「人間の條件」「用心棒」「切腹」など、時代劇、現代劇を問わず、黒澤明監督や小林正樹監督に次々と起用され、その後も順調に俳優としてのキャリアを積まれた、仲代達矢(なかだい たつや)さん。1975年には、若手育成のため、「無名塾」を設立されています。

「仲代達矢は黒澤監督の「用心棒」を「七人の侍」の腹いせに断っていた!」からの続き

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新進俳優の代表格として

黒澤明監督や小林正樹監督といった巨匠の作品に次々と出演し、強烈な存在感を示した仲代さんは、

その後も、

「憂愁平野」(1963年)
「怪談」(1964年)
「四谷怪談」(1965年)
「大菩薩峠」(1966年)
「上意討ち拝領妻始末」 (1967年)
「殺人狂時代」(1967年)


「大菩薩峠」より。仲代さんと新珠三千代さん。

など、時代劇から現代劇まで幅広く出演し、斜陽化してきた日本映画産業を支える新進の代表格として活躍するほか、引き続き、舞台俳優としても活躍し、「俳優座」の看板俳優として、演劇界でも地位を確立されます。

「華麗なる一族」「不毛地帯」の演技が高く評価される

そして、1974年には、高度経済成長を背景に、大富豪の銀行家一族を軸に、政財界にわたり富と権力を追い求める人々の野望と愛憎を描いた、山崎豊子さんの同名小説を原作とする山本薩夫監督作品「華麗なる一族」で、準主役である万俵敬介と万俵鉄平の一人二役を演じられると、

映画は配給収入4億2000万円を記録し、1974年度の邦画配給収入ランキング第4位となる大ヒットを記録。


「華麗なる一族」より。

また、1976年にも、同じく山崎さんの同名小説を原作とする山本薩夫監督作品「不毛地帯」で主人公・壱岐正役を演じられると、配給収入5億7700万円の大ヒットを記録し、仲代さんの演技も高く評価されたのでした。


「不毛地帯」より。仲代さん(左)と田宮二郎さん(右)。

「無名塾」は授業料無料で後進の育成

そんな仲代さんは、1975年、

厳しい競い合いで、レベルの高い、魅力のある俳優をこの国で育てたい。

との思いから、奥さんの宮崎恭子さんと「無名塾」を創立。

この名前の由来は、俳優として成功し、「自分の芸に手垢がついているかもしれない」と感じた時、初心に立ち戻るための場所であり、そして、そこに、「もう一度無名になった気持ちで戻ってこい」という意味から名付けられたそうで、

この塾は、塾生から授業料を受け取らず、国や企業からの援助も一切受けず、すべてを仲代さんが担っておられるのだそうです。

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「無名塾」出身の俳優は?

ちなみに、仲代さんは、

入塾を希望してくるのは、高校生も含めてみな無名ですから、私たちは真剣に才能を見極める審査をし、3年間懸命に向き合います。

この期間で、舞台の上手(かみて)から下手(しもて)へ、普通に歩くことができるように、 正しく美しい日本語が話せるようにしなくてはなりません。

俳優の力、そういう基礎をおろそかにすると、観客に伝わらないのですが、それが何とか身につくのに3年くらいはかかるということなのです。

残念なことなのですが、プロになってからも、「売れないかな、売れないかな」と、キョロキョロするだけで終わっていく俳優は多い。

私は五十数年もこの世界にいますが、 優秀な新人が出てきたと期待されていても、一時の売れたい願望による使われ方と運の悪さ、 そして、そんなことに気をとられ、この努力をさぼっているうちに、落ちていく俳優を随分と見てきました。

と、語っておられるのですが、

実際、「無名塾」は、神崎愛さん、隆大介さん、役所広司さん、益岡徹さん、田中実さん、若村麻由美さん、真木よう子さん、滝藤賢一さんほか、数多くの俳優を世に輩出しており、仲代さんの「後進へ演劇を引き継ぎたい」という情熱はしっかりと実を結んでいます。

「仲代達矢の影武者は勝新太郎の代役でカンヌ国際映画祭グランプリ!」に続く

(前列左から)宮崎恭子さん、仲代さん。(後列左から)隆大介さんさん、役所広司さん。

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