お父さんが戦争から復員後、阿蘇から熊本市に戻ると、通っていた済々黌(せいせいこう)高校の隣にあった第五高等学校(現・熊本大学)から聴こえてくる合唱団の歌声に魅了され、誘われるがままに合唱団に参加させてもらったという、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、その後、演劇の楽しさにも目覚めたといいます。

「財津一郎が高校の時は合唱団の歌声に魅了され合唱に夢中になっていた!」からの続き

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高校生の時には歌の個人レッスンまで受けていた

すっかり合唱の虜(とりこ)になった財津さんは、済々黌(せいせいこう)のコーラス部にも入部し、第五高等学校で教えてもらったことをコーラス部のメンバーに教えるほか、

東京・上野の東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業した児玉久子先生の個人レッスンを受けるなど、本格的に歌の勉強を始めたそうで、

(歌を歌っていると、日常の嫌なことを忘れることができたそうです)

児島先生には、実技的なことはもちろん、

歌うことは生きることですよ

ハーモニーは愛することですよ

とも、教えてもらったそうですが、

児島先生には月謝を支払うことができなかったため、代わりに、サツマイモや牛乳で許してもらっていたそうです。

映画やブロードウェイミュージカルにも夢中になっていた

また、財津さんは、合唱のほか、映画やブロードウェイミュージカルにも夢中になったそうで、アメリカ映画では、「楽聖ショパン」「ロビンフッドの冒険」、日本映画では、小津安二郎監督作品をむさぼるように観るほか、

特に、ブロードウェイミュージカルは、初めて見る天然色の美しい映像に魅了されたのだそうです。

(戦後、焼け野原となっていた熊本の繁華街には、ぽつぽつと映画館が復活し始めていたそうですが、映画館といっても、泥の地べたの上に長いベンチが10脚くらい置いてあるだけの粗末なものだったそうです)

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「ベニスの商人」で大役に抜擢されるもセリフを間違え大問題になっていた

ところで、そんな財津さんは、映画の影響から、演劇や洋楽にも興味を持つようになったそうで、高校3年生の時には、済々黌高校の文化際で、シェークスピアの英語劇「ベニスの商人」で、金貸しのシャイロック役(大役)に抜擢されたそうですが、

財津さんは、この劇で、貴婦人のポーシャ役を演じた同級生の女の子に恋したそうで、

(彼女は、九州女学院(現・ルーテル学院)から転校してきた美少女で、財津さんの初恋の人だったそうです)

シリアスな裁判のシーンで、

私を尊敬(respect)できるのか

と、言わなければいけないセリフを、

思わず、

私を愛(love)せるのか

と、言ってしまい、

(今では考えられませんが)顧問の先生が、「ませたことを言うな」とカンカンに怒ったそうで、財津さんが、慌てて、「love」には男女の「愛」だけではなく平和等いろいろな意味があると説明して取り繕うも、先生は聞き入れてくれず、その後、大問題になったことがあったそうです。

(結局、彼女には告白できず仕舞いだったそうです)

「財津一郎は役者を目指し早稲田大学を受験するも不合格となっていた!」に続く

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