1961年に「日活」に入社し、吉永小百合さん、松原智恵子さんと共に「日活3人娘」として絶大な人気を博すと、以降、80本以上もの映画に出演された、和泉雅子(いずみ まさこ)さん。今回は、そんな和泉さんの出演作品を画像を交えてご紹介します。
「和泉雅子は昔「二人の銀座」(山内賢とのデュエット)が大ヒットしていた!」からの続き
出演作品(映画)
それではここで、和泉さんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
1958年「荒城の月」
1959年「風花」
1961年「暗黒街の静かな男」
「母あちゃん海が知ってるよ」
「ずらり俺たちゃ用心棒」
「ずらり俺たちゃ用心棒」より。和田浩治さんと和泉さん。
1962年「ひとつのいのち」
「銀座の恋の物語」
「大氷原」
「若い爪あと」
「若者に夢あり」
「太陽と星」
「若くて、悪くて、凄いこいつら」
「激しい河」
「若くて、悪くて、凄いこいつら」より。和泉さんと高橋英樹さん。
1963年「海の鷹」
「泥だらけの純情」
「空の下遠い夢」
「非行少女」
「川っ風野郎たち」
「交換日記」
「男の紋章」
「エデンの海」
「悪太郎」
「その人は遠く」
「続男の紋章」
「泥だらけのいのち」
「光る海」
「男の紋章 風雲双つ竜」
「男の紋章」より。高橋英樹さんと和泉さん。
1964年「成熟する季節」
「こんにちは赤ちゃん」
「花嫁は十五才」
「若い港」
「新・男の紋章 度胸一番」
「あゝ青春の胸の血は」
「男の紋章 花と長脇差」
「男の紋章 喧嘩状」
「若草物語」
「花嫁は十五才」より。山内賢さんと和泉さん。
1965年「愛しながらの別れ」
「北国の街」
「男の紋章 喧嘩街道」
「落葉の炎」
「涙をありがとう」
「渡世一代」
「男の紋章 流転の掟」
「悪太郎伝 悪い星の下でも」
「血と海」
「男の紋章 俺は斬る」
「刺青一代」
「高原のお嬢さん」
「四つの恋の物語」
「北国の街」より。和泉さんと舟木一夫さん。
1966年「男の紋章 竜虎無情」
「鉄火場仁義」
「大空に乾杯」
「哀愁の夜」
「日本仁侠伝 血祭り喧嘩状」
「友を送る歌」
「日本仁侠伝 花の渡世人」
「絶唱」
「私は泣かない」
「おゆきさん」
「絶唱」より。和泉さんと舟木一夫さん。
1967年「青春の海」
「二人の銀座」
「夕陽が泣いている」
「終りなき生命を」
「花と果実」
「対決」
「東京ナイト」
「君は恋人」
「夕陽が泣いている」より。山内賢さんと和泉さん。
1968年「ザ・スパイダースの大進撃」
「花の恋人たち」
「星影の波止場」
「青春の風」
「娘の季節」
「昭和のいのち」
「あゝひめゆりの塔」
「あゝひめゆりの塔」より。吉永小百合さん(左)と和泉さん(右)。
1969年「花ひらく娘たち」
「涙の季節」
「夜の牝 年上の女」
「博徒百人」
「あらくれ」
「荒い海」
「喧嘩博徒 地獄の花道」
「花ひらく娘たち」より。和泉さんと杉良太郎さん。
1970年「牡丹と竜」
「あばれ丁半」
「花の特攻隊 あゝ戦友よ」
「土忍記 風の天狗」
1971年「戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河」
「逆縁三つ盃」
「朝霧」
1984年「きみは風のように」
「花の特攻隊 あゝ戦友よ」より。和泉さんと杉良太郎さん。
出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
1959年「少年ジェット」
1960年「そんなとき私は」
「熱血カクタス」
1968年「花と果実」
1969年「犬と麻ちゃん」
「娘すし屋繁盛記」
「少年ジェット」より。
「花と果実」より。関口宏さんと和泉さん。
1970年「ありがとう」
1971年「花嫁のれん」
1972年 NHK大河ドラマ「新・平家物語」
「嫁ふたり」
「姉と妹」
1973年「赤ひげ」第25話
「ありがとう」より。
「姉と妹」より。和泉さん(左)と香川京子さん(右)。
1974年「伝七捕物帳」第24話
「ぶらり信兵衛 道場破り」第40話
「雪舞い」
「斬り抜ける」
「華麗なる一族」
「幡随院長兵衛」第16話
1974、1977、1979、1984年「銭形平次」
「斬り抜ける」より。(左から)志垣太郎さん、近藤正臣さん、和泉さん。
1975、1980年「水戸黄門」
1975年「徳川三国志」
1976年「ほんとうに」
1977年「たんぽぽ 」第4シリーズ
「花のながれ」
「桃太郎侍」第60話
1978年「若さま侍捕物帳」第4話
「涙・あいつは今夜もいない」
「女教師」
1979年「女の一生」
「江戸を斬るIV」第13話
1979~1980年「愛」
1981年「玉ねぎむいたら…」
「あした幸福」
1982年「死者の木霊」
1983年「赤かぶ検事奮戦記」第3シリーズ
1992年「ママ走れ!」
1998年「渡る世間は鬼ばかり」第4シリーズ
「死者の木霊」より。林隆三さんと和泉さん。
ほか、数多くの作品に出演されています。
セリフが覚えられなかった
ところで、和泉さんは、セリフを覚えるのがとても苦手だったそうで、長野県と新潟県の県境を舞台に若者たちの恋や友情を描いた映画「北国の街」(1965年)では、最終列車に乗る舟木一夫さんを見送るシーンの本番中で、ホームに汽車が入ってきた瞬間、なんと、セリフを全部忘れてしまったのだそうです。
ただ、最終列車のため撮り直しはできないため、和泉さんは、タイミングと間合いだけは覚えていたことから、とっさに、
舟木くん、私、セリフを全部忘れちゃったの。だけど驚いた顔をしないで。私が「はい、どうぞ」って言うから、船木君は私の合図に従って台本通りにセリフをしゃべって
と、舟木さんに言うと、舟木さんは、顔色一つ変えず、和泉さんの言う通りにしてくれ、和泉さんが後で譜面台のような台に台本を置いてアフレコ作業をすると、ぴったりと収まったそうで、
和泉さんは、
自分のことを天才だと思いましたね。とっさの機転というか、とっさのことには、めっちゃ強いんです
と、自画自賛されていました♪
セリフ覚えが悪く石坂浩二に嫌われる
しかし、NHKドラマ「陽のあたる坂道」(1968年)ほか、何度か共演したことのある石坂浩二さんからは、和泉さんがあまりにもセリフを覚えていなかったことから、
君はセリフ覚えが悪いから大嫌い
と、はっきり言われ、本当に嫌われてしまったそうです(笑)
とはいえ、当時の和泉さんは、寝る時間がないほど忙しかったうえ、午前中は社会派の映画、お昼からはヤクザもの、夜は青春映画・・・と、まったくジャンルの違う作品を同時に3本掛け持ちということも珍しくなく、1年間で13~14本も映画の撮影をした年もあったとのことで、セリフ覚えが悪くない人でも、相当大変だったことは間違いありませんね。
「和泉雅子は南極レポーターの翌年に北極点到達を目指していた!」に続く