九重佑三子の若い頃はシェリー?初代コメットさんでブレイク!


1962年、スカウトされて「ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー」にヴォーカルとして加入されると、翌年の1963年にはシングル「シェリー」が大ヒットを記録し、たちまち注目を集められた、九重佑三子(ここのえ ゆみこ)さん。さらに、1967年には、特撮テレビドラマ「コメットさん」の主演に抜擢され、絶大な人気を博すのですが・・・

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

九重さんは、1946年3月21日生まれ、
東京都台東区上野桜木のご出身、

身長163センチ、

血液型はA型、

学歴は、
私立十文字中学校
⇒私立十文字高校中退

特技は、書道、

ちなみに、
本名は田邊裕子(旧姓・安藤)です。

幼少期~高校時代

九重さんは、生まれた時、へその緒が首に3重に巻き付いた状態で、
呼吸をしておらず、産婆からは「死産です」と言われたそうですが、

お父さんが赤ん坊である九重さんを手に持ち、
大声で喝を入れるやいなや、(背中を叩いて「気」を入れたという説も)
産声をあげ、奇跡的に助かったそうです。

ちなみに、お父さんは、元陸軍大佐で、剣道、柔道ともに有段者なうえ、
日本有数の書道塾「日本書道院」の2代目として書道教室を運営されるなど、
文武両道な人物だったそうで、

そのため、娘である九重さんも、小学校時代には、書道、柔道、剣道を習い、
小学6年生の時には、書道で「東京都知事賞」を受賞されています。

また、中学・高校時代には体操部に入部し、地区大会で上位入賞を果たすほどの腕前で、
将来は体操の先生になりたいと思われていたそうですが、

高校2年生の時、練習中に平均台から落下して、
背骨を脱臼するという大怪我をしてしまい、医師からは、

一生、腰から下のギブスをする必要がある

と、診断されてしまうのですが、
東洋医学を頼り、見事、治癒されています。

「ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー」に加入~「シェリー」で人気

そんな九重さんですが、1962年、16歳の時、
お姉さんの友人に頼まれ、「ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー」
後援会発足のパーティーの手伝いをしていると、

君は変った声をしてるね

と、ダニー飯田さん本人にスカウトされ、
「ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー」にヴォーカルとして加入。

(「ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー」は1955年に結成後、
 ヴォーカルが脱退と加入を繰り替えし、1958年には坂本九さんが加入されるも、
 1961年にはソロとなられたため、ダニーさんはその後任を探されていました。)
翌年の1963年、「シェリー」でレコードデビューを果たすと、
いきなり大ヒットを記録し、たちまち注目を集めます。


「シェリー」

そして、その後も、

「恋はやせがまん」
「ポッカリ歩こう」
「レッツゴー・ステディ・アゲン」
「ミスター・ベースマン」

と、立て続けにシングルをリリースすると、

翌年の1964年には、「ワシントン広場の夜は更けて」
でも大ヒットを記録したのでした。


「ワシントン広場の夜は更けて」

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「コメットさん」でブレイク

そして、同年には独立し、ソロで活動し始められると、
1967年には、特撮テレビドラマ「コメットさん」で主人公のコメットさん役に抜擢。

当時、所属していた事務所の社長が、洋画の「メリー・ポピンズ」を観て、
「日本でもこういう夢のある作品をやらなきゃ」と、構想を練っていたところ、
九重さんがぴったりだと思っての抜擢だったそうで、

九重さんは、宇宙のかなたから地球にやってきて、お手伝いさんとして、
住み込みで働きながら、人々のあらゆる悩みを魔法で解決する、
魔法使いコメットさんを元気いっぱいに演じられると、
子どもたちを中心に絶大な人気を博します。

ただ、九重さんいわく、撮影は大変だったそうで、

「コメットさん」は特撮でしたから、
1コマ1コマ時間をかけ、丁寧に撮っていました。

ペットのベータンにちょっと手が触れる場面でも、
その手を離すことができず、ベータンの人形を置いたまま1コマずつ、
7時間くらい一緒に撮影したんですよ。

 
空を飛ぶ場面でも、私はライトに吊(つ)るされたまま。
トイレに行きたい時しか下ろしてくれなくて。
照明は熱いし、もうスルメみたいになっちゃいますよ(笑)。

と、通常の撮影が終わった夜の9時くらいから特撮が始まり、
深夜2時くらいに終わって帰宅すると、1時間ほどで朝のロケの準備に入る、
という過密スケジュールで、寝る時間をどうやって捻出していたのか、
思い出せないほど忙しかったそうです。

(九重さんは、当時、ドラマを含む7本のレギュラー番組を掛け持ちされていました)

そして、このコメットさんでの人気から、同年、「第18回NHK紅白歌合戦」では、
当時史上最年少(21歳)で紅組の司会を務められると、1968年には、
「コメットさん」での演技と「NHK紅白歌合戦」「ファミリー・ショー」の、
司会に対して、「第5回ギャラクシー賞」を受賞されたのでした。

しかし、そんな順調満帆な九重さんに、
突如、スキャンダルが・・・

「九重佑三子が黒澤久雄ほか男性遍歴と目の整形をカミングアウト!
に続く

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