お父さんからの虐待を受け続けた和田さんは、一家団欒(だんらん)を知らずに育ったため、テレビでホームドラマを見るたびに、優しいお父さんがいる温かい家庭に憧れたそうで、

ある日のこと、お父さんからの暴力に耐えかねて、

これが本当の愛情というものなのか?

一体なぜ、父はこれほどまで自分に厳しく接するのか

と、自問自答した末、

私は本当にお父さんの子供ですか? いつか、あんたが寝ている間に包丁で刺し殺して、私も死んだる!

と、お父さんに訴えると、

なんと、お父さんからは、

おう、やってみいや、お前、先に殺してやるから

と、言われたとか。

このことをきっかけに、和田さんは、ますますお父さんに反発するようになり、中学1年生の時、家を飛び出して、大阪・ミナミの繁華街や友人の家を泊まり歩くようになると、

やがては、非行に走り、気に食わない相手がいると、自分から因縁をつけ、手当たり次第にケンカする日々を送るようになり、

家出をして1年後、中学2年生にして、大阪の繁華街では知らぬ者がいないほど有名な「不良番長」となったのでした。

ちなみに、和田さんは、喧嘩の際、相手を道頓堀川に投げ飛ばすと、翌日、死体で上がっていないか、朝刊をチェックしていたといいます。

「和田アキ子の若い頃は不良番長ながらスカウトされ歌手デビュー!」に続く

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