1960年、「太陽がいっぱい」の主人公・トム・リプリー役で一躍脚光を浴びると、憂いを含む美貌で、たちまち世界中の人々を虜にした、アラン・ドロン(Alain Delon)さんは、その後も、ヨーロッパの巨匠たちの作品に次々と出演し、絶頂期を迎えるのですが・・・

「アラン・ドロンは昔「太陽がいっぱい」で大ブレイクしていた!」からの続き

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「若者のすべて」「山猫」「サムライ」などで人気絶頂も・・・

1960年、ルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」で主演の座を射止めると、映画の爆発的なヒットに伴い、たちまち大ブレイクしたドロンさんは、

1960年には、イタリアの労働者階級の現実を叙情的に描いた、イタリアの巨匠・ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「若者のすべて」で、美しい売春婦への愛と兄弟への愛の間で揺れるロッコ役、


「若者のすべて」より。レナート・サルヴァトーリさん(左)とドロンさん(右)。

1962年には、同じくイタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品で、都会に生きる男女のはかない恋愛感情と虚無感を描いた「太陽はひとりぼっち」(1962)で、株式仲買人の美貌の青年ピエロ役、


「太陽はひとりぼっち」より。

1963年には、再びヴィスコンティ監督と組んだ、1860年代のイタリア統一時の社会的な混乱を描いた映画「山猫」で、政治的に有利な結婚を画策するタンクレディ役、


「山猫」より。

1967年には、フランスのジャン・ピエール・メルヴィル監督作品で、運命、孤独、精神病という重いテーマを描いた映画「サムライ」で、孤高の殺し屋役を演じるほか、


「サムライ」より。

「地下室のメロディー」(1963)、 「冒険者たち」(1967)、「あの胸にもう一度」(1968)など、巨匠たちの作品に次々と出演し、名実ともに絶頂期を迎えたのですが・・・

ボディガードが死体で発見され犯人扱いされる(マルコヴィッチ事件)

そんな中、1968年10月、ドロンさんのボディガードで近しい間柄だった、ステファン・マルコヴィッチさんが、射殺体で発見されるという事件が発生。(マルコヴィッチ事件)

それに伴い、ドロンさんと当時の妻・ナタリー・ドロンさんは、重要参考人として捜査当局に召喚され、特にドロンさんは、52時間にも渡る尋問を受けます。

そして、最終的には、真犯人は不明のまま、捜査は打ち切られ、事件は迷宮入りとなるのですが、ドロンさんへの疑惑は残ったまま、マスコミに犯罪者扱いされてしまったのでした。

(この事件の影響で、ドロンさんは、内定していた「芸術文化勲章」を取り消されています)

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ボディガードのマルコヴィッチが開いた乱交パーティーには大統領も?

ちなみに、フランスの芸能メディアは、連日こぞってこの事件を報道し、ドロンさんとマフィアの癒着、ナタリーさんとマルコヴィッチさんの不倫ほか、

マルコヴィッチさんが上流階級相手の社交場を運営し、そこで乱交パーティーを繰り広げていたこと、ジョルジュ・ポンピドゥー大統領夫妻が常連客として出入りしていたこと、さらには、大統領夫人のクロード・ポンピドゥーさんのヌードや性行為の写真の存在まで、書きたてています。

「アラン・ドロンは「ショック療法」でオールヌードになっていた!」に続く

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