「The Beatles」時代を含め、長きに渡ってトップミュージシャンとして第一線で活躍されている、ポール・マッカートニーさん。今回は、そんなポールさんのプライベートについて調べてみました。
「ポールマッカートニーのジョンレノン死去時コメントは?武装警備?」からの続き
リンダ・イーストマンと結婚
ポールさんは、1969年、当時、ロック・ミュージック専門のカメラマンだった、アメリカ人のリンダ・イーストマンさんと結婚されています。(ポールさんと結婚後は、リンダ・マッカートニーという名前で様々な活動を行われています)
リンダさんとポールさん。
お二人は、1967年、ロンドンのクラブ「バック・オネイルズ」で知り合われると、当時、ポールさんは、ジェーン・アッシャーさん(「ピーター&ゴードン」のピーター・アッシャーさんの妹)と婚約されていたのですが、リンダさんと親しくなられたことが原因でか、翌年の1968年にはジェーンさんと破局。
その後、すぐに、ポールさんは、リンダさんと交際を開始すると、「The Beatles」のレコーディング・セッションにもリンダさんを同伴させることが多くなったそうです。
(リンダさんが撮影した「The Beatles」のレコーディング中の写真が多数残されています。)
「ウイングス」ほか音楽活動を妻リンダとともに
結婚後、リンダさんは、写真家としての活動を引退されると(ポールさんのファーストアルバム「マッカートニー」のジャケットなど、ポールさんやごく親しい人たちの撮影はされていました)、
ジョン・レノンさんの「The Beatles」脱退宣言で、音楽活動をやめようと思うほど深く落ち込んでいたポールさんを励まし続けたそうで、
ポールさんが1971年に音楽活動を再開し、新たなバンド「ウイングス(Wings)」を結成されると、音楽的な教養や経験のないリンダさんも、コーラスとキーボードで参加されるなど、お二人の結びつきはますます強くなっていきます。
世間のバッシングもどこ吹く風
ただ、「The Beatles」のメンバーの中でも、特に存在感の強いポールさんと結婚したことで、(ジョン・レノンさんと結婚したオノ・ヨーコさん同様)世間のリンダさんへの風当たりは非常に強く、
そのうえ、リンダさんは、離婚歴のある子連れでの再婚だったため、心無いマスメディアや女性ファンから攻撃の対象となってしまいます。
そして、音楽の経験のないリンダさんの演奏は、評論家やファンからのバッシングの餌食となったのですが・・・
ポールさんは、そんなバッシングなどどこ吹く風と、「ウイングス」活動終了後も、自身のソロアルバムに度々リンダさんをコーラスで参加させるほか、1990年代に開催した2度のコンサートツアーでも「ウイングス」時代同様、リンダさんをキーボードで起用。
また、時々、行われたプライベートレコーディングでも、一部の企画盤を除くすべてのポールさんのオリジナル・アルバムには、リンダさんの名前が記されています。
リンダさんとポールさん。
ちなみに、リンダさんは、ポールさんとの音楽活動以外にも、1992年と1996年に、ポールさんと結婚前の写真家としての活動を納めた写真集「シックスティーズ」「ロードワークス」の2冊の写真集を出版されているほか、
ベジタリアン(菜食主義者)であったため、1990年代には、ベジタリアンのための料理研究家としても活動し、テレビのレギュラー番組を持ったり、2冊のレシピ本も出版するほか、ベジタリアンのための冷凍食品の開発・監修も行っています。
60’s(シックスティーズ) 伝説のロック・アーティスト―リンダ・マッカートニー写真集
妻リンダ・マッカートニーが乳ガンで他界
そんなリンダさんですが、1995年、「乳ガン」であることが判明すると、同年秋に手術し、無事成功。一時は快方に向かっていると思われたのですが・・・
1997年には再発し、やがて、体中にガンが転移して手の施しようがないほど病状が悪化。
その後は、アメリカ・アリゾナ州にある別荘で家族とともに余生を過ごされるのですが、1998年4月17日、56歳の若さで他界されたのでした。
(遺体は火葬され、遺灰の半分はポールさんが所有するスコットランドの農場に、残りはアメリカ・アリゾナ州のツーソンの別荘に撒かれたそうです)
リンダ・マッカートニー回顧展
ちなみに、ポールさんは、2019年7月5日から、カメラマンだったリンダさんが撮影した写真をまとめた展示会「リンダ・マッカートニー回顧展」を開催されているのですが、
回顧展に先駆け、イギリスBBCのインタビューで、
母親もリンダも乳ガンで亡くなったんだ。僕らは母親の死因を知らなかったんだよ。誰もその話をしなかったんだ。母親が亡くなったということだけでね。
さらに悪いことに、全員が懸命に我慢して、感情を表に出さないようにしていたんだ。そんななかで、ある晩に父親が泣いているのが隣の部屋から聞こえてきてね。
とても悲しいことだったよ。父親が泣いているのなんてそれまで聞いたことがなかったからね。
と、お母さんが亡くなった時のことにも触れ、
(リンダさんが亡くなった後は)1年くらいは繰り返し泣いていた。もしかしたら愛する人が入ってきてくれるんじゃないかって期待してしまうんだ。その人の存在にあまりにも慣れてしまっているからね。
たくさん泣いたよ。恥ずかしいとも思ったけど、当時は泣くことしかできないと思っていたんだ。
彼女がイギリスに来て一緒になれた時に、何が一番素晴らしかったかって、二人ともが自由を望んでいたということなんだ。僕らは好きなことをやって、そのすべてを彼女が写真に収めていたんだ。
と、語っておられました。
(2019年10月には、大阪でも「リンダ マッカートニー写真展」が開催されています)