これまで順調にキャリアを積んでこられた勝新太郎(かつ しんたろう)さんですが、1978年には阿片所持で書類送検、1979年には黒澤明監督の映画「影武者」の主演に起用されるも黒澤監督とのトラブルから降板、そして、1981年には「勝プロダクション」が12億円の負債を抱えて倒産、1982年には娘と息子が大麻密売でそろって逮捕されてしまいます。


「座頭市と兵隊やくざ!子連れ狼も制作!顔役では監督も!」からの続き

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阿片所持で書類送検

1967年に「勝プロダクション」を設立して以来、
意欲的に作品を発表し続けた勝さんですが、

1978年5月10日、
勝さんのマネージャーと弟子で俳優の酒井修さんが、
阿片(アヘン)所持で逮捕されるという事件が起こります。

この事件に関して勝さんは、当初は、
マネージャーやお弟子さんをかばうように

「一切の責任は自分にある」

と、おっしゃっていたのですが、

5月25日、なんと、勝さん自身も、
阿片所持で書類送検。

(※書類送検とは、逮捕せずに検察に書類が送られることで、
  その後、検察が起訴するかどうかを判断します)

実は、勝さんは、1977年4月に中東に撮影で出かけた際、
40代のイラン貴族と知り合いになると、現地で阿片を吸われ、

6月、そのイラン貴族が来日した際には、
おみやげとして阿片の入った観音像を受け取っていたのでした。

これに対し、勝さんは、

阿片は装飾品として所持していただけ

と釈明され、結果的には不起訴となっているのですが、
(つまり、前科はつかなかった)

記者会見を開かれた際には、

役者は法律に反してはいけないが、
世間の人がやる事はある程度やってみる必要がある。

と、勝新太郎節を炸裂させています(笑)

(当時放送中だった、テレビドラマ、
 「新座頭市」の放送は中止されています。)

記者会見される勝さん

黒澤明監督の「影武者」に出演?

その後、勝さんは、無事、映画界に復帰し、
翌年の1979年には、黒澤明監督映画「影武者」の主演、
武田信玄役とその影武者役の二役に抜擢されるのですが、

またもやトラブルを起こし、
黒澤監督に降板させられてしまいます。

一体、何があったのでしょうか?

もともと、武田信玄役とその影武者役には、
勝さんのお兄さんである若山富三郎さんとその弟である勝さんで、
という話になっていたそうですが、(兄弟で似ているという点から)

若山さんは、

勝新の奴は朝は起きない、午前中は使い物にならん。
あんなのと一緒じゃたまらん。

と言われ、

「勝新と一緒ではできない」

と、早々にこの話を辞退。

その一方で、ノリノリだった勝さんは、
この作品に賭ける思いが強く、

キャスティングや推薦する女優の写真を、
黒澤監督に送るなど、いろいろと口を出されたそうで、

黒澤監督が勝さんに、信玄の弟、信廉(のぶかど)役の、
山崎努さんの役作りのために写真を送るよう依頼しても、

勝さんは、この写真を使ってくれだの、この表情を参考にしろなど、
うるさいほどの注文を書き込まれたのだとか。

これには、完璧主義者で、
すでに細部に至るまで完成図ができていた黒澤監督は、

「そんなのこっちが決めるこっちゃないか」

と言って、困っておられたのですが、

勝さんが、クランクイン後に、
リハーサルで用意された台詞が気に食わないと、
わざと毎回違う言い方をされると、

最初は笑いながら注意していた黒澤監督も、
次第に我慢ならなくなっていったのでした。

武田信玄に扮する勝さん。

降板

そして、ついに二人が決裂する日が訪れます。

というのは、衣裳部屋で衣装とかつらをつけた勝さんが、
自分の演技を確認したいから現場でビデオを回したい、
と言い出したのです。

さすがに、これには黒澤監督も、

断る!そんなことされたんじゃ気が散ってしょうがない。
あんたは自分の役に集中していればそれでいいんだ。
余計なことはするんじゃない!

と激怒されると、

勝さんも怒鳴られたことでカンカンに怒り、
衣装部屋を出ていかれたそうで、

その様子を見ていた根津甚八さんは、後に、

突然、ドカドカって勝さんが衣裳部屋に戻ってきた。
むくれた様子で一言も言わずにどんどん衣装を脱ぎ捨てている。

僕は小便かなと思った。そしたら、いきなりカツラをむしりとって、
脱いだ衣装の上にポンと放り投げて出て行った。

いくらなんでもトイレにしちゃカツラをとるのは変だし、
やっぱりビデオのことで何かあったんだなと思いました。

と、証言されています。

そして、その後、勝さんはワゴン車に入ったまま、
プロデューサーがなだめても出て来なくなり、

直接、黒澤監督が行くと、勝さんは、

俺はこういう役者だから、
こんな気分では芝居はできない。

と言われたそうで、

ついに、黒澤監督は、(しかし、とても冷静に)

それなら、勝君には辞めてもらうしかないな。

と言われ、勝さんは降板させられたのでした。

(それを聞いた勝さんは、黒澤監督に掴みかかろうとしたそうですが、
 プロデューサーに羽交い締めにされ、止められたそうです。)

こうして、主演には、
仲代達矢さんが抜擢されたのですが、

武田信玄に扮する仲代達矢さん。

それでも「影武者」に未練があった勝さんは、
いろいろな人に相談して復帰を画策。
ただ、ついにそれは叶いませんでした。

ちなみに、勝さんは、
完成した「影武者」を見て、

「俺がやっていたらもっと面白かった」

と、語っていたそうです♪

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「勝プロダクション」倒産!息子と娘が大麻!

また、1980年には、制作されたテレビドラマ「警視-K」が、
予算オーバーしたうえ、視聴率不振で途中打ち切りとなると、

「勝プロダクション」は経営が立ち行かなくなり、
1981年、12億円もの負債を残し倒産。

翌年の1982年には、借金返済のため、
奥さんの中村玉緒さんを社長に、
「勝プロモーション」として最出発を図られるのですが、

そんな矢先、長女で元女優の奥村真粧美さんと、
長男の奥村雄大(現・鴈龍)さんの二人が、
「大麻密売」で、揃って逮捕されてしまったのでした。

写真は、2013年の「勝さんの十七回忌を偲ぶ会」より。
(左から)長女の真粧美さん、中村玉緒さん、長男の雄大さん。

そして、この後、さらに、
勝さんとご家族の不祥事は続きます。

「死因は?殺陣で真剣死亡事故!パンツにコカインで逮捕?」に続く

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