1963年、「ダニー飯田とパラダイス・キング」のボーカルとして、シングル「シェリー」でデビューすると、たちまち大ヒットを記録して注目を集め、

1967年には特撮ドラマ「コメットさん」の主役に抜擢されると、元気いっぱいの演技で絶大な人気を博して、紅白歌合戦の司会も務めるなど、歌手・女優として活躍した、九重佑三子(ここのえ ゆみこ)さん。

今回は、九重佑三子さんの若い頃(歌手デビュー)から現在までのヒット曲や経歴を時系列でご紹介します。

九重佑三子

「九重佑三子の生い立ちは?中学高校は体操部!16歳の時にスカウトされていた!」からの続き

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九重佑三子は16歳の時に「ダニー飯田とパラダイス・キング」としてデビュー曲「シェリー」が大ヒット

1962年、16歳にして、「ダニー飯田とパラダイス・キング」にボーカルとして加入した九重佑三子さんは、1963年2月には、「シェリー」でレコードデビューを果たしているのですが、いきなり大ヒットを記録し、たちまち注目を集めています。

「シェリー」
「シェリー」

九重佑三子は18歳の時に「ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー」として「ワシントン広場の夜は更けて」が大ヒット

そして、その後も、九重佑三子さんは、「ダニー飯田とパラダイス・キング」として、

  • 「恋はやせがまん」
    「恋はやせがまん」
    「恋はやせがまん」
  • 「ポッカリ歩こう」
    「ポッカリ歩こう」
    「ポッカリ歩こう」
  • 「レッツゴー・ステディ・アゲン」
    レッツゴー・ステディ・アゲン
    「レッツゴー・ステディ・アゲン」
  • 「ミスター・ベースマン」
    「ミスター・ベースマン」
    「ミスター・ベースマン」

と、立て続けにシングルをリリースすると、

翌年の1964年には、「ワシントン広場の夜は更けて」が大ヒットを記録したのでした。

「ワシントン広場の夜は更けて」
「ワシントン広場の夜は更けて」

九重佑三子は21歳の時に特撮テレビドラマ「コメットさん」で主人公のコメットさん役に抜擢され絶大な人気を博していた

そんな九重佑三子さんは、同年(1964年)、独立してソロ活動を開始しているのですが、1967年、21歳の時、特撮テレビドラマ「コメットさん」で主人公のコメットさん役に抜擢されると、

宇宙の彼方から地球にやってきて、お手伝いさんとして住み込みで働きながら、人々のあらゆる悩みを魔法で解決する、魔法使いコメットさんを元気いっぱいに演じて、子どもたちを中心に絶大な人気を博し、

(当時、所属していた事務所の社長が、洋画の「メリー・ポピンズ」を観て、「日本でもこういう夢のある作品をやらなきゃ」と、構想を練っていたところ、九重佑三子さんがぴったりだと抜擢したのだそうです)

同年(1967年)には、当時史上最年少(21歳)で「第18回NHK紅白歌合戦」の紅組の司会を務め、

1968年には、「コメットさん」での演技と「NHK紅白歌合戦」「ファミリー・ショー」の司会で、「第5回ギャラクシー賞」を受賞しています。

「コメット」さん

九重佑三子が21歳の時は超過密スケジュールで寝る時間も僅かだった

そんな九重佑三子さんは、当時、ドラマを含む7本のレギュラー番組を掛け持ちしていたそうで、

「コメットさん」の特撮は、ほかの通常の撮影が終わった夜の9時くらいから撮影が始まったそうですが、

「コメットさん」は特撮でしたから、1コマ1コマ時間をかけ、丁寧に撮っていました。ペットのベータンにちょっと手が触れる場面でも、その手を離すことができず、ベータンの人形を置いたまま1コマずつ、7時間くらい一緒に撮影したんですよ。

空を飛ぶ場面でも、私はライトに吊(つ)るされたまま。トイレに行きたい時しか下ろしてくれなくて。照明は熱いし、もうスルメみたいになっちゃいますよ(笑)。

と、特に大変だったそうで、

ようやく、深夜2時くらいに終わって帰宅すると、1時間後には朝のロケの準備に入る、という過密スケジュールだったといいます。

(寝る時間をどうやって捻出していたのか、思い出せないほど忙しかったそうです)

九重佑三子のシングル(ソロ)

それでは、最後に、九重佑三子さんのシングルをご紹介しましょう。

ソロでは、

  • 1963年「愛しているなら食べて」
    「愛しているなら食べて」
    「愛しているなら食べて」
  • 1964年「レモン片手に」
  • 1965年「ポプラの木陰で」
  • 1965年「君に涙とほゝえみを」
  • 1965年「ある日ある時」
  • 1965年「チム・チム・チェリー」
    「チム・チム・チェリー」
    「チム・チム・チェリー」
  • 1966年「抱きしめて」
  • 1966年「しあわせ」
  • 1966年「涙こらえて」
  • 1967年「悲しきエコー」
  • 1967年「銀座アフタヌーン」
  • 1967年「別れのサンタモニカ」
    「別れのサンタモニカ」
    「別れのサンタモニカ」
  • 1968年「バイ=ヤン・パム・パム」
  • 1968年「チュール・チュ・チュ」
  • 1968年「コメットさん」
  • 1968年「恋のゆりかご」
  • 1969年「私の心はとてもちいさい」
  • 1969年「青空をかえして」
    「青空をかえして」
    「青空をかえして」
  • 1969年「高校時代」
  • 1969年「咲いたひらいた」
  • 1969年「愛の世界」
  • 1969年「きいろいタンポポ」
  • 1970年「うちあけばなし」
  • 1970年「くちづけからもう一度」
  • 1971年「天使が汽車でやってくる」
  • 1972年「どうせ生きてゆくなら」
    「どうせ生きてゆくなら」
    「どうせ生きてゆくなら」
  • 1972年「また一人」
  • 1998年「帰って来るのは~ここよ~」
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九重佑三子のシングル(デュエット)

デュエットでは、

  • 1965年「幸せのうた」(坂本九さん)
    「幸せのうた」
    「幸せのうた」
  • 1987年「男と女のラブゲーム」(田辺靖雄さん)
  • 1997年「FOREVER GOLD」(田辺靖雄さん)
  • 1999年「帰って来るのは」(田辺靖雄さん)
  • 2005年「いっしょ」(漣健児さん)
    「いっしょ」
    「いっしょ」
  • 2011年「久しぶりMy Love」(田辺靖雄さん)
  • 2014年「明日がまだある」(田辺靖雄さん)
  • 2019年「夢の季節をはなれても」(田辺靖雄さん)
    「夢の季節をはなれても」
    「夢の季節をはなれても」

などと、数多くのシングルをリリースしています。

「九重佑三子が告白した「目の整形」と「男性遍歴」記事の驚くべき真相とは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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