音楽が好きでジャズドラマーとして活動していた1番上のお兄さんと、スポーツマンだった2番目のお兄さんの影響を受け、音楽好きで、運動が得意という、活発な少年に育った、西郷輝彦(さいごう てるひこ)さんですが、その敬愛する2人のお兄さんは次々と亡くなっていたといいます。

「西郷輝彦の少年時代は兄の影響で歌手を夢見ていた!」からの続き

Sponsored Link

小3の時に2番目の兄が突然他界

2人のお兄さんに大きな影響を受けつつ、すくすくと育った西郷さんですが、西郷さんが小学3年生(9歳)の時には、2番目のお兄さん・雅博(まさひろ)さんが「日射病」(今でいう熱中症)で突然他界してしまったそうで、

西郷さんは、毎日一緒に遊んでいたお兄さんの突然の死に大変なショックを受け、

著書「生き方下手」で、

九歳といえば、そろそろ自我の意識が目覚める年齢。自分の身近で初めてともいえる「人間の死」を目の当たりにしたぼくは、当然、大きなショックを受けた。

昨日まで一緒に遊んだ人間があっけなく死んでしまうその様が、ぼくにひとつ、翳(かげ)りを与えた。

と、綴っておられます。


生き方下手

中3の時に1番上の兄が突然他界

また、その6年後、西郷さんが中学3年生(15歳)の時には、西郷さんの憧れの存在だった、1番上のお兄さん・勝晶(かつあき)さんが20歳という若さで他界。

6月の台風が去った直後のある日のこと、海が大好きだった勝晶さんは、風が収まるのを待ちきれず、大学の仲間数人と舟を出し、釣りに出かけたそうですが、ほどなくして、舟が強風にあおられてひっくり返り、友人たちは自力で岸にたどり着いて助かるも、勝晶さんだけは戻らなかったのでした。

(西郷さんによると、勝晶さんは「小児麻痺」の後遺症により体が不自由で、同年齢の人に比べて体力もなかったそうです)

Sponsored Link

兄の友人たちを激しく責め立てていた

その時、西郷さんは、家にはおらず友達の家にいたそうで、その知らせを血相を変えて呼びに来てくれた近所の人に聞き、海にすっ飛んでいったそうですが、そこには、横たえられた勝晶さんの遺体があったそうで、

(波はすでに収まっており、自分の気持ちとはまったく正反対の静かな海だったそうです)

最初は、二度と息を吹き返すことのないお兄さんの変わり果てた姿に、

そんなはずはない

ウソに決まっている

と、信じることができなかったそうですが、

やがて、海に一緒に出かけた勝晶さんの友人たちが誰も口をきけずに黙っていたことに、我慢できなくなり、

なんで助けなかったんだ!あんたらだけが助かって!どういういことなんだ!兄貴の身体が弱いことを知っていたんだろッ!

と、叫びながら、うつむいたままの友人たちに食ってかかったそうで、誰がどのように止めてくれたのか覚えていないほど激昂したのだそうです。

というのも、これまで、憧れ、目標にし、支えにしていた勝晶さんの存在は、10代半ばの西郷さんにとって、とても大きな存在だったことから、目の前が真っ暗になり、これから、どうしていいのか分からなくなってしまっていたのでした。

(ただ、後に西郷さんは、どうすることもできなかった友人たちを、感情の高ぶりのままに激しく責めたことについて、申し訳なく思っていると語っておられます)

「西郷輝彦は高1の時に音楽で生きる決意をしていた!」に続く

Sponsored Link