ポール・マッカートニーさんが驚異し嫉妬したと言われるほどの、芸術における非凡な才能を持ち、デビュー前のビートルズのベーシストとして活動しながらも、21歳という若さで夭逝した、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さん。今回は、“5人目のビートルズ”と称されているそんなスチュアートさんの生い立ちとジョン・レノンさんとの出会いについてご紹介します。
年齢は?出身は?本名は?
スチュアートさんは、1940年6月23日生まれ、
イングランド北部マージーサイド州ハイトンの出身、
(スコットランド エディンバラ生まれ)
学歴は、
リヴァプール・カレッジ・オブ・アート
⇒ハンブルク州立芸術大学(病気のため中退)
本名は「スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフ(Stuart Fergusson Victor Sutcliffe)」で、愛称は「スチュ(Stu)」、また、ハンブルク巡業中(1960)は、スチュアートさんが傾倒していたロシア人画家のニコラ・ド・スタールにあやかり、「スチュアート・ド・スタール」という芸名を使っていたそうです。
ちなみに、スチュアートさんは抽象画が得意で、初期は写実的な作品が多かったそうですが、後期は抽象画家のジョン ・ホイランドやニコラ・ド・スタールなどの影響を受けて、より叙情的で抽象的な作風に変化したそうです。
スチュアートさんの初期の絵
スチュアートさんの後期の絵
身長が低かった
スチュアートさんの身長は不明ですが、
スチュアートさん自身が、ハンブルグからの家族宛の手紙に、
僕がビートルズの中で一番キレイな顔だと言われた。同性愛者たちも女性達も言うんだ。ジョンとポールよりカッコいいだなんて。おかしな話だよね。僕は背も低いし、見た目に自信なんかないのに
と、書いているほか、
ジョン・レノンさんも、1961年のインタビューで、
4人目を探していた時だ。スチュアート・サトクリフという名の小柄な男を見つけた
と、語っていることから、小柄だったようです。
端麗な容姿(イケメン)と絵画の才能で学校の人気者だった
さておき、スチュアートさんは、商船隊の航海技師だったお父さんと美術講師だったお母さんのもと、スコットランドのエディンバラで生まれると、3歳の時に、イギリスのマージーサイド州ハイトンに引っ越し、そこで育ったそうですが、
幼い頃にお母さんが講師を務める絵画教室で絵を描き始めると、すぐさま絵の才能を発揮し、アートスクールの教師も一目置くほど、将来を嘱望されたそうで、
1956年には、16歳という若さで、リヴァプールにある「リヴァプール・カレッジ・オブ・アート」に奨学金特待生として進学。生活費と学費を稼ぐために、清掃作業のアルバイトをしながら絵の勉強に励んだそうです。
また、容姿端麗(イケメン)で、画家としての才能も持つスチュアートさんは、学校の人気者で、早くも、スター的な存在だったそうです。
ジョン・レノンの数少ない親友だった
そんなスチュアートさんは、翌年の1957年のある日のこと、今まで見たことがないくらいギラギラとした危険な雰囲気を持った男と知り合うと、ほどなくして親しくなり、
(それが、この年に入学してきたジョン・レノンさんで、ジョンさんは、美術学校だというのに、道具も持たず手ぶらで、ギターをそのまま肩にかけて登校し、デッサンやレタリングの授業では、前の席の学生から鉛筆や筆を借りるような生徒だったそうです)
スチュアートさんは、自己中心的だが忠義に厚いジョンさんに惹かれ、ジョンさんもまた、知的で読書家、芸術的な才能に溢れるスチュアートさんに尊敬と憧憬の念を持つようになっていったそうで、
後に、ジョンさんは、
いつも本当のことを言ってくれる人間として、ぼくは彼を頼りにしていた。スチュなら、何がいいか、何が悪いかを、遠慮せずに言ってくれた。ぼくは彼を信じていた
と、明かしています。
(スチュアートさんは、ジョンさんの心を許せる数少ない親友だったそうです)
「スチュアート・サトクリフは「ビートルズ」の名付け親だった!」に続く