2019年には、白血病を発病した競泳の池江璃花子選手に「手かざし療法」を施したという報道が、写真週刊誌「フライデー」により報道されるも、その事実を否定された、なべおさみさんですが、過去には、あの、王貞治さんのガンを「手かざし療法」で治癒させたと、著書で綴られていました。
「なべおさみは池江璃花子に手かざし療法(真光の業)を施術していた?」からの続き
王貞治にも「手かざし療法」を施していた?
競泳の池江璃花子選手に対する「手かざし療法」は否定されたなべさんですが、実は、2015年に出版された、著書「昭和の怪物 裏も表も芸能界」では、2006年に胃ガンのため、胃の全摘出手術を受けた王貞治さん(当時、福岡ソフトバンクホークスの監督)に「手かざし療法」を施し、完治させたことを綴られています。
王貞治のガンを「手かざし療法」で治癒させていた?
なべさんによると、王さんは、2006年7月に「胃ガン」が見つかり、胃の全摘出手術を受けられているのですが、それから半年近く経った12月になっても、手術の予後が芳しくなく、
(王さんは、当時、福岡ソフトバンクホークスの監督業を休養されており、翌年2007年1月の末には、来シーズンに復帰できるか否かを球団側に告げなければならない状況だったそうです)
旧知の仲で、手をかざすだけで病を消すことができるという、なべさんに、
私を助けてくれませんか
と、わらをもすがる思いでお願いに来たそうで、
その願いを快諾したなべさんは、さっそく王さんに手をかざしながら、
よーし、見つけたぞ、隠れるな隠れるな
こっちにおいで。私の中で仲良く生きよう。大丈夫殺しゃしないさ、さあおいで!
などと、王さんの体に語りかけたのだそうです。
(相手の体に語りかけると、相手の「病の気」がなべさんの体に移るそうです)
すると、
私に助けられた人の気が、私に移ってくるから、本人は肉体の回復をみるのです。が、その分、私は私の体に移った病の気の為に、しばらくの期間は苦しみます。
だからその間に健康診断など受けようものなら、途端にアウトです。初めて公にしますが私は今日まで、六度のガン告知を受けています
と、なべさんが、相手の「病の気」受け継ぐそうで、
実際、なべさんは、王さんを治療した後、「リンパ癌」や「類上皮肉腫」といった病に冒され、なんと、医師から「余命2年」と宣告されていたというのです。
ただ、手術によって奇跡的に寛解すると、それから現在に至るまで再発はないとのこと。
また、王さんは、なべさんの施術を受けた結果、それまで、車椅子なしでは外出できなかったのが、完全復活を遂げ、春のキャンプから監督復帰できるほど回復したのだそうです。
小林麻央にも?その他民間療法を受けていた芸能人は?
ところで、2019年に「フライデー」(2019年9月)の報道を受けた、競泳・池江璃花子選手の知人は、
高校時代から池江さんは、自分の力を信じて努力を続けてきた人です。スピリチュアルなこととはまるで無縁で、ゲン担ぎをするタイプでもなかった。だから、今回の一件には本当に驚きました
と、語っているのですが、
過去には、
- 忌野清志郎さん(2009年他界・享年58歳)… 純金の棒で全身をこする「ごしんじょう療法」
- 川島なお美さん(2015年9月他界・享年54)… 純金の棒で全身をこする「ごしんじょう療法」「がん放置療法」
- 小林麻央さん(2017年6月他界・享年34)… 「水素温熱免疫療法」「酵素風呂」「ジュースクレンズ」「気功」
- さくらももこさん(2018年8月他界・享年53)… 「バイオレゾナンス」(症状に合わせた周波数の波動を受けることで、自然治癒力や生命力を高めるドイツ発祥の治療法)
(なべさんは小林さんにも「手かざし療法」を施していたそうで、小林さんの入院中は、遠隔で気を送って施術されていたとも言われています)
と、様々な芸能人が、様々な民間療法を受けているほか、
2014年に「膀胱ガン」(ステージⅣ、余命1年)と宣告された元ボクシングWBA世界ミドル級王者の竹原慎二さんは、「免疫療法」という施術を受けた後、手術で膀胱を全摘出されると、その効果かどうかは不明ですが、発見から2021年現在に至るまで、再発や転移は見られていないそうで、
(「免疫療法」とは、ガン患者の体内から採取した免疫細胞を加工して活性化させてから点滴で戻し、ガンを攻撃させるという療法だそうです)
竹原さんは、
正直、大枚をはたいて受けたあの免疫細胞療法に効果があったかどうかはわかりません。でも、後悔はありません。
詳しい人たちからは「エビデンスがないからやめたほうがいいよ」と何度もアドバイスをもらいました。それは自分でもわかってるんです。でも、当時の僕の心理状態では、すがれるものには何でもすがる他なかった。
あるときは、おふくろが連れてきた気功の達人の施術を受けたこともありました。体を触られて、「パワーを送ったからもう大丈夫だ」なんて言われて。
「そんな訳あるか」と頭のどこかでわかっているのに、「もう大丈夫」というその一言が、涙が出るほど嬉しかった
と、0.01%の奇跡に賭けたことを明かされており、
「手かざし」をはじめとする民間療法は、ある日突然、命を脅かすほどの重い病に襲われ、自分の努力ではどうすることもできない逆境に見舞われた人にしか分からない、救いの治療なのかもしれません。
さて、いかがでしたでしょうか。
なべさんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?芸名の由来は?
- 幼少期は小柄も負けん気が強く頭が良い少年だった
- 小学校時代は飽きっぽい性格も成績優秀だった
- 父親のご褒美で上京すると日劇の舞台に魅了される
- 小学生の時に役者に憧れる
- 家業を継がされないよう小学5年生にして働くことを考えていた
- 小学5年生にして「金偏・糸偏景気」の噂から鉄屑集めを思いついていた
- 小5にして金属屑がお金になると知り近所の工場跡地で水道の蛇口(カラン)を集める
- 小5にして金属屑を売って大枚の百円札を稼ぐ
- 小5にして水道管の鉛管を掘り出すのに夢中に
- 自宅の工場敷地でも金属屑を集めて稼いでいた
- 稼いだお金は天井裏に隠して一人で楽しんでいた
- 当時の鉄屑の売値は?
- 稼いだお金は全て映画館通いにつぎ込んでいた
- 不良グループに絡まれるもハッタリで撃退していた
- 銀座三悪のヒーコヤ「ダイヤモンド」で気絶させられる
- 銀座三悪のコーヒー屋「ダイヤモンド」でやり返すと・・・
- ヤクザから銀座三悪のヒーコヤ「ダイヤモンド」を受け継ぐ
- ダイヤモンドの渡辺
- なべおさみはどのグループにも属さず独立独歩だった
- 銀座のスターヤクザ「池の二郎」に憧れる
- 「池の二郎」の存在感に圧倒される
- 「池の二郎」への憧れは親友である弟・三郎には内緒にしていた
- 蟹さんに「池の二郎」のことを話すと・・・
- 銀座を出禁に
- 銀座を出禁になった後は渋谷に新天地を見出そうとしていた
- 刃傷沙汰になりそうになるも・・・
- 「安藤組」幹部の花形敬に刃傷沙汰を止めてもらっていた
- 「安藤組」幹部の花形敬にも大学進学を勧められていた
- 明治大学に入学
- 「三木トリロー音楽事務所」にコメディアンとして弟子入りを希望する
- 「三木トリロー事務所」に放送作家(コント書き)として採用される
- 便器掃除で大学を卒業していた
- 人気歌手・水原弘に付き人として移籍を誘われる
- 勝新太郎のもとで修業を開始
- 「渡辺プロダクション」社長・渡辺晋の目に留まる
- 「渡辺プロダクション」社長・渡辺晋に気に入られる
- 「渡辺プロダクション」の隠密(スパイ)をしていた
- 森進一や加賀まりことの橋渡し役もしていた
- 「シャボン玉ホリデー」のコント「キントト映画」でブレイク
- 映画俳優としての地位も確立
- 師匠のハナ肇に潰されていた?
- 俳優生命を断たれていた
- 「ルックルックこんにちは」でタレントとして人気を博す
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- テレビドラマ「独身のスキャット」で主人公・村上貫一役
- 「独身のスキャット」は不本意な出演だった
- 「明治大学替え玉受験」の真相
- 不正行為を認めるも「替え玉受験」は否定
- 金銭授受を否定するもイメージダウンで芸能界を干される
- 合格を取り消された長男はたけし軍団に
- 長男・なべやかんが「替え玉受験」について言及
- なべおさみが東京医科大学「裏口入学事件」についてコメント
- コレクションの高級時計「パテックフィリップ」を売って生活していた
- 吉本興業に所属
- 80歳にしてYuTubeチャンネルを開設
- 妻は元女優・笹るみ子
- 同棲中の笹るみ子と別れを決意するも・・・
- 「渡辺プロダクション」社長・渡辺晋に憤慨
- 「渡辺プロダクション」社長・渡辺晋を殺し自殺するつもりだった
- 渡辺社長から結婚祝に映画主演をプレゼントしてもらう
- 最愛の妻・笹るみ子が死去
- 病を治す力があることを雑誌で語っていた
- 崇教真光(すうきょうまひかり)の「真光の業(まひかりのわざ)」か?
- 競泳選手・池江璃花子を自宅へ招いていた
- 白血病と診断された池江璃花子に「手かざし療法」を施していた?
- なべおさみも池江璃花子の事務所も「手かざし療法」を否定
- 王貞治にも「手かざし療法」を施していた?
- 王貞治のガンを「手かざし療法」で治癒させていた?
- 小林麻央にも?その他民間療法を受けていた芸能人は?
について、まとめてみました。
小学校の入学式では、自身が小柄だったことから、なめられないようにと、一番体の大きい子を殴ったというなべさんですが、そんな物怖じしないところが、芸能界だけではなく、政界から裏社会まで幅広い人脈を持つに至らせたのかもしれません。
すでに80歳を超える高齢ですが、「昭和の怪物」にとどまらず、まだまだ、らしさを見せてもらいたいものです。
「なべおさみの幼少期は小柄も負けん気が強い頭の良い少年だった!」