1976年にモデルとして芸能界入りすると、雑誌のグラビア等で引っ張りだことなり、女優、歌手、司会等でも活躍した、朝比奈マリア(あさひな まりあ)さんですが、やがて、絵画の才能を発揮すると、画家やアクセサリー作家として活動するようになります。今回は、そんな朝比奈さんの出演作品・ディスコグラフィーほか、絵画やアクセサリーの作品を画像を交えてご紹介します。

「朝比奈マリアの若い頃が美人過ぎる!」からの続き

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出演作品(テレビ(ドラマ))

それでは、まずは、朝比奈さんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1980年「愛」
     「しあわせ戦争」
1982年「花の影」
1983年「夫婦の春」
     「母と娘の刻印」


「しあわせ戦争」より。(左から)森本レオさん、中村敦夫さん、加賀まりこさん、古手川祐子さん、三浦友和さん、秋吉久美子さん、江藤潤さん、朝比奈さん、新井康弘さん。

出演作品(テレビ(バラエティほか))

バラエティ等では、

1978年「ザ・ポップ」※司会
1980年「ぴったし カン・カン」
1983年「世界歌謡祭」

出演作品(ラジオ)

ラジオでは、

1981年「FMラジオ劇場 傷跡」

出演作品(CM)

CMでは、

「パルコ」(1978年)
「サンスター トニック」(1978年)


「サンスター トニック」のポスターより。

「ジャノメ メモリア」(1980年)
「日産自動車 スカイライン」 (1977年-1981年)


「日産自動車 スカイライン」のCMより。富岡賢(後にマイケル富岡)さんと朝比奈さん。

「ネスカフェ プレジデント」


「ネスカフェ プレジデント」のポスターより。朝比奈さん(左)と雪村いづみさん(右)。

などに出演されています。

ディスコグラフィー(シングル)

また、歌手としても、

シングルでは、

1979年「ディスコ・ギャル


ディスコ・ギャル

1982年「太陽は死なない」


「太陽は死なない」

ディスコグラフィー(アルバム)

アルバムでは、

1979年「MARIA


MARIA

2011年「MARIA+2


MARIA+2

などをリリースされています。

仁科展で7年連続入選するなど絵画の才能を発揮

こうして、マルチに活躍していた朝比奈さんですが、外国人の顔立ちをした朝比奈さんは、ドラマ制作の関係者から、出演者の中で浮いてしまうため使えないと言われたこともあったそうで、徐々に芸能界から遠ざかると、

やがては、お母さんの雪村いづみさんの影響で、油絵の制作をするようになり、1984年、第三文明展に初めて作品を出すと、いきなり入選。1987年には、二科展でも入選を果たすと、以降、二科展では7年連続入選するなど、画家としての才能を発揮し、その後は、全国の百貨店で個展を開催しています。

(1991年には、お母さんの雪村いづみさんと親子展も開いています)


朝比奈さんの作品「天馬のたてがみ」


朝比奈さんの作品「風」


朝比奈さんの作品「朝もや」

ちなみに、朝比奈さんは、主に馬の絵を描く画家として有名なのですが、1983年に二科展で入選した油絵「ピンクの馬服」は、馬の雑誌「優駿」に載っていた写真を模写した作品であることが分かり、入選を取り消されたそうです。

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アクセサリー作家としても活動

また、朝比奈さんは、2000年、30代後半の頃には、ビーズアクセサリーにハマったそうで、趣味で楽しむようになっていたそうですが、やがて、プロの目にとまったそうで、それをきっかけに、ビーズアクセサリーのデサイナー兼講師として複数の教室をオープンすると、その後、個人のビーズ教室「ビジューde Maria 」を開催しているそうです。

そして、2016年には、アメリカ人女性・グレニス・ドルチェさんが京都で学んだ絞り染めの技法「Shibori」を使った作品の素晴らしさと美しさに魅了され、自身の作品にも「Shibori」を取り入れて、ソウタシエ(縁に施す飾り)とシルクプリーツリボンとを組み合わせたアクセサリーを制作するようになると、斬新でありながら艶のあるアクセサリーが人気を博しているそうです。

(現在は、この「Shibori シルクリボンアクセサリー」の魅力を伝える活動もしているそうです)

「朝比奈マリアの夫との馴れ初めは?母・雪村いずみに勧められていた!」に続く

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