1941年に大学中退後、日活へ入社し、翌年の1942年、「微笑の国」で映画デビューした、小林桂樹(こばやし けいじゅ)さん。その後、1950年代には、「三等重役」「社長シリーズ」など、サラリーマン喜劇と言われる作品で、善良な庶民を数多く演じ人気を博しました。

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小林桂樹のプロフィール

小林桂樹さんは、1923年11月23日生まれ、
群馬県群馬郡室田町(現在の高崎市)のご出身、

身長170センチ、
体重60キロ、

血液型はB型、

学歴は、
日本大学専門部芸術科中退、

ちなみに、俳優の小林稔侍さんとは、血縁関係はなく、赤の他人です。

小林桂樹は大学中退後、日活へ入社

小林さんは、旧制群馬県立前橋中学校(現在の前橋高校)を卒業する年に、お父さんが病死したため、一家は千葉県市川市の叔父さんを頼って転居するのですが、小林さんのみ、お父さんの同僚の家に下宿し、通学していたそうです。

そして、中学卒業後は、日本大学専門部芸術科(現・日本大学芸術学部)に進学すると、叔父さんが朝日新聞社に勤務していたことから、校閲部でアルバイトしたそうで、

映画評論家の津村秀夫さんや劇作家の飯沢匡さんらと接するうちに、映画の世界に憧れを持つようになったそうです。

ただ、その後、学費が払えなくなったことから、1941年には、日本大学専門部芸術科を中退。

小林さんは、平凡なサラリーマンになりたくなかったことから、映画界入りを夢見て、叔父さんに相談すると、

自分の好きなことをやれ

と、勧められたそうで、

アルバイト先の給仕仲間から一緒に役者にならないかと、誘われたこともあり、日活、東宝、松竹の入社試験を受けることに。

すると、東宝、松竹は、学歴の問題で不合格となるも、唯一、学歴を問われなかった日活へ入社。日活演技研究所の研究生となったのでした。

小林桂樹は映画「微笑の国」で俳優デビュー

そんな小林桂樹さんは、翌年の1942年に、映画「微笑の国」の端役でデビューすると、同年、「将軍と参謀と兵」「第五列の恐怖」と、立て続けに出演。

1943年には、日活と大都映画が合併してできた新会社「大日本映画製作株式会社(大映)」に移籍し、映画「菊池千本槍 シドニー特別攻撃隊」に主演しています。

小林桂樹は二枚目役で人気

その後は、小林桂樹さんは、太平洋戦争により応召され、満州に渡るのですが、終戦により復員すると、1946年には、「君かと思ひて」で映画復帰。

ヒロイン、折原啓子さんの恋人役を演じ、二枚目として売り出されると、その後も二枚目の役が続き、1951年、降板した千秋実さんの代役として、「その人の名は言えない」で東宝映画に初出演すると、その演技が高く評価されたのでした。

「その人の名は言えない」出演時の小林桂樹、山村聰、角梨枝子
「その人の名は言えない」のスナップ写真より。(左から)小林桂樹さん、山村聰さん、角梨枝子さん。

小林桂樹はサラリーマン役でも人気

また、同年、東宝映画「ホープさん」では、ぬぼーとしたサラリーマンを演じ、たちまち注目を集めると、翌年の1952年には、映画プロデューサーの藤本真澄さんにスカウトされて東宝へ入社。

  • 1952年「三等重役」
  • 1952年「ラッキーさん」
  • 1956年~1970年「社長シリーズ」

「ラッキーさん」出演時の小林桂樹と島崎雪子
「ラッキーさん」より。小林桂樹さんと島崎雪子さん。

など、一連のサラリーマンコメディで、平凡で健全な庶民を演じ、人気を博したのでした。

小林桂樹は「裸の大将」で山下清

そんな小林桂樹さんは、1958年には、映画「裸の大将」で、実在の画家で知的障害のあった山下清を演じ、「毎日映画コンクール主演男優賞」を受賞。

「裸の大将」出演時の小林桂樹
「裸の大将」より。

さらに、1960年には、松本清張原作の社会派サスペンス「黒い画集・あるサラリーマンの証言」で、保身のため裁判での証言を拒否するサラリーマンをシリアスに演じて、新境地を開拓すると、「キネマ旬報賞男優賞」「ブルーリボン大衆賞」「毎日映画コンクール男優主演賞」など、各映画賞を総なめ。

1961年には、映画「名もなく貧しく美しく」で、高峰秀子さんと聾唖(ろうあ)者の夫婦を演じ、大きな反響を呼んでいます。

「名もなく貧しく美しく」出演時の高峰秀子と小林桂樹
「名もなく貧しく美しく」より。高峰秀子さんと小林桂樹さん。

小林桂樹は日本映画界の衰退とともに低迷していた

ただ、1964年頃からは、日本映画界の衰退とともに、小林桂樹さんのキャラが活きる企画が減り、テレビへと活動の場をシフト。

1966年には、その明るいキャラクターから、情報番組「おはよう・にっぽん」で司会者に起用されるのですが、視聴率が芳しくなく降板となっています。

小林桂樹は映画で復活していた

しかし、

  • 1970年「激動の昭和史・軍閥」で、東条英機 役
  • 1971年「激動の昭和史・沖縄決戦」で、牛島中将 役

「激動の昭和史・沖縄決戦」出演時の川津祐介と小林桂樹
「激動の昭和史・沖縄決戦」より。川津祐介さんと小林桂樹さん。

と、実在の人物を風格のある演技で、堂々と演じると、再び注目を集め、

1973年の「日本沈没」では、日本の沈没を予言する田所博士役で鬼気迫る演技を見せつけ、他を圧倒。

「日本沈没」出演時の小林桂樹と二谷英明
「日本沈没」より。小林桂樹さん(左)と二谷英明さん(右)

その後も、

  • 1981年「連合艦隊」で、山本五十六 役
  • 1984年「ゴジラ」で、内閣総理大臣 役

「ゴジラ」出演時の小林桂樹
「ゴジラ」より。

と、作品の要となる重鎮の役柄を多く演じるようになったのでした。

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小林桂樹の死因

その後も、映画に、テレビドラマに、と精力的に出演していた小林桂樹さんですが、2010年7月、「軽症肺炎」のため、東京都内の病院に入院すると、その後は療養生活が続き、

同年、9月16日、東京都港区の病院で、「心不全」のため、86歳で他界されたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

平凡なサラリーマンになりたくなくて、映画俳優を目指し、サラリーマン役でヒットした小林さん。

これを機会に小林さんの作品で、1950年代の日本のサラリーマンを観てみられてはいかがでしょう♪

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