「The Beatles」解散後、新たなバンド「ウイングス(Wings)」を結成し、「アイルランドに平和を」「メアリーの子羊」「ハイ・ハイ・ハイ」「マイ・ラヴ」など、ヒット曲を連発されていた、ポール・マッカートニーさんですが・・・

「ビートルズ解散後はポールマッカートニーがウイングス結成!」からの続き

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ジョン・レノンが死去

大麻所持で、急遽、日本公演が中止となるも、その後もメンバーのデニー・レインさんとともに次のアルバムの制作にとりかかるなど、「ウィングス」として順調に活動を続けられていた、ポールさんですが・・・

その矢先、ポールさんの耳に信じられないニュースが飛び込んできます。

1980年12月8日、ジョン・レノンさんが、突然、他界したのです。

それも、ジョンさんのニューヨークの自宅アパート「ダコタ・ハウス」の前で、拳銃で射殺されるという衝撃的な死だったのです。


搬送されるジョン・レノンさんの遺体

ジョンの死に対するポールのコメント

ちなみに、ポールさんは、ジョンさんとは、「The Beatles」の解散問題などで、一時期、関係が悪化したものの、その後、また、良い友人関係に戻っており、

そんな矢先のこの出来事に、

(ジョンが亡くなった時)家にいた。電話があったんだ。朝早くだった。電話に出て…、(驚いたジェスチャーをする)。みんな、そうだったと思う。

ゾッとした。誰もが信じられなかったと思う。僕も受け入れられなかった。数日間、彼がいなくなってしまったなんて考えられなかった。ものすごくショックだった。

辛かった。誰にとってもそうだったろう。すごい衝撃だった。ケネディのときと同じようにとらえる人も多かった。

僕にとっては、もう彼に会えない、もう一緒にいることができないんだってことがすごく悲しかった。僕の頭の中で“バカの中のバカ”ってフレーズがぐるぐる回ってた。

ただのバカだ。あの男(犯人・マーク・チャップマン)には政治的な動機があったわけじゃない。ただの思いつきで(ピストルを撃つ真似をし)バンだ。

と、コメント。

自宅の周りを武装警備していた

そして、ジョンさんの死にショックを受けたポールさんは、「ウィングス」の活動を一時停止し、数日間、自宅に引きこもって過ごされたそうですが、

ポールさんが、当時住んでいたイギリス南部は、無防備な人里離れた森林地帯だったため、自身も殺されるのではないかという恐怖で、数日間は自宅前に数人のボディガードを配置したそうで、

ポールさんは、「アンカット」誌のインタビューで、

(ジョンさんが殺害されてからの)数日間は、ずっと家に籠っていたよ。自宅でニワトリを飼っていたから、キツネ除けのために設置したフェンスが自宅の周辺に張り巡らされていたんだけど、それでも身の危険を感じ、厳戒態勢を敷いたんだ。

用心のために、武装したボディガードを雇ったんだが、彼の銃を見ると、マシンガンみたいなアサルト・ライフルだったよ。彼は、軍服を着ていて『何事だ!』って感じだった。巡回する人員も配置されていて、『一体、どうなってるんだ』と思ったよ。

何をしているか自分でもよくわからなかったよ。警察に電話をかけたと思うんだが、結局、事態は軍事作戦のように大がかりになっていった。

『この森の所有者はあなたですか?』って彼らに訊かれて、どういう状況か理解できたよ。こんな状態でどうやって毎日過ごせばいいんだと思って、気絶しそうだったよ。ともかく、人員が配置されて、森の中にまで警備が敷かれていたよ。

と、その時のことについて語っておられます。

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マイケルジャクソンとのデュエット「セイ・セイ・セイ」が自身最大のヒット

それでも、ポールさんは、翌年の1981年には、ジョンさんの死を乗り越え、音楽活動を再開されるのですが、「ウィングス」は活動を停止したままで、同年4月27日には、結成以来、ともに活動してきた唯一のメンバー、デニー・レインさんが脱退を表明したことで、実質的に解散。

そんな中、ポールさんは、プロデューサーのジョージ・マーティンさんの進言もあって、カール・パーキンスさんやスティーヴィー・ワンダーさんなど、多くのミュージシャンとデュエットをするようになり、

1982年には、マイケル・ジャクソンさんのアルバム「スリラー」内の曲「ガール・イズ・マイン」で、マイケルさんとデュエットされると、

同年、ポールさんのアルバム「パイプス・オブ・ピース」内の曲「セイ・セイ・セイ」でも、マイケルさんとデュエットし、シングル・カットすると、1983年12月10日から6週連続で週間ランキング第1位を獲得する大ヒット。

「ビルボード誌」の1984年年間ランキングでも第3位を獲得し、ポールさんにとって、「The Beatles」解散後、最大のヒットとなったのでした。

(ちなみに、マイケルさんにとっても、ソロとしては、「ビリー・ジーン」に次ぐ歴代2位のヒットとなっています。)

「ポールマッカートニーの最初の妻の死因は?ウイングスで共に活動!」に続く

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