1949年、「影を慕いて」の端役で映画デビューして以来、70年以上に渡り、数多くのテレビドラマや映画に出演している、香川京子(かがわ きょうこ)さん。今回はそんな香川さんの生い立ちや女優デビューした経緯などをご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
香川さんは、1931年12月5日生まれ、
茨城県行方郡麻生町(現・行方市)の出身、
身長162センチ、
体重45キロ、
学歴は、
東京都立第十高等女学校卒業、
ちなみに、「麻生町」は香川さんの母方の実家で、生家は現在の麻生陣屋大通り商店街という所にあった「大黒屋」という旅館だったそうですが、現在はないそうです。
(「大黒屋」には、麻生藩校精義館(せいぎかん)で学んだ名士たちがよく訪れていたそうです)
本名は?芸名の由来は?
香川さんの本名は池辺香子(いけべ きょうこ)(結婚後は牧野香子)なのですが、映画会社で用意された芸名がしっくりこなかったそうで、
本名の「香」と言う文字をどうしても使いたかったこともあり、「きょうこ」という読みでもある、「香川京子」という芸名を、香川さんと家族で考えたのだそうです。
少女時代は裕福な家庭で育つ
さておき、香川さんは、「大阪商船欧州航路」の機関士だったお父さんのもとに誕生すると、生まれてすぐに、お父さんの仕事の都合で兵庫県芦屋市に移り住み、1937年、6歳の時には、東京市豊島区池袋(現・東京都豊島区)に転居すると、
その後、戦時中は茨城県へ疎開し、終戦後の1945年10月に東京に戻ると、閑静な住宅街でピアノを習う等、裕福な少女時代を過ごしたそうです。
「ニューフェイス・ノミネーション」で応募者6000人の中から合格し映画界へ
そんな中、香川さんは、バレエ「白鳥の湖」を観てバレリーナに憧れたそうで、高校卒業後は、バレリーナを目指そうとしたそうですが、専門家からは、バレリーナを目指すには遅すぎると指摘されたそうで、高校卒業後の進路をどうしようかと考えあぐねていると、
ちょうどその時、東京新聞が各映画会社と協賛した新人発掘イベント「ニューフェイス・ノミネーション」の募集をしている新聞記事が目に止まったそうで、応募すると、応募者約6000人の中から見事合格。
実は、この時、一般企業の入社試験も同時進行で受けていたそうで、その最終面接と「ニューフェイス」のカメラテストの最終試験が重なったそうですが、お母さんのアドバイスもあり、女優の道に進むことを決断したのだそうです。
「影を慕いて」の端役で映画デビュー
その後は、叔父で「新東宝」の宣伝課長だった、永島一朗さん(のちプロデューサー)の斡旋(あっせん)で「新東宝」に入社すると、
約3ヶ月間の演技のレッスンやエキストラなどの養成期間を経て、1949年「影を慕いて」の端役で映画デビュー。
「影を慕いて」より。香川さん(左)と野上千鶴子さん(右)。
続いて、同年、映画「帰国(ダモイ)」では、一言だけのセリフをもらうと、翌年の1950年には、「窓から飛び出せ」で、主演・大日向伝(おびなたでん)さんの隣家の娘役に抜擢。
「窓から飛び出せ」より。小林桂樹さんと香川さん。
実は、もともと、この役は久我美子さんが演じる予定だったそうですが、久我さん出演の映画「また逢う日まで」の撮影が延び、香川さんが、急遽、その代役として起用されることとなったそうで、
説明を受ける間もないほど慌ただしいスケジュールで、プレッシャーを感じている暇もなく、言われるがままに演じた結果、自然体の演技ができたそうで、その演技が評価されたのだそうです。
「香川京子が若い頃はスター俳優の妹役で売り出されていた!」に続く