もともとはミュージシャンを目指すも、俳優に転身後の1975年、テレビドラマ「赤いシリーズ」でブレイクされた、三浦友和(みうら ともかず)さん。その後も、数多くのテレビドラマや映画に出演され、幅の広い演技が高く評価されています。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

三浦さんは、1952年1月28日生まれ、
山梨県塩山市(現在の甲州市)のご出身、

身長178センチ、

血液型はAB型、

本名は、
三浦 稔(みうら みのる)、

学歴は、
東京都立日野高等学校卒業、

趣味・特技は、
映画鑑賞、作詞作曲、ギター、陶芸、麻雀、

だそうです♪

バンド少年として

三浦さんは、中学生の時、音楽に目覚め、
ギターに没頭する毎日を送られていたのですが、

高校入学後も、音楽の熱は冷めず、
アルバイトで貯めたお金でドラムを買い、
バンド活動に励まれていたそうです。

そして、ちょうどその頃、
高校の同級生として、ロック歌手の、
故・忌野清志郎さんに出会われたそうで、

毎朝、多摩動物公園行きのバスで、
一緒になったことがきっかけで、
親しくなられるのですが、

ある時、忌野さん以外、別の高校だった、
「RCサクセション」の初期のメンバーが、
三浦さんの高校に集まり、
教室でライブを行っているのを見て、

そのオリジナルな演奏と迫力に驚き、
忌野さんが憧れの存在となったそうです。

その後、三浦さん自身も、
初期の「RCサクセション」のバックミュージシャンとして、
ライブに参加されたこともあったそうで、

「RCサクセション」とも、
親しく交流するようになったのでした。

音楽を目指す

そんな三浦さんは、憧れの忌野さんが、

「才能のない奴は大学へ行け!」

と言っているのを聞き、

自分も音楽でやっていけるのでは、
とひそかに音楽で食べていく決心をされると、

進学校だったにもかかわらず、
大学受験をせずに、芸能界を目指すことに。

当時の三浦さんと忌野清志郎さん。

ご両親の手前、表向きは、
無線の専門学校に進学されたそうですが、

アルバイトと音楽に明け暮れる日々を送られ、
結局は、家を出られたのでした。

挫折

ただ、現実は厳しく、
憧れの「RCサクセション」でさえも、
低迷期に入るなど、

三浦さんは、プロの厳しさを、
目の当たりにします。

そして、追い打ちをかけるように、
「RCサクセション」のマネージャーから、

「君はバンドマンには向いていない」

と、言われてしまい、
歌手やモデルを勧められたそうですが、

まったく興味が沸かず、
三浦さんは、仕方なく、残った選択肢の、
俳優をやることにしたのだそうです。

俳優へ転身

こうして、三浦さんは、
1972年、20歳の春、

「シークレット部隊」で、
テレビドラマデビューを果たすと、


(左から)藤巻潤さん、中条静夫さん、津川雅彦さん、川口厚さん、
大門正明さん、宇津井健さん、三浦さん、目黒祐樹さん。

その後、次々と仕事が舞い込むという、
幸運に恵まれるのですが、

当時はそのありがたみが分からず、
ただ、生活のために仕事をこなす日々だったそうです。

映画「伊豆の踊子」が転機に

しかし、三浦さんは、
1974年、22歳の時、

当時、絶大な人気を誇っていた、
歌手の山口百恵さんの、

第1回主演映画「伊豆の踊子」の、
相手役オーディションで、見事合格し、
映画デビューを果たされると、

試写会で、初めて、
自分が演技をしている姿を観られ、

自身の演技を客観視しつつ、
一般のお客さんの反応を、
直接肌で感じることができたそうで、

あの小さなレンズの向こうには、
たくさんの人たちが見てくれているんだ。

と実感されたのでした。

「伊豆の踊子」より。三浦さんと山口さん。

(当時は、まだ、録画は一般的ではなく、普段、
 自分の演技を見ることはなかったそうです。)

それ以来、三浦さんは、

撮影の現場では、
そのことを常に意識して、

ひとつひとつの役を、大切に真剣に、
取り組むようになりました。

とのことで、

現場の後輩たちにも、
常々その思いを伝えています。

と、おっしゃっていました。

テレビドラマ「赤いシリーズ」で大ブレイク

そして、翌年の1975年には、
テレビドラマ「赤いシリーズ」で、

再び、山口百恵さんと共演されると、
たちまち大ブレイク!

1980年まで続いたこのシリーズは、
高視聴率を記録し続け、

三浦さんと山口さんは、
「百恵友和コンビ=ゴールデンコンビ」
と、呼ばれるようになったのでした。

「赤い疑惑」より。山口さんと三浦さん。

こうして三浦さんは、一躍、
人気俳優の仲間入りを果たすと、
以降も順調にキャリアを積まれ、

硬派な役からコミカルな役まで演じ分ける、
演技派俳優として確固たる地位を確立。

また、2016年6月に公開された、
映画「葛城事件」では、

無差別殺人者の父親という、
難しい役を演じ切り、
新たな境地を開かれています。

「葛城事件」より。新井浩文さんと三浦さん。

妻は山口百恵!

そんな三浦さんの、
気になるプライベートなのですが、

三浦さんは、1980年、
当時、人気絶頂だった、
歌手の山口百恵さんと結婚されています。

お二人は、1974年5月、
桜の名所として有名な、
世田谷区の東京都立砧公園での、
CMで知り合われ、

同年9月、映画「伊豆の踊り子」で、
初共演されているのですが、

この時、三浦さん22歳、
山口さんは、まだ15歳だったそうで、

三浦さんは、車での移動中に、
寝ようとした山口さんに、

眠りなさい、可哀想に。
疲れてるんでしょう。

と、話しかけたと言われています。

そして、翌年の1975年、
テレビドラマ「赤いシリーズ」
映画「潮騒」で、またもお二人は共演。

「赤いシリーズ」は、その後、
1980年まで続いたことから、

お二人は5年間共演されることとなり、
次第に恋愛感情が生まれるようになったのでした。

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息子は?

ところで、三浦さんには、
息子さんが二人おられます。

長男は、シンガーソングライターで俳優の、
三浦祐太朗(みうら ゆうたろう)さん、

次男は、俳優の、
三浦貴大(みうら たかひろ)さんなのですが、

三浦さんは、2016年、
映画「葛城事件」で、
殺人犯の父親を演じられた際に、

愛情を持って家族を支えていても、
その愛情をかけ違えて歯車が狂うと、
どんどんと予期せぬ方向に事態が進んでいってしまう。

それは、決して他人ごとではありません。
いま、私の2人の息子たちは、
それぞれ自分の夢を見つけて前に進んでくれていますが、

これもあくまで、
偶然の結果に過ぎないのだと実感しています。

と、真摯に語っておられ、

ご家族を思う姿は、
私達がイメージする三浦さんそのもの。

実際、人気絶頂だった山口百恵さんと結婚後も、
長きに渡り、円満な家庭生活を送られているのが、
その証拠ですね。

さて、いつまでも若々しい三浦さんですが、
もう60代も半ば。

お体には十分に気をつけて、これからも、
素晴らしい演技を見せ続けてほしいですね。

応援しています!!

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