1960年に「堀プロダクション(現・ホリプロ)」を設立すると、1962年には、高校生だった舟木一夫さんを見出して、デビュー曲「高校3年生」を大ヒットさせ、1966年には、「ザ・スパイダース」の「夕陽が泣いている」が大ヒット、

また、1971年~1972年には、オーディション番組「スター誕生!」で獲得した、森昌子さん、山口百恵さんらを大ブレイクさせ、現在の「ホリプロ」の礎を築き上げた、堀威夫(ほり たけお)さん。

今回は、そんな堀威夫さんの、若い頃(「堀プロダクション(現・ホリプロ)」設立以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

堀威夫

「堀威夫が若い頃は東洋企画でクーデターに遭い事務所を解雇されていた!」からの続き

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堀威夫は28歳の時に「堀プロダクション(現・ホリプロ)」を設立していた

「東洋企画」では、谷富次郎氏ほか仲間たちの裏切りに遭い、ショックに打ちひしがれたという堀威夫さんですが、

スターに育て上げた守屋浩さんがついてきてくれ、弟分だった田邊昭知さんも「スイング・ウエスト」を飛び出す形で駆けつけてくれたことから、ほのかな希望を見出すことができたそうで、

堀威夫さんは、1960年秋の終わり頃、(電話が設置されていた)守屋浩さんのアパートの部屋を事務所代わりにして、田邊昭知さんと共に急ピッチでプロダクション設立の準備を始めると、

それかっら約2週間後には、堀威夫さん、田邊昭知さん、守屋浩さんの3人のほか、経理担当と総務担当を加えた5人を発起人として、「堀プロダクション(現・ホリプロ)」を設立したそうです。

堀威夫と守屋浩
守屋浩さん(左)と堀威夫さん(右)。

ちなみに、初期の所属タレントは、守屋浩さんのほか、「田邊昭知とザ・スパイダース」、かまやつひろしさん、ポール聖名子さん、斎藤チヤ子さん、「チャーリー脇野とゲイ・ポップス・オーケストラ」、「北村英治クインテット」だったそうですが、

安定して収入を上げることができたのは守屋浩さんのみで、

(当初は、事務所である「堀プロダクション」が所属タレントの守屋浩さんに前借りしていたそうです)

「田邊昭知とザ・スパイダース」もまだ、田邊昭知さん以外のメンバーは定まらず、

谷富次郎氏がオーナーのジャズ喫茶「ACB」への出演はもちろん、「渡辺プロダクション」の息のかかったジャズ喫茶にも出演することが出来ず、あまりにも心もとないスタートとなったそうです。

堀威夫は29歳の時に舟木一夫をスカウトして「堀プロダクション(現・ホリプロ)」を上昇気流に乗せていた

そんな中、月給を払うためには、守屋浩さんの地方巡業だけでは足りず、堀威夫さんは、高利で借金をしていたそうですが、

(税金も払えない状態だったそうです)

「堀プロダクション」を設立して約2年が過ぎた頃、「週刊明星」の親しい記者が、

名古屋に歌が上手い子がいる

と、その子の連絡先を教えてくれたそうで、

その記者によると、1962年3月、名古屋のジャズ喫茶で、松島アキラさんのショーを取材した際、

司会者の、

一緒に歌う人はいませんか

という呼びかけに、飛び入りで歌った高校生ということで、

堀威夫さんは、早速、その高校生に歌を録音して送るように手紙を出したのだそうです。

(実は、その高校生は、司会者の呼びかけに対し、一緒に来ていた友人に左手を掴まれて挙げさせられたそうですが、クラシック音楽を学んでおり、1ヶ月前には、地元ののど自慢番組「歌のチャンピオン」に出演して、チャンピオンに輝いていたのでした)

すると、送られてきたテープは、松島アキラさんの「湖愁」という曲で、伴奏の部分はレコードからオーケストラの音を録り、歌の部分はアカペラで歌ったものを、1番、2番、3番とツギハギし、リズムを狂わせずに歌い切っていたそうで、

堀威夫さんは、その几帳面さに心を動かされ、すぐに愛知県一宮にスカウトに向かったのだそうです。

(当時は、少し売れると、ルーズさを売り物にする風潮が蔓延(まんえん)していたそうで、堀威夫さんは、かねてより、それを「おかしい」と思っていたそうです)

すると、この高校生・上田成幸君(後の舟木一夫さん)は、クラシックの道に進ませたいというお父さんの反対を押し切り、愛知県一宮から上京してきたそうで、

堀威夫と舟木一夫
舟木一夫さん(左)と堀威夫さん(右)。

堀威夫さんは、上田成幸君を「舟木一夫」として、(堀威夫さんのアイディアで)学生服を着せ、1963年3月、「高校3年生」でデビューさせると、「高校3年生」は、瞬く間に大ヒット。

「高校3年生」
「高校3年生」

さらに、同年9月には「修学旅行」、10月には「学園広場」と、「学園三部作」として立て続けにリリースすると、どちらも大ヒット。

「修学旅行」
「修学旅行」

「学園広場」
「学園広場」

そして、同年秋に公開された、舟木一夫さん主演の大映映画「高校三年生」も空前のブームを巻き起こす大ヒットとなるほか、「第5回レコード大賞」の新人賞にも輝くなど、舟木一夫さんの人気は凄まじく、

ついに、「堀プロダクション」も上昇気流に乗ることができたのだそうです。

また、それと同時に、舟木一夫さんの大ヒットは、周囲の裏切りなどで失いかけていた堀威夫さんの自信も蘇らせてくれたのだそうです。

(ちなみに、その後、舟木一夫さん、橋幸夫さん、西郷輝彦さんの3人は「御三家」と呼ばれ、日本中にブームを巻き起こすスーパーアイドルとなるのですが、奇しくも3人共「渡辺プロダクション」には所属しておらず、「御三家」ブームは、当時、絶対的なタレント層を誇っていた「渡辺プロダクション」に大打撃を与えた最初の一撃となったのでした)

「御三家」
(左から)舟木一夫さん、橋幸夫さん、西郷輝彦さん。

堀威夫は33歳の時に「ザ・スパイダース」の「夕陽が泣いている」が120万枚超の大ヒットとなり「ホリプロダクション(現・ホリプロ)」のピンチを乗り越えていた

しかし、そんな舟木一夫さんも入社9ヶ月で独立すると、かねてから稼ぎ頭だった守屋浩さんも飲酒運転で事故を起こして謹慎となるなど、「堀プロダクション」は、再び、ピンチを迎えてしまったといいます。

そんな中、共に「堀プロダクション」を設立した田邊昭知さんが、1964年2月に「田邊昭知とザ・スパイダース」のメンバーを一新し、1965年5月に「フリフリ」でレコードデビューするも、売り上げは芳しくなく、その後も、シングルを次々リリースするも、どれも鳴かず飛ばだったそうですが、

ある日のこと、堀威夫さんが、お酒の席で、歌謡界のヒットメーカー・浜口庫之助さんの、

堀君、夕焼けというのは、お陽さまが泣いているんだよ

という言葉を聞き、

そのロマンチックな一言に感動したそうで、

すぐに、それを元にした楽曲の制作を浜口庫之助さんに依頼し、出来た楽曲「夕陽が泣いている」を、1966年9月、「ザ・スパイダース」の7枚目のシングルとしてリリースすると、なんと、売上120万枚を超える大ヒットとなったのでした。

「夕陽が泣いている」
「夕陽が泣いている」

堀威夫は39歳~40歳の時に「スター誕生!」で森昌子と山口百恵を獲得し大ブレイクさせていた

そんな堀威夫さんは、1971年には、同年に始まったオーディション番組「スター誕生!」で、初代グランドチャンピオンに輝いた森昌子さんを獲得すると、デビューと同時に大ブレイクし、

「せんせい」
「せんせい」

1972年にも、「スター誕生!」から山口百恵さんを獲得すると、またしても、大ブレイクとなっており、

「イミテイション・ゴールド」
「イミテイション・ゴールド」

「ホリプロダクション」(1963年に「堀プロダクション」より改称)の経営を強固なものにしています。

ちなみに、特に、山口百恵さんのブレイクは凄まじく、レコードはヒットを連発し、映画も主演作11本全て成功しており(1本平均200万人を動員し計110億円もの配給収入を記録)、

山口百恵さん一人で年間約10億円、当時の「ホリプロダクション」の全売上の22%を稼ぎ出していたといいます。

堀威夫は43歳の時に「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を開始し榊原郁恵らを輩出していた

さらに、堀威夫さんは、1975年、43歳の時には、次なる一手として、自社主催の「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を開始すると、

このプロジェクトは、単なる新人発掘にとどまらず、「ホリプロ」という社名を全国津々浦々まで浸透させることを基本コンセプトとして、マスメディアを駆使した大々的なキャンペーンを展開しているのですが、

(「ホリプロ」第1号タレントであった元スターの守屋浩さんを現役引退させ、役員(裏方)として共に全国を回らせるという、異例の体制で臨んだそうです)

当時は、「スター誕生!」が全盛期だったことから、”森昌子や山口百恵を育てたプロダクション”という圧倒的なブランド力は、全国のタレント志望の少年少女にとって大きな魅力となり、結果として応募が殺到したそうで、

初代チャンピオンの榊原郁恵さんをはじめ、次世代のスター発掘に次々と成功し、「ホリプロ」(1990年に「ホリプロダクション」から改称)は芸能界における不動の地位を築き上げたのでした。

榊原郁恵
当時の榊原郁恵さん。

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堀威夫の現在は?

そんな堀威夫さんは、2008年、76歳の時には、「ホリプロ」のファウンダー最高顧問に就任すると、「ホリプロ」創立60周年を迎えた2020年6月、87歳の時には、「ホリプロ」から完全に退いています。

ちなみに、その後は、心身統一合氣道会で稽古を続けるほか、2021年1月、88歳の時には、Youtubeの「心身統一合氣道会」公式チャンネルで藤平信一会長と対談しており、高齢にもかかわらず、まだまだ、元気な姿を見せています。

「堀威夫が人気絶頂の山口百恵の結婚&引退を快諾した理由とは?」に続く

堀威夫と藤平信一の対談

お読みいただきありがとうございました

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