1957年、イヴ・アレグレ監督作品「女が事件にからむ時」で映画デビューすると、その後も、立て続けに映画に出演し、順調にキャリアを積んでいた、アラン・ドロン(Alain Delon)さんは、1960年には、ルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」で大ブレイクを果たします。

「アラン・ドロンは若い頃ズブの素人で映画デビューしていた!」からの続き

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映画「太陽がいっぱい」で大ブレイク

ドロンさんは、1960年、金持ちの友人を殺し、その友人になりすました青年リプリーの完全犯罪と、その行方を描いたパトリシア・ハイスミスの小説を原作とする、ルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」で、主人公・トム・リプリー役に抜擢されると、映画は世界的な大ヒット。

ドロンさん自身も、物憂げな美貌の裏に陰を秘めた貧しい青年を熱演し、「映画界でもっとも魅惑的な男」と称され、一躍、スターダムにのし上がっています。

(同様にテーマ音楽も、誰もが聴けば分かるほど有名になりました)

自身が主人公を演じるべきと監督に直談判していた

実は、ドロンさんは、もともとは、主人公・リプリーの友人で、富豪の息子・フィリップ役を演じることになっており、ドロンさん自身もそのことを知っていたのですが、ドロンさんは、絶対、自分がリプリーを演じると、心に決めていたいたそうで、

(主人公・リプリーは、当時売出し中だったジャック・シャリエさんが演じることに決まっていたそうです)

そこで、着々と製作準備が進んでいたある日のこと、ドロンさんは、シャンゼリゼ通りの近くにあったルネ・クレマン監督の邸宅に招待された際、サロンにいたクレマン監督に近寄り、プロデューサーたちの前で、リプリーを演じたいと、直談判したそうです。

すると、それを聞いたプロデューサーのアキム兄弟はショックを受け、「クレマン監督に役の変更を要求するなんて何様のつもりだ」と激怒。

しかし、このやり取りを聞いていた、クレマン監督の妻・ベラさんが、

ルネ、このひよっこの言う通りよ

と、会話に割って入り、リプリー役にふさわしいのは、ドロンさんだと断言したことで、リプリー役がドロンさんに変更されたそうで、

ドロンさんは、

ベラの一言がマッチポイントだった(笑)。リプリーは僕が演じるべき役だった。なぜなら、僕は俳優だけど、正式な演技レッスンなんて受けたことがないからだ。

職業としての演者になりたければ、演劇学校でテクニックを身につければいい。僕の持論だけど、俳優は偶然の産物だよ。

例えば、(ジェラール・)ドパルデューは俳優だ。でもジャン=ポール(・ベルモンド)は素晴らしいテクニックを持った演者だ。彼は子供の頃から演技の道を志し、演劇学校で学んだ技術をずっと磨いてきたんだ。

僕は映画出演のチャンスがたまたま舞い込んできただけの、偶然の俳優にすぎない。つまり俳優には、どうにか使いこなしたいと監督に思わせる強烈な個性が欠かせない。演者は演技をするだけで、俳優は役を生きるんだ

と、語っています。

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「カフェ・ド・フロール」や「レ・ドゥ・マゴ」で自身の容姿の美しさを自覚

そんなドロンさんの強烈な個性といえば、美しすぎる容姿ですが、ドロンさんが、初めて、自身の容姿が人並み外れて美しいと気付いたのは、1950年代半ば頃、文化人を一目見ようと、(当時、文化人のたまり場だった)サン・ジェルマン・デ・プレの「カフェ・ド・フロール」や「レ・ドゥ・マゴ」に足を運んだ時のことだったそうで、

カフェに入るとみんなが僕を見つめているのがわかった。女性の視線は僕のモチベーションになったよ。

彼女たちに見つめられると誰よりもハンサムでいなきゃいけないと思ったし、自然に背筋も伸びた。女性の瞳に映る美しい男になろうと頑張った。アラン・ドロンがいるのは女性のおかげと言ってもいい

と、逆に、その場にいた人々(特に女性)から視線を向けられたことがきっかけだったとか。

なんとも、羨ましい限りです。

「アラン・ドロンは昔「サムライ」「山猫」等で人気絶頂も事件で犯罪者扱いに!」に続く

太陽がいっぱい」より。マリー・ラフォレさんとドロンさん。

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