映画やブロードウェイミュージカルに夢中になると、自ら演じることにも興味を持つようになった、財津一郎(ざいつ いちろう)さんは、高校3年生の時に文化祭で行われた、シェークスピアの英語劇「ベニスの商人」で、(大役の)金貸しのシャイロック役を演じたことをきっかけに、役者になろうと、高校卒業後は、演劇の名門・早稲田大学を目指したそうですが・・・

「財津一郎が高校生の時には演劇にも夢中になっていた!」からの続き

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シェークスピアの英語劇「ベニスの商人」の演技が高く評価される

済々黌高校の文化祭で行われたシェークスピアの英語劇「ベニスの商人」で、金貸しのシャイロック役を演じた財津さんの演技は高く評価され、公演終了後には、垣根を隔てて隣にあった第五高等学校(現・熊本大学)のオランダ人教授・ドンブラス先生が、財津さんのところに飛んできてくれたそうで、

財津さんが、

私はミュージカル俳優になりたいんです

と、言うと、

ドンブラス先生は、

君ならなれる。きっとなれる

と、グローブのような大きな手で、財津さんの手を固く握ってくれたそうで、

このことに気を良くした財津さんは、演劇の道に進むことを決意したそうです。

早稲田大学を受験するも不合格に

こうして、高校3年生の時、役者になることを決意した財津さんは、多くの演劇人を生んだ、名門・早稲田大学を目指し、受験したそうですが・・・あえなく不合格に。

そこで、財津さんは、1浪して、もう1度、早稲田大学に挑戦しようと、1953年3月、済々黌高校を卒業後に上京し、早稲田大学の近くにあった印刷屋に住み込みで働きながら受験勉強に励んだそうですが・・・

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浪人して早稲田大学を再受験しようとするも途中で断念

春、夏、秋と季節は移り変わるも、(自分の学力が足りないことを自覚して)合格する気がまったくせず、そのうえ、受験の申込期限が迫るも、熊本の実家からは、(貧しさから)受験料も送られてこなかったそうで、

2度も受験に失敗したら熊本に帰れない

と、結局、早稲田大学の受験は断念したのだそうです。

ちなみに、財津さんは、早稲田大学を断念したその日の夕方、いつものように印刷屋で働いた後、早稲田大学の構内に入り、思わず、創設者の大隈重信像に向かって、

あなたは僕に門を開いてくれなかった

田舎から来た私には受験料も送ってきません。もう早稲田へのロマンは断ち切ります

と、愚痴を言い、スルメをかじりながら、しばらく大隈重信像を眺めていたのだそうです。

「財津一郎が若い頃は帝国劇場に研究生として入団していた!」に続く

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