1964年、4歳の時、「劇団日本児童」に入ると、1966年、6歳の時には、映画「あこがれ」でデビューし、以降、子役として絶大な人気を博した、林寛子(はやし ひろこ)さん。
今回は、そんな林寛子さんの、生い立ち、幼少期を含む子役時代の出演作品や経歴を時系列でご紹介します。
林寛子のプロフィール
林寛子さんは、1959年10月16日生まれ、
東京都大田区の出身、
身長156センチ、
血液型はB型、
学歴は、
大田区立相生小学校
⇒順心女子学園中学校(現・広尾学園中学校)
⇒堀越高等学校卒業
趣味は、料理、お菓子作り、社交ダンス、
ちなみに、「林寛子」は本名で、愛称は「かんこ」だそうです。
林寛子は6歳の時に映画「あこがれ」で子役デビュー
林寛子さんは、パチンコの釘師だったお父さんのもと、2人姉妹の次女(姉は6歳年上)として誕生すると、1964年、4歳の時、応募のチラシを見たお父さんによって、「劇団日本児童」に入れられたそうで、
お稽古をしながらオーディションに通う日々を送ると、1966年、6歳の時には、映画「あこがれ」で子役デビューしています。(主演は内藤洋子さん)
ちなみに、2014年、この「あこがれ」が「第39回湯布院映画祭」で再上映されているのですが、
林寛子さんは、自身のブログに、
私が子役として初めて出演させて頂いた映画が『あこがれ』でした。
孤児院に実父に連れて行かれるシーンを思い出します。
人工の雨をたくさん降らせる中、父に無理矢理手を引かれ涙いっばいためてずぶ濡れになっていた私・・・。
監督さんが優しく演技指導してくださったのは、『これでもうお父さんには会えない悲しいシーンなんだよ!別れが辛い表情をしてね!』と言われたのを覚えています。
あれから約50年の月日が流れたのですね。
又あの頃の私に、私も逢いたいです。
この度の再上映本当にありがとうございます!
私の芸能生活50周年の記念に成る素敵な出来事です。
感謝の気持ちで一杯です。
と、綴っています。
林寛子は7歳の時にNHK連続テレビ小説「旅路」に出演し注目を集めていた
そんな林寛子さんは、1967年、7歳の時、 NHK連続テレビ小説「旅路」に出演すると、たちまち注目を集めているのですが、
以降(小学校の低学年の頃)、林寛子さんは人気が絶大で、オーディションに林寛子さんが参加すると、
あの子がいると、役を持っていかれるからもうダメだ
と、煙たがられたといいます。
「旅路」より。日色ともゑさん(左)と林寛子さん(中央)。
林寛子は11歳の時に「仮面ライダー」にゲスト出演していた
その後も、林寛子さんは、順調に子役としてのキャリアを重ねていくと、
1971年、11歳(小学5年生)の時には、石ノ森章太郎さんの同名漫画を原作とする特撮ドラマ「仮面ライダー」の24話と25話に、テニスの少女役でゲスト出演すると、好評を博しています。
「仮面ライダー」より。
林寛子は12歳(小学6年生)の時に「変身忍者嵐」の「くノ一カスミ」役で人気を博すも途中降板していた
そして、1972年、12歳(小学6年生)の時には、同じ石ノ森章太郎さん原作の特撮テレビドラマ「変身忍者嵐」でヒロイン「くノ一カスミ」役を演じると、少女ヒロインとして人気を博すのですが、途中降板しており、
林寛子さんは、その理由について、
いわゆる「大人の事情」だったのかな。私はよくわからないけど、翌年には歌手デビューに向けて動きだしたから、たぶん事務所が降板させたみたい。
と、語っています。
(ちなみに、「変身忍者嵐」の撮影中には、みぞおちの辺りを攻撃されるシーンで、間違って本当に敵役の拳がみぞおちに入ってしまい、気を失ったことがあったそうです)
「変身忍者嵐」より。
「【画像】林寛子の若い頃は素敵なラブリーボーイほか!現在はスナック経営?」に続く
1973年、14歳の時、「ほほえみ」で歌手デビューすると、1975年には、6枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」が大ヒットし、その後も、次々にシングルをリリースして、アイドル歌手として人気を博した、林寛子(はやし ひろ …