少女漫画雑誌「りぼん」の表紙に出ていたところ、黒澤明監督に見初められ、1965年、15歳の時、「赤ひげ」で映画デビューすると、翌年の1966年には、テレビドラマ「氷点」のヒロインを務め、ブレイクを果たした、内藤洋子(ないとう ようこ)さん。
今回は、そんな内藤洋子さんの、若い頃(芸能界デビュー)から現在までの出演作品(映画、テレビドラマ)や経歴を時系列でご紹介します。
内藤洋子のプロフィール
内藤洋子さんは、1950年5月28日生まれ、
城県鹿島郡神栖村白十字保養農園の出身
(東京都東久留米市⇒神奈川県鎌倉市育ち)
学歴は、
自由学園
⇒鎌倉市立御成小学校
⇒北鎌倉女子学園(中学・高校)卒業
ちなみに、「内藤洋子」は本名で、結婚後は「喜多嶋洋子」となっています。
また、内藤家は、藤原氏の庶流で、代々、静岡県浜松市の地主だったそうで、曽祖父の代からは医業を家業としていたそうです。
(作家の内藤洋子さんは、同姓同名の別人です)
内藤洋子は小学5年生の時に少女マンガ雑誌「りぼん」のモデルとして芸能界デビュー
内藤洋子さんは、勤務医のお父さんのもと、4人姉妹の3番目として誕生すると、
1960年、小学校5年生の時、学校に「エースコックのワンタンメン」のCM撮影に訪れたスタッフにスカウトされ、少女マンガ雑誌「りぼん」のモデルとして活動を始めたそうで、
その後、7年に渡り、「りぼん」の表紙を務めています。
「りぼん」の表紙を務めていた当時の内藤洋子さん。
内藤洋子は15歳の時に黒澤明監督作品「赤ひげ」で映画デビュー
そんな中、映画「赤ひげ」制作中で、主人公、保本登(加山雄三さん)の許嫁(いいなずけ)役選びに困難を極めていたという黒澤明監督が、
当時、長女の黒澤和子さん(当時11歳)が定期購読していた「りぼん」の表紙の内藤洋子さんをひと目見て気に入ったそうで、
自ら、内藤洋子さんに、理由を告げないまま、東宝撮影所に招いてオーディションをすると、内藤洋子さんと酒井和歌子さんが、オーディションの最終選考に残ったそうですが、
最後の最後まで、映画制作陣で内藤洋子さんと酒井和歌子さんのどちらにするか決めることができなかったそうで、
最終的には、黒澤明監督の息子さんで、当時20歳だった黒澤久雄さんに二人の写真を見せ、黒澤久雄さんが選んだ内藤洋子さんに決定。
こうして、内藤洋子さんは、高校在学中の1965年、「赤ひげ」で、いきなり映画デビューを果たしたのでした。
「赤ひげ」より。右端が内藤洋子さん。左端は三船敏郎さん。
内藤洋子は16歳の時に「氷点」のヒロインでテレビドラマデビュー
すると、「赤ひげ」で、その清純さが好評を博した内藤洋子さんは、翌年の1966年には、三浦綾子さんの不朽の名作のテレビドラマ化「氷点」でも、ヒロインの辻口陽子役に抜擢され、テレビドラマデビューしているのですが、
(内藤洋子さんの出演は、陽子を引き取って育てる夏枝役を演じた新珠三千代さんのたっての願いで実現したのだそうです)
この「氷点」は、最終回で42.7%と高視聴率を記録し、内藤洋子さんもたちまちブレイクしたのでした。
「氷点」より。内藤洋子さん(左)と新珠三千代さん(右)。
ちなみに、内藤洋子さんの人気は凄まじく、内藤洋子さんの自宅前が、観光バスの遊覧コースとなって、自宅が紹介されるほどだったといいます。
内藤洋子は16歳~17歳の時に映画「大菩薩峠」「あこがれ」「伊豆の踊子」に出演
そんな内藤洋子さんは、その後も、
- 1966年「大菩薩峠」
- 1966年「あこがれ」
- 1967年「伊豆の踊子」
などの映画に出演すると、「あこがれ」では、ゴールデン・アロー賞を受賞しています。
「大菩薩峠」より。内藤洋子さんと仲代達矢さん。
内藤洋子は17歳の時に「白馬のルンナ」が50万枚を売り上げる大ヒットを記録していた
そして、1967年、17歳の時には、ヒロインを務めた映画「その人は昔」の挿入歌「白馬のルンナ」の歌唱も担当し、シングルをリリースすると、
50万枚の売上を記録する大ヒットを飛ばすなど、歌手としても成功を収めたのでした。
「白馬のルンナ」
ちなみに、この映画では、白馬と戯れる内藤洋子さんが、まるでお姫様みたいに可愛いと、多くのファンが魅了されたようで、この歌も、そんな内藤洋子さんのイメージにピッタリとなっています。
内藤洋子は18歳~20歳の時に映画「兄貴の恋人」「地獄変」、テレビドラマ「めぐり逢い」に出演
その後も、内藤洋子さんは、
映画では、
- 1968年「兄貴の恋人」
- 1969年「地獄変」
「地獄変」より。
テレビドラマでは、
- 1970年「めぐり逢い」
「めぐり逢い」より。
と、出演を重ねています。
内藤洋子は20歳の時に芸能界を引退していた
ただ、人気絶頂だった1970年、内藤洋子さんは、
音楽家で元ランチャーズの喜多嶋修さんと結婚し、芸能界を引退しています。
内藤洋子の現在は?
その後、内藤洋子さんは、主婦業や子育ての傍ら、絵画をはじめ、グラフィックデザイン、CDアートワーク、コスチュームデザインなど、数多くのアート活動をしていたそうですが、
近年は、絵本作家としても活動し、
- 2004年「天使の羽音-山鳩からの贈り物-」
「天使の羽音 山鳩からの贈り物」
- 2005年「おひさまにだっこ」
「おひさまにだっこ」
と、絵本を出版しています。
ちなみに、現在は、時々、トーク番組などに出演することがあるものの、メディアへの露出はそれほど多くなく、ロサンゼルスを拠点に、エッセイ、絵本、童話などの創作活動をしているそうです。
内藤洋子の出演作品(映画)
それでは、最後に、内藤洋子さんの主な出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1965年「赤ひげ」
- 1966年「大菩薩峠」
- 1966年「あこがれ」
- 1966年「お嫁においで」
- 1967年「伊豆の踊子」
- 1967年「続・名もなく貧しく美しく 父と子」
- 1967年「その人は昔」
- 1967年「育ちざかり」
- 1967年「君に幸福を センチメンタル・ボーイ」
- 1968年「年ごろ」
- 1968年「兄貴の恋人」
- 1968年「若者よ挑戦せよ」
- 1969年「社長えんま帖」
- 1969年「続・社長えんま帖」
- 1969年「華麗なる闘い」
- 1969年「地獄変」
- 1969年「娘ざかり」
- 1970年「社長学ABC」
- 1970年「クレージーの殴り込み清水港」
- 1970年「続・社長学ABC」
- 1970年「バツグン女子高校生 16才は感じちゃう」
- 1970年「日本一のワルノリ男」
内藤洋子の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1966年「氷点」
- 1966年「あじさいの歌」
- 1969年「えり子とともに」
- 1970年「めぐり逢い」
などに出演しています。
「内藤洋子の夫・喜多嶋修との馴れ初めは?娘は喜多嶋舞!息子は?現在は?」に続く
1965年、14歳の時に、黒澤明監督映画「赤ひげ」で女優デビューすると、1966年には、テレビドラマ「氷点」でヒロインに抜擢されて、たちまちブレイクし、10代~20代の男性を中心に人気を博した、内藤洋子(ないとう ようこ …