1974年、「WBC世界ライト級王座決定戦」でメキシコのロドルフォ・ゴンザレスを破り、見事、ボクシングの世界チャンピオンに輝いた、ガッツ石松(がっつ いしまつ)さんですが、ボクサー引退後、芸能界入りすると、辛い毎日が待っていました。

「ガッツ石松は昔ボクシング世界チャンピオンだった!」からの続き

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高倉健に憧れていた

ボクサー引退後は、芸能界に入られたガッツさんですが、実は、少年の頃から高倉健さんに憧れ、俳優になりたいと思っていたそうで、

高倉さんが所属していた「東映」の撮影所を訪れたこともあったのだとか。(その時は、守衛に門前払いされたそうです)

そして、世界チャンピオンになった1974年には、その夢叶い、「極悪拳法」で初の映画出演を果たすと、そのほかにも、何本か映画に出演されているのですが・・・

映画で本当にパンチしKOさせていた

ガッツさんは、俳優デビュー作「極悪拳法」では、天才拳法家・桜木鉄拳(渡瀬恒彦さん)を助ける石松勝心役で出演されていたのですが、ある役者に本当にパンチを叩き込み、KOしてしまったというのです。

幸い、その役者は、

世界チャンピオンのパンチをもらって光栄です

と、言ってくれたそうですが(笑)


「極悪拳法」より。ガッツさん(左)と渡瀬恒彦さん(右)。

ボクサー引退後は芸能界入りもバカにされる毎日

そんなガッツさんは、世界チャンピオン時代の出演では、いつも、新幹線はグリーン車、ホテルはスイート、楽屋も個室、という高待遇だったそうですが、

ボクサーを引退し、俳優に転身すると、一変したそうで、

新幹線は普通車で、宿泊先は1500円の予算で自分で探さなければならず、

さらには、

どこで着替えればいいんでしょうか?

と、渡された衣装を持って聞くと、

その辺で適当に着替えればええやんけ。こっちは忙しいんじゃ

と、言われたこともあったそうです。

また、

ボクシングで有名になったからといって、俳優などできるはずがない

と、言われたり、

(ガッツさんが)演技なんかしている

と、鼻でせせら笑われたこともあったのだそうです。

小さな仕事をコツコツとこなす

また、バラエティでは、顔にケーキを塗られたり、馬鹿な役をやらされたりし、

チャンピオンも引退したら悲惨だね

と、心無い言葉を言われ、腹が立ったこともあったそうですが、

それでも、そんな自分を戒め、腹が立った自分に腹を立て、

ボクシングでは世界チャンピオンでも、芸能界では一年生

と、楽屋への挨拶では、子役のところにまで行き、

40年前に野球選手とか他のスポーツ選手から役者になった人はいなかったと思います。人のやっていないことだから面白い。

ボクシングはガキの頃からの殴りっこの延長みたいなものでしたから、違う世界で成し遂げてやろうと思って続けてきました。

と、なかなか覚えられないセリフも、本番間近まで必死で覚え、誰も読まないバラエティ番組の脚本にもしっかり目を通すなど、コツコツと努力を重ねられたのだそうです。

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「おしん」で脚光を浴びる

すると、そんな努力が実ってか、1983年、NHKドラマ「おしん」では、いきなり、セリフの多い役(おしんを慕う的屋の親分役)に大抜擢され、一躍脚光を浴びます。

実は、原作者の橋田壽賀子さん直々の指名だったそうで、

ガッツさんが、なぜ自分を選んでくれたのか、橋田さんに聞いたところ、

橋田さんは、

あんた一生懸命やってるじゃない。普通、ボクシングのチャンピオンでこの業界に来ると、みんな天狗で鼻持ちならないのよね。あんたはチャンピオンのガッツ石松じゃなくて、役者の、芸人のガッツとして頑張った。

だからこの役はガッツ石松のために用意したのよ。あんたが一生この業界で食っていけるように。

と、答えられたのだそうです。

ガッツさんは、思わず、人目もはばからず泣いたそうです。

「ガッツ石松の芸能界デビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

「おしん」より。田中裕子さん(左)とガッツさん(右)。

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