1961年、「日活」に入社すると、吉永小百合さん、松原智恵子さんとともに、「日活3人娘」として絶大な人気を博し、この世の春を謳歌されていた、和泉雅子(いずみ まさこ)さんは、撮影所に行くことが楽しみだったほど、自由奔放で楽しい毎日を送られていたようです。

「和泉雅子の若い頃は「日活3人娘」で絶大な人気を博していた!」からの続き

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高橋英樹とよくケンカしていた

1961年、吉永小百合さん、松原智恵子さんとともに、「日活3人娘」として売り出されると、たちまち大ブレイクした和泉さんは、翌年の1962年には、主演映画「ひとつのいのち」(森永健次監督)で高橋英樹さんと共演されているのですが、


「ひとつのいのち」より。高橋英樹さんと和泉さん。

和泉さんは、高橋さんのことを、足が短く、まるで土管に手足が出ているような感じだったため、「ダックスフンド」と呼び、高橋さんも、和泉さんのことを同様の意味で「白色レグホン」(ニワトリのこと)と言い返し、しょっちゅうケンカをしていたのだそうです。

というのも、高橋さんは、日頃から女優をイジメて楽しんでいたそうで、和泉さんは、吉永小百合さんと2人で、「女優をイジメないでください」と言いに行ったこともあったそうですが、今では、とても楽しい思い出となっているそうです♪


ダックスフンドと白色レグホン。

ちなみに、和泉さんは、その後も、高橋さんとは、シリーズで何十本も共演されており、その中には、「男の紋章」という映画があるのですが、この映画、当初は石原裕次郎さんが出演する予定だったところ、石原さんは、役柄上、足が長すぎて似合わないということで、急遽、足が短く、着物が似合う、和泉さんと高橋さんが、2人そろって起用されたのだそうです(笑)

中平康監督に気に入られていた

そんな和泉さんは、1962年、中平康監督映画「若くて、悪くて、凄いこいつら」に出演するにあたり、劇中、ショーツとブラジャーだけという姿になるシーンがあったことから、中平監督にこの役は恥ずかしいから嫌だと言い、

中平監督に、

一番欲しいお人形さんを買ってあげるから

と、なだめられて出演されたそうですが、

中平監督は、高島屋にしか売ってなかったこの人形を、試写の日に本当に買って持って来てくれたそうで、

このことは、あっという間に周囲に知れ渡り、

あのズーさん(中平監督)が、マコチンに人形を買った!

と、話題になるほどで、それほど和泉さんは中平監督に気に入られていたようです。


「若くて、悪くて、凄いこいつら」より。和泉さんと高橋英樹さん。

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浅丘ルリ子にもかわいがられていた

そんな和泉さんは、1962年、映画「銀座の恋の物語」で浅丘ルリ子さんと共演されているのですが、浅丘さんは、しばしばみんなを自宅に招き、年末には庭で餅つきをするなど、気さくな人柄で、和泉さんもとてもよくしてもらったそうです。


「銀座の恋の物語」より。(左から)和泉さん、浅丘ルリ子さん、石原裕次郎さん。

ただ、浅丘さんは3回着て着なくなった洋服をくれたそうですが、浅丘さんはとても細く、和泉さんには洋服が小さくて到底入らず、洋服屋に行ってサイズ直しをしてもらわなければならず、これがけっこう大変だったそうです。

(ちなみに、当時の自動ドアは、入り口を踏むと、その重みで開くようになっていたそうですが、浅丘さんは軽すぎてドアが開かないほど細かったとか。)

「和泉雅子は映画「非行少女」で実際に追い込まれていた!」に続く

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