「君だけを」「星のフラメンコ」など、数々のヒット曲を連発し、橋幸夫さん、舟木一夫さんとともに、「御三家」としてブレイクすると、「江戸を斬る」「水戸黄門」などの時代劇シリーズで俳優としても人気を博し、近年は、タレントとしてバラエティ番組にも引っ張りだこの、西郷輝彦(さいごう てるひこ)さん。今回は、そんな西郷さんの少年時代をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

西郷さんは、1947年2月5日生まれ、
鹿児島県鹿児島郡谷山町(現在の鹿児島市)のご出身、

身長176センチ、
体重66キロ、

血液型はA型、

学歴は、
谷山市立谷山小学校
⇒谷山市立谷山中学校
⇒鹿児島商業高校中退

趣味は、
読書、パソコン(Mac)、美術品鑑賞、陶芸、絵画、写真、ゴルフ、

だそうです。

本名は?芸名の由来は?

西郷さんの本名は「今川盛揮(いまがわ せいき)」で、占いに詳しかったお父さんが、幾晩か寝ずに画数などを調べてつけてくれたそうです。

また、芸名の「西郷輝彦」は、明治維新の三傑の一人で、西郷さんが尊敬する、郷土の英雄・西郷隆盛から付けられたそうです。

さらに、西郷さんは、「我修院建吾(がしゅういん けんご)」のペンネームで作詞もされているのですが、「我修院」は、アメリカの作曲家・ガーシュインをもじって付けられたそうです。

両親は駆け落ちして結婚していた

西郷さんのお父さん・今川盛智(いまがわ せいち)さんは、鹿児島の出身だったそうですが、「村上呉服店」という大きな呉服屋の北九州支店を任されていたことから、単身赴任で北九州市に住んでいたそうです。

一方、お母さん・フサ子さんは、宮崎の大きな帽子屋の娘で、鎧兜(よろいかぶと)がたくさん並べてあるような、大きなお屋敷のお嬢様だったそうですが、盛智さんが呉服の営業でその屋敷に出入りしていたことがきっかけで知り合われると、ほどなくして二人は恋に落ちたそうで、

なんと、盛智さんはフサ子さんを連れて、鹿児島に逃げ(いわゆる駆け落ち)鹿児島で結婚したのだそうです。

両親は仲が良かった

そんなお二人(両親)は、末っ子の西郷さんから見ても、たくさんの会話を交わすことなく、「あ・うん」の呼吸で分かり合える、見ていて羨ましいほど、仲睦まじい夫婦だったそうで、

西郷さんは、著書「生き方下手」で、

カッコいいとしか言いようがない。今みたいな時代ではないし、ましてや九州の片田舎。そういうこと(駆け落ち)をすることが、どれほど勇気が必要なことだったか。ぼくは年頃になってから知ったが、その話を聞いたときは正直、驚いた

と、綴っておられます。

(盛智さんは、単身赴任で1ヶ月に1日帰ってくるかどうかという程、鹿児島の家には滅多に戻ってこなかったそうですが、呉服の営業をするかたわら、衣料関係のお店も営んでいたそうで、フサ子さんは、そんな盛智さんに代わって、お店を切り盛りし、余計なことは一切言わずに黙々と働いていたそうです。)


生き方下手

少年時代は2人の兄に影響を受けて育つ

さて、西郷さんは、そんな両親のもと、4人兄弟(兄2人・姉1人)の末っ子として誕生すると、小学校時代は、近所の人たちを呼んで、自身で作った紙芝居を披露したり、小林旭さんのマネをして、ギターを弾きながら歌を歌うほか、チャンバラが好きな、活発で目立つことが好きな少年だったそうです。

また、2番目のお兄さん・雅博(まさひろ)さんがスポーツマンだったことから、水泳、自転車、野球、鉄棒と体を動かすことはすべて教えてもらい、雅博さん同様、スポーツが好きな少年だったそうです。

さらに、一番上のお兄さん・勝晶(かつあき)さんが、地元のジャズドラマーとして活動されていたことから、西郷さんは幼い頃、洋楽(アメリカのジャズやロックなど)を聴かせてもらったそうですが、

そのうち、勝晶さんが叩くドラムを見様見真似で覚えるなど、自分の心の中を音楽があっという間に占拠していき、たちまち音楽に夢中になったそうです。

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歌手を夢見るようになる

そんな中、西郷さんは、勝晶さんがアルバイトでドラムを叩いていたダンスホールに出向いては、本物のドラムセットでドラムを叩くようになったそうですが、

ちょうどその頃、エルヴィス・プレスリーが衝撃的なデビューを果たし、日本でも一大ブームを巻き起こしていたことから、ドラムは続けてはいたものの、歌が歌いたいと、いつしか歌手を夢見るようになったそうで、

やがてその夢は、

音楽をやりたい、歌いたい、いつか兄とバンドを組んでプロになりたい

という願望へと変わり、目標へと変わっていったのだそうです。

「西郷輝彦は少年時代に2人の兄を相次いで亡くしていた!」に続く

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