1965年、14歳の時に、黒澤明監督映画「赤ひげ」で女優デビューすると、1966年には、テレビドラマ「氷点」でヒロインに抜擢されて、たちまちブレイクし、10代~20代の男性を中心に人気を博した、内藤洋子(ないとう ようこ)さん。
そんな内藤洋子さんは、20歳の時には、音楽家で元ランチャーズの喜多嶋修さんと結婚し、あっさり、芸能界を引退しています。
今回は、内藤洋子さんの、夫・喜多嶋修さんとの、馴れ初め、子供(娘2人と息子1人)、現在についてご紹介します。
「【画像】内藤洋子の若い頃は?現在までの出演ドラマ映画ほか経歴は?」からの続き
内藤洋子の夫・喜多嶋修との馴れ初めは?
内藤洋子さんは、人気絶頂だった1971年3月26日、20歳の時に、音楽家で元ランチャーズの喜多嶋修さん(当時22歳)と結婚しているのですが、
内藤洋子さんは、1966年にヒロインを務めたテレビドラマ「氷点」が高視聴率を記録するほか、翌年の1967年にリリースしたシングル「白馬のルンナ」が大ヒットし、瞬く間にトップアイドルの地位を不動のものにしており、
売れっ子ゆえに、プライベートな時間が全くなかったことから、
このままでは自分が欠陥人間になってしまうのではないか
と、不安を感じ、思い悩み始めていたそうで、
東宝の松岡辰郎社長に、
しばらく休ませてほしい
と、直談判したところ、
松岡辰郎社長はとても理解のある人だったことから、
1年間休みをあげるから好きなことをしなさい。その代わり、必ず戻ってくるように
と、内藤洋子さんの申し出を快く了承してくれたそうで、
(松岡辰郎社長は元プロテニスプレーヤーの松岡修造さんの祖父だそうです)
そんな休養期間に入ってすぐの頃、喜多嶋修さんと出会ったのだそうです。
内藤洋子さんが、喜多嶋修さんとどのように出会ったのか詳細は不明ですが、
当時、喜多嶋修さんは慶應義塾大学に通いながら、いとこの加山雄三さんが率いるバンド「ランチャーズ」でギターを担当しており、
内藤洋子さんも、1965年、14歳の時に、映画「赤ひげ」で、主演を務めた加山雄三さんの新妻役を演じるなど、加山雄三さんとは馴染み深く、このような縁から、内藤洋子さんと喜多嶋修さんは知り合ったと考えられています。
ちなみに、内藤洋子さんは、喜多嶋修さんと出会った時のことを、2005年、日刊ゲンダイのインタビューで、
当時の私は男性に対してガードが堅かったのですが、彼と出会って人生観が変わりました。女優業を続けることに迷っていた私に“苦しんでいるならやめたら。人生楽しくなくちゃダメ”と言ってくれたのです
と、語っています。
内藤洋子は喜多嶋修と渡英しロンドンで結婚式を挙げていた
そんな内藤洋子さんと喜多嶋修さんは、1971年3月26日に入籍すると、翌27日の夜には、東京・西新橋の料理店で両家の親族が集まって、
ヨーロッパへ行く喜多嶋修・内藤洋子の歓送会、あわせて修の卒業祝い
と題した、ささやかなパーティーが開かれ、
(喜多嶋修さんは、同月、慶應義塾大学を卒業したばかりだったそうです)
翌月4月13日、イギリス・ロンドンに渡ると、6月にロンドンで結婚式を挙げたのだそうです。
内藤洋子は結婚後はロンドン⇒カリフォルニアに移住していた
すると、内藤洋子さんは、そのまま、あっさりと芸能界を引退したそうで、
結婚後、しばらく、ロンドンで暮らし、1972年に娘の喜多嶋舞さんを出産すると、
その後、喜多嶋修さんの仕事の都合でか、1974年には、家族3人でアメリカ、カリフォルニア州に移住したそうです。
ちなみに、カリフォルニアでは、自給自足の生活をしていたそうで、肉はほとんど食べず、近くの川や湖で獲った魚を調理するほか、野菜も自分たちが耕した畑で収穫したものを食べていたのだそうです。
内藤洋子の現在は?
また、内藤洋子さんは、結婚後は、主婦業に専念しつつ、絵本作家として活動し、時折、トーク番組などのテレビに出演することもあるようですが、
マスコミへの露出はそれほど多くなく、芸能界にはほとんど未練がないようです。
内藤洋子の子供は娘2人と息子1人
そんな内藤洋子さんと喜多嶋修さんの間には、女の子2人と男の子1人、計3人の子供がいるそうです。
娘(長女)は喜多嶋舞
まず、内藤洋子さんの長女は、1972年に誕生した喜多嶋舞さんです。
喜多嶋舞さんは、1986年、コンパクトカメラのCMで芸能界デビューすると、1988年には、お父さんの喜多嶋修さんがプロデュースしたシングル「Whisper」で歌手デビューし、この「Whisper」が挿入歌となったテレビドラマ「ときめきざかり」では、初主演で女優デビューも果たしています。
その後、喜多嶋舞さんは、帰国子女のキャラクターを活かし、タレントとしても活動していたのですが、1996年6月、元光GENJIの大沢樹生さんと結婚し、長男を出産。
ただ、2005年には離婚して、2007年には別の男性と再婚し、女の子を出産するのですが・・・
2014年には、長男の出生を巡って元夫の大沢樹生さんと騒動を繰り広げ、内藤洋子さんも、突如、巻き込まれてしまいます。
そして、最終的には、内藤洋子さんと喜多嶋修さんが、孫(喜多嶋舞さんの長男)の親権を持つこととなり、孫(喜多嶋舞さんの長男)は、内藤洋子さんのもとで育てられたのですが・・・
この孫は、2019年1月には、女性への暴行事件を起こして逮捕されており、内藤洋子さんの心中は察するに余りあります。
息子(長男)と娘(次女)は?
さておき、内藤洋子さんは、喜多嶋舞さんのほかに、移住先の米・カリフォルニア州で、1981年に、長男(名前は非公開)、1983年に、次女・維さんを出産しているのですが、
2人とも情報がないことから、芸能関係者ではないようです。
内藤洋子さん一家。
内藤洋子の家系図は?妹は内藤圭子、伯母は和田妙子
ちなみに、内藤洋子さんの、
- 妹は、元歌手の内藤圭子さん
- 伯母は、ダンサーの和田妙子さん
内藤洋子さんの妹の内藤圭子さん。時期は不明ですが、シングル「マリーナ」をリリースしています。
なのですが、
最後に、簡単な家系図をご紹介しましょう。
内藤洋子の家系図
さて、いかがでしたでしょうか?
内藤洋子さんの、
- 【画像】内藤洋子の若い頃は?現在までの出演ドラマ映画ほか経歴は?
- 内藤洋子のプロフィール
- 内藤洋子は小学5年生の時に少女マンガ雑誌「りぼん」のモデルとして芸能界デビュー
- 内藤洋子は15歳の時に黒澤明監督作品「赤ひげ」で映画デビュー
- 内藤洋子は16歳の時に「氷点」のヒロインでテレビドラマデビュー
- 内藤洋子は16歳~17歳の時に映画「大菩薩峠」「あこがれ」「伊豆の踊子」に出演
- 内藤洋子は17歳の時に「白馬のルンナ」が50万枚を売り上げる大ヒットを記録していた
- 内藤洋子は18歳~20歳の時に映画「兄貴の恋人」「地獄変」、テレビドラマ「めぐり逢い」に出演
- 内藤洋子は20歳の時に芸能界を引退していた
- 内藤洋子の現在は?
- 内藤洋子の出演作品(映画)
- 内藤洋子の出演作品(テレビドラマ)
- 内藤洋子の夫・喜多嶋修との馴れ初めは?娘は喜多嶋舞!息子は?現在は?
- 内藤洋子の夫・喜多嶋修との馴れ初めは?
- 内藤洋子は喜多嶋修と渡英しロンドンで結婚式を挙げていた
- 内藤洋子は結婚後はロンドン⇒カリフォルニアに移住していた
- 内藤洋子の現在は?
- 内藤洋子の子供は娘2人と息子1人
- 娘(長女)は喜多嶋舞
- 息子(長男)と娘(次女)は?
- 内藤洋子の家系図は?妹は内藤圭子、伯母は和田妙子
について、ご紹介しました。
巨匠、黒澤明監督作品で女優デビューすると、その後、瞬く間にスターダムの階段を駆け上り、結婚後はカリフォルニアへ移住、主婦業の傍ら、創作活動に励まれるなど、人気女優にふさわしい華やかな人生を送るも、2014年には、娘で女優の喜多嶋舞さんの息子さんを巡る出生騒動に、突如、巻き込まれてしまった内藤洋子さん。
現在は、穏やかな日々を過ごされているとよいのですが・・・
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