宇津井健の若い頃は山口百恵と?死因は?ごくせん渡鬼ほか出演ドラマ映画は?


「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役でおなじみだった、宇津井健(うつい けん)さん。実は、学生時代はモテモテで、俳優デビュー後も、「ザ・ガードマン」などで正義のヒーローを演じられていました。今回は、そんな宇津井さんの、若い頃、出演作品、死因までを調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

宇津井さんは、1931年10月24日生まれ、
東京府東京市深川区(現・東京都江東区)のご出身、

身長173センチ、

血液型はA型、

本名は、芸名と同じ宇津井健、

学歴は、
千葉県立千葉中学校
⇒千葉県立千葉高等学校
⇒早稲田大学第一文学部演劇専修中退

特技は、
乗馬、ナイフ製作、

ちなみに、座右の銘は「才能の器は小さい、努力の器は大きい」だそうです。

大学生時代は乗馬に夢中

宇津井さんは、高校生の頃、早稲田大学出身の作家、尾崎士郎の「人生劇場」を愛読しており、尾崎士郎の影響で、早稲田大学に進学されると、入学式の前、新宿で、馬に乗った早稲田の学生を見かけ、その勇姿に一目惚れし馬術部に入部。

すると、宇津井さんは、たちまち馬に夢中になり、毎朝、共同の馬場がある学習院大学に馬に乗りに行き、世話をしてから授業に出ると、夕方には、また馬場に戻るという生活を送り、1年生の終わり頃には、レギュラーに抜擢されるほど、上達されたそうで、

宇津井さんが競技に出ると、女子がたくさん見に来たそうです。(宇津井さんがかっこよかったため)

ちなみに、宇津井さんは、演劇部にも所属していたのですが、馬に夢中だったため、大学では、ほとんど演劇活動をしていなかったそうです。

「思春の泉」の主演で映画デビュー

こうして、宇津井さんは、馬に明け暮れる生活を送っていたため、4年では卒業できないと感じ始めたそうですが、ちょうどその頃、「俳優座養成所」が俳優を募集しているのを知り、応募したところ、見事合格。

すると、1953年、「俳優座養成所」2年生の時には、裸馬を乗りこなせるという理由で、「思春の泉」の主演に抜擢されて、映画デビュー。


「思春の泉」より。

宇津井さんは、同期の仲代達矢さんや佐藤慶さんたちから、

ほんとにもう・・・。健ちゃん、馬に乗れて良かったね。

と、うらやましがられたのだそうです。

「ザ・ガードマン」「赤い」シリーズでブレイク

そして、翌年の1954年には、「東宝」に入社され、若手スターとして活躍されるのですが、1961年に「新東宝」が倒産し、「大映」に移籍すると、脇役に甘んじる日が続きます。

しかし、宇津井さんは、その後、テレビに活路を見出し、1965年に、テレビドラマ「東京警備指令 ザ・ガードマン」で主演を務められると、最高視聴率40.5%を記録する大ヒット。1971年まで続く人気ドラマとなったのでした。


「東京警備指令 ザ・ガードマン」より。(左から)川津祐介さん、神山繁さん、宇津井さん、藤巻潤さん、稲葉義男さん。

さらに、1974年には、「赤い迷路」山口百恵さんの父親役を演じられると、山口さんとともに大ブレイク。以降、このドラマは、「赤いシリーズ」として、1980年まで続く大ヒットとなったのでした。


「赤い迷路」より。(左から)山口百恵さん、松田優作さん、宇津井さん。

「渡る世間は鬼ばかり」で岡倉大吉

また、宇津井さんは、脚本家の橋田壽賀子さんと家族ぐるみのお付き合いがあったそうで、1973年には、橋田さんが脚本を担当したテレビドラマ「たんぽぽ」に出演。


「たんぽぽ」より。(左から)長谷川諭さん、宇津井さん、あおい輝彦さん、音無美紀子さん。

(宇津井さんの代表作となった「赤いシリーズ」は、橋田さんのご主人だった、TBSプロデューサーの岩崎嘉一さんプロデュース作品でもありました)

以降、橋田さんの作品に出演されると、2006年から「渡る世間は鬼ばかり」で、岡倉大吉役を演じられています。


「渡る世間は鬼ばかり」より。

(もともと、「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉は、藤岡琢也さんが演じておられたのですが、2006年に病気で降板されたため、その後を継ぐ形で宇津井さんが演じられたのでした。)

出演作品(映画、テレビドラマ)

それでは、ここで、宇津井さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

映画では、

1953年「思春の泉」
1954年「本の虎」
1955年「人間魚雷回天」
1956年「軍神 山本元帥と連合艦隊」
1957年「海の三等兵」
1958年「スーパージャイアンツ 宇宙怪人出現」


「思春の泉」より。


「スーパージャイアンツ 宇宙怪人出現」より。中央のもっこりヒーローが宇津井さんです。

1959年「戦場のなでしこ」
1960年「太平洋戦争 謎の戦艦陸奥」
1961年「東京の夜は泣いている」
1962年「誘拐」
1963年「黒の商標」
1964年「殺られる前に殺れ」


「黒の商標」より。(左から)三島雅夫さん、藤由紀子さん、宇津井さん。

1965年「大捜査網」
1966年「ザ・ガードマン 東京忍者部隊」
1967年「海のGメン 太平洋の用心棒」
1968年「ジェットF104脱出せよ」
1969年「あゝ海軍」
1970年「ボクは五才」

1975年「新幹線大爆破」
1988年「パンダ物語 熊猫的故事」
1999年「催眠」
2002年「シベリア超特急3」
2003年「銃声 LAST DROP OF BLOOD」
2004年「死に花」

2005年「鳶がクルリと」
2007年「マリと子犬の物語」
2009年「沈まぬ太陽」
2010年「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」
2012年「HOME 愛しの座敷わらし」
2013年「劇場版 タイムスクープハンター -安土城 最後の一日-」


「マリと子犬の物語」より。(左から)船越英一郎さん、松本明子さん、宇津井さん、佐々木麻緒さん、広田亮平さん。

テレビドラマでは、

1965~1971年「東京警備指令 ザ・ガードマン」
1966年「春や春」
1972年「にんじんの詩」
1973年「たんぽぽ」
1974年「事件狩り」
1975年「女と味噌汁31」
1976年「赤い運命」
1977年「新西洋事情」
1978年「薔薇海峡」


「にんじんの詩」より。(左から)宇津井さん、小川眞由美さん、梓英子さん、吉沢京子さん、杉浦直樹さん。

1979年「女たちの忠臣蔵」
1980年「心」
1981年「野々村病院物語」
1982年「野々村病院物語II」
1983年「源さん」
1984年「年ごろ家族」

1985年 NHK銀河テレビ小説「男が家を出るとき」
1986年 NHK大河ドラマ「いのち」
1987年「美に捧げる犯罪」
1988年 NHK大河ドラマ「武田信玄」
1989年「黄昏の赫いきらめき」
1990年「荒木又右衛門 決闘・鍵屋の辻」
1991年「デパート!夏物語」

1992年 NHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」
1993年「三十ふり袖」
1994年 NHK連続テレビ小説「ぴあの」
1995年「土曜ドラマ 大地の子」
1996年「忍者がえし水の城」
1997年「藤沢周平の用心棒日月抄」第7話

1998年「上杉鷹山-二百年前の行政改革-」
1999年「催眠」
2000年 NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」
2001年「ムコ殿」
2002年「ごくせん」
2003年「ブルーもしくはブルー 〜もう一人の私〜」
2004年「熱き夢の日〜日韓ワールドカップ・真実の裏側〜」


「ごくせん」より。阿南健治さんと宇津井さん。

2005年「おとなの夏休み」
2006年「ある愛の詩」
2007年「ビートたけし×松本清張 点と線」
2008年「ディロン〜運命の犬ふたたび」
2009年 NHK大河ドラマ「天地人」
2010年「チャンス」
2012年「ぼくの夏休み」

ほか、数多くの作品に出演されています。

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死因は?

ところで、宇津井さんは、50歳でタバコを、60歳でお酒をやめられると、ウォーキングマシーンなどのトレーニング器具を14~15種類も設置され、75歳の時には、朝と晩、300回ずつ腹筋することを欠かさず、現場には鉄アレイを持参。

撮影の合間には腕立て伏せを行うなど、暇さえあればトレーニングに励み、共演者やスタッフを驚かせるなど、健康にとても気を使われていたそうです。

ただ、寄る年波には勝てず、2013年(81歳)頃から「肺気腫」を患われると、知人の医師が勤務する名古屋市の病院に通院されるようになり、

2014年3月11日には容態が急変。緊急入院し、処置を受けられるも、3月14日、「慢性呼吸不全」のため、82歳で他界されたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

宇津井健さんの、

  • 年齢は?出身は?身長は?本名は?
  • 大学生時代は乗馬に夢中
  • 「思春の泉」の主演で映画デビュー
  • 「ザ・ガードマン」「赤いシリーズ」でブレイク
  • 橋田壽賀子ファミリー
  • 出演作品(映画、テレビドラマ)
  • 死因は?

について、まとめてみました。

宇津井さんといえば、なんといっても、「東京警備指令 ザ・ガードマン」ですが、その精悍で爽やかルックスは、まさに正義のヒーローそのもの。実際、芸歴60年で犯人役は一度もなかったそうで、

テレビドラマ「相棒」には、自ら、

この作品なら犯人役として参加したい

とラブコールされていたのですが、

結果、「相棒」には、シーズン9の「予兆」「劇場版II 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」に出演されたものの、犯人役は実現しなかったとのこと。

高齢となっても、トレーニングを続け、いつも背筋がピンと伸びていて、ハツラツとされていた宇津井さんは、最後まで爽やかに世を去られたのでした。

「宇津井健の前妻は?なつめ後妻と息子が遺産巡り相続争い!」に続く

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