大学在学中、バンド「ザ・ブロードサイド・フォー」として「若者たち」が大ヒットするも、留学のため、あっさりバンドを解散すると、その後は、ソロでの音楽活動、俳優、タレント、映画プロデューサーほか、マルチに活躍してきた、黒澤久雄(くろさわ ひさお)さん。
そんな黒澤久雄さんは、プライベートでは、結婚を2回、離婚を1回しています。
今回は、黒澤久雄さんの、元妻・林寛子さんとの馴れ初め、離婚理由、子供(息子1人、娘2人)、再婚相手についてご紹介します。
黒澤久雄のプロフィール(年齢、出身、身長、血液型、学歴、本名ほか)
黒澤久雄さんは、1945年12月20日生まれ、
東京都の出身、
身長175センチ、
血液型はAB型、
学歴は、
成城大学中退、
ちなみに、
「黒澤久雄」は本名で、
お父さんは、
「世界のクロサワ」こと、映画監督の黒澤明さん、
お母さんは、
元女優の矢口陽子さんです。
黒澤久雄は大学時代に「若者たち」が大ヒットしていた
黒澤久雄さんは、高校生の頃から音楽活動を始めているのですが、
その後、大学在学中の1964年には、鶴原俊彦さん、横田実さんとともに、バンド「ザ・ブロードサイド・スリー」を結成。
翌年の1965年には、山口敏孝さんが新しくメンバーに加わり、バンド名を「ザ・ブロードサイド・フォー」と改名すると、
テレビドラマ「若者たち」の主題歌に起用された、同名シングルが大ヒットしています。
「若者たち」
ただ、その後は、同年9月に、セカンドシングル「星に祈りを(夜空の星)」をリリースしたのみで、
黒澤久雄さんが留学することになり、「ザ・ブロードサイド・フォー」は解散となっています。
「星に祈りを(夜空の星)」
黒澤久雄は留学から帰国後はタレントや映画プロデューサーとして活動していた
その後、留学から帰国した黒澤久雄さんは、DJやタレントとして活動し、
1972年「3丁目4番地」(ドラマ)
1975年「あこがれ共同隊」(ドラマ)
1976年「おはよう!こどもショー」(子ども向け番組)
1976年~「クイズダービー」(クイズ番組)
1977年「近眼ママ恋のかけひき」(ドラマ)
1979年~1983年「象印クイズ ヒントでピント」(クイズ番組)
「クイズダービー」より。(左から)竹下景子さん、沢田研二さん、黒澤久雄さん。
などのテレビ番組に出演。
その後は、映画プロデューサーとして、1985年「乱」から1993年「まあだだよ」まで、お父さんである黒澤明監督の作品に携わり、
(「まあだだよ」は黒澤監督の遺作)
お父さん亡き後も、
2000年「雨あがる」
2002年「海は見ていた」
「海は見ていた」の特別試写会より。長嶋茂雄さん(左)と黒澤久雄さん。
の2つの映画で、プロデューサーを務めました。
黒澤久雄の現在は?
そんな黒澤久雄さんは、現在、黒澤監督作品の著作権管理や文化事業を行っているほか、「株式会社デザインエクスチェンジ」の社外取締役も務めているそうですが、
クロサワ映画の世界を食で再現するというコンセプトで、都内に、「鉄板焼Kurosawa」という店舗も運営しているそうです。
(元々は、外食チェーン「レストラン黒澤グループ」として、「欅 くろさわ」「黒澤」ほか、都内に複数店舗、レストランを運営していたそうです)
黒澤久雄の元妻・林寛子との馴れ初めは?
黒澤久雄さんは、1980年4月、34歳の時、女優の林寛子さん(20歳)と結婚しています。
林寛子さん。
黒澤久雄さんと林寛子さんは、黒澤久雄さんが司会をしていた子ども向け番組「おはよう!こどもショー」に、林寛子さんが歌手としてゲスト出演したことがきっかけで知り合ったそうですが、
黒澤久雄さんが、その時に、林寛子さんを気に入ったそうで、
草野球チームを持ってるから応援に来てよ
と、いきなり誘うと、
林寛子さんは、野球の応援の前に、黒澤久雄さんのバンドのライブを広告代理店の人達と観に来てくれたそうで、
ライブ終了後、みんなでお茶をした際、黒澤久雄さんが、
電話番号を交換しようよ
と、言って、電話番号を交換したといいます。
(林寛子さんは、この時、まだ高校3年生で、みんなと楽しめればいいや、という感じで、全然その気はなかったそうです)
黒澤久雄は林寛子に夜中の3時に電話をかけていた
すると、黒澤久雄さんは、なんと、夜中の3時に林寛子さんに電話をかけたそうですが、
林寛子さんに、
こんな時間に何してるんですか?
と、言われ、
俺にとってはまだ序の口だ
と、答えると、
(林寛子さんは、翌日から3学期の期末試験だったため、徹夜で勉強している最中だったことから、たまたま起きていたそうですが、普段なら、寝ている時間帯だったそうです)
林寛子さんに、
お母さんが心配するでしょう
と、言われたそうで、
この言葉に、黒澤久雄さんは、
なんて純粋で心がキレイな子なんだ
と、クラっと来たそうで、
その後、交際に発展し、それから2年半の交際期間を経て、結婚に至ったのだそうです。
黒澤久雄さんと元妻・林寛子さん。
黒澤久雄と林寛子の離婚理由は?
そんな黒澤久雄さんと林寛子さんですが、結婚から23年経過した2003年に離婚。
実は、林寛子さんが離婚を切り出したそうですが、
黒澤久雄さんはというと、理由も聞かず、
あ、そう
と、あっさり答え、
その後、話し合いの中で、
俺もこのままじゃいけないと思ってた
と、林寛子さんの気持ちを汲み取り、15分ほどの話し合いで離婚を承諾したそうで、
黒澤久雄さんは、離婚会見で、
彼女の根にあるものは分からない。結局は価値観の違いみたいなものがあった。
(離婚は)僕も悪いことだと思ってなかったから。正直言ってどっちでもよかった。
と、語っています。
一方、林寛子さんはというと、後に、離婚の理由について、
ひと言では言えないんですけど、今考えると、私のほうが光の速さで大人になっちゃったんでしょうね。久雄さんはお父さん(黒澤明監督)と二人三脚で映画を作ってる人で、どこか現実味がないというか、ポワ~ンとしてるんですよ。
それが現実的な主婦とか母親の立場からするとイラッとするんです。それで何度もケンカになったんですけど、ある時から私、ケンカするのをやめたんです。
お互い見てる風景が違っているんだなと気づいて。で、私から「別れたいんだけど」って言ったんです。
と、明かしています。
黒澤久雄と林寛子は離婚成立後も同居していた
また、長年、そんな同居人のような関係だったせいか、
黒澤久雄さんは、離婚成立後も、林寛子さんに、
いつまでいたって構わない。生活費ぐらいはみる。困った時はいつでも言って来ればいい。
と、語っていたとのことで、
実際、しばらくの間、黒澤久雄さんと林寛子さんは同居していたといいます。
なんとも、寂しい夫婦ですが・・・
そういう関係だったからこそ、円満離婚(?)し、離婚後も同居できたのでしょうね。
黒澤明監督の表彰状を小渕首相(右)から受け取る、黒澤久雄さんと妻の林寛子さん(1998年10月 東京・千代田区の首相官邸)
黒澤久雄の再婚相手は「黒澤プロダクション」の秘書
ちなみに、黒澤久雄さんは、その後、2007年には、「黒澤プロダクション」の20年来の秘書である、40代の女性と再婚しています。
黒澤久雄さんは、林寛子さんと離婚後は、「黒澤プロダクション」の経営のほか、レストランチェーンも展開していたそうですが、
そんなビジネスで多忙な黒澤久雄さんを、この女性が献身的にサポートしていたそうで、信頼が愛情へと変わり、結婚となったとのことでした。
黒澤久雄と元妻・林寛子の間には子供が3人
黒澤久雄さんと元妻・林寛子さんとの間には、男の子1人と女の子2人、計3人の子供が誕生しているのですが、いずれも芸能活動をしています。
(再婚相手(現在の奥さん)との間には子供はいないようです)
息子(長男)はミュージシャンの黒澤甲
まず、長男は、ミュージシャンの黒澤甲(くろさわ こう)さんで、
「Volgrooma」というバンドで活動していたようですが、公式HPページを見た限りでは、2013年~2015年まではライブ活動をし、2016年にファースト・アルバムをネット販売していたようですが、
その後の情報がなく、現在は、どのような活動をしているのか分かりませんでした。
黒澤久雄さんの長男の黒澤甲さん。
娘(長女)は黒澤優
黒澤久雄さんの長女は、1982年7月7日に誕生した、元モデルでタレントの黒澤優(くろさわ ゆう)さんで、1999年8月、ファッション雑誌モデルとして芸能活動をスタートさせると、雑誌のほか、CMにも出演。
2000年には、「ISOLA 多重人格少女」で映画デビューも果たし、女優としても活動していたのですが、
2002年1月、19歳の時に、ミュージシャンで「SOPHIA」のヴォーカル松岡充さんと結婚すると、結婚後は、主婦業と子育てに専念するため、芸能界を引退しています。
黒澤久雄さんの長女の黒澤優さん。
娘婿は松岡充
ちなみに、黒澤優さんの夫(黒澤久雄さんの娘婿)の松岡充さんは、1994年、大阪で「SOPHIA」を結成すると、1995年10月2日にはミニ・アルバム「BOYS」を、11月1日には「GIRLS」をリリースして、メジャーデビューを果たし、1996年4月22日には、初のシングル「ヒマワリ」をリリース。
その後、1996年2月19日にリリースした4枚目のシングル「little cloud」が10万枚を売り上げる初のヒットを記録すると、
同年7月9日にリリースした5枚目のシングル「街」が33万枚を売り上げる大ヒットを記録し、一躍、スターダムにのし上がっています。
その後は、長期間に渡り、安定した活動を続けるも、2013年8月12日に「SOPHIA」の活動を休止。
ただ、2022年10月11日に、「SOPHIA」の活動を再開しています。
黒澤久雄の義理の息子・松岡充さん。
娘(次女)は黒澤萌
黒澤久雄さんの次女は、1983年11月7日に誕生した、歌手の黒澤萌(くろさわ もえ)さんで、2002年、安全地帯のカバー曲「悲しみにさよなら」をリリースしているのですが、
以降、一切、情報がないことから、現在はどうされているか不明です。
黒澤久雄さんの次女の黒澤萌さん。
さて、いかがでしたでしょうか?
若い頃は、バンド、留学、タレント、映画プロデューサーと、気ままに生きてこられた黒澤久雄さん。
現在は、「黒澤プロダクション」の代表取締役社長と、「黒澤明文化振興財団」理事長を務め、黒澤監督作品の著作権管理や文化事業を行っているそうですが、
死ぬまでに監督を一度やりたい
とも、語っており、
なんとも羨ましい限りです♪