テレビドラマ「下町ロケット」に出演されたことで、一躍、若い人たちの間でも知名度が上がった、杉良太郎(すぎ りょうたろう)さん。今回は、そんな杉さんの、生い立ちからデビュー前の頃についてご紹介します。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?本名は?

杉さんは、1944年8月14日生まれ、
兵庫県神戸市のご出身、

身長178センチ、

血液型はO型、

本名は、
山田 勝啓(やまだ かつひろ)、

学歴は、
神戸市立長田小学校
⇒神戸市立西代中学校
⇒国立高浜海員学校中退

趣味は、
彫金、釣り、ゴルフ、合気道、

特技は、
絵画(油絵)だそうです。

芸名は当初「杉良太」だった

杉さんは、デビュー曲「野郎笠」の作詞家だった、関沢新一さんから、

「杉良太」でどうだ

と、言われたそうですが、

芸名の由来も聞かずに、

良太っておかしいよ

と、反論。

40~50歳になっても「良太」と呼ばれるのは子どもっぽくて変だと思ったことから、「郎」をつけた方がまだマシだろうと逆提案され、「杉良太郎」に決定したのだそうです。(それでも、時代劇くさくて、嫌は嫌だったそうです)

生い立ち

さて、杉さんのお父さんは、建築業を営まれていたのですが、そのかたわら、趣味が高じて神戸市に大衆演劇の芝居小屋「民衆座」を作られるほど、芸事が大好きだったそうで、

杉さんは、そんなお父さんのもと、4人兄弟の末っ子(上にお姉さんが3人)として誕生すると、お父さんの影響を受けてか、幼い頃から、地元ののど自慢大会に出場するなど、歌を歌うことが好きな子どもに育ちます。

また、杉さんは、お父さんの芝居小屋に入り浸っては、どの役者が伸びるか、どの出し物がヒットするかを観察し、言い当てることができたそうです。

中学卒業後は船乗りを目指していた

しかし、その後、お父さんが何度も他人の保証人になったせいで、財産を失い、杉さん一家は困窮を極めたそうで、

杉さんは、中学に入ると、

早く働いて親を楽にしてあげたい

との思いから、

どうやったら貧乏から脱出できるか

ということばかり考え、

結果、船乗りになろうと、中学卒業後、海員養成学校に入学されるのですが・・・

視力が悪かった杉さんは、約1年で中退せざるを得なくなり、船員になることを断念されたのでした。

Sponsored Link

上京後は歌のレッスンとカレー店でタダ働き

その後、杉さんは、

ヒットすればお金が稼げる

と、歌手を志し、神戸の「夕星歌謡学院」に入学されると、「夕星歌謡学院」在学中に出場されたオーディションの全国大会で、作曲家の市川昭介さんにスカウトされて、18歳(17歳の説あり)の時、歌手を目指して上京。

3畳一間のアパートを借りられると、まず、知人のカレー屋で、午前6時から午後11時まで無給無休(休みは元旦のみ)で働き、3食カレーを食べるという生活を送り、

週2日は、歌のレッスンを受けるために、カレー屋のあった向島から市川家のあった上野まで、片道2時間歩いて通われたそうで(両親からは3万円の仕送りがあったそうですが、下宿代とレッスン代でなくなったため、電車賃を払うことができなかったそうです)、

杉さんは、

無給で働いたのには理由があります。どんな仕事にも苦労はありますが、人は報酬があれば動きます。つまり、お金をもらって働くのは当たり前のこと。一円も報酬をもらわないという、当たり前ではない道を私は選んだのです。これを辛抱できれば、どんなことにも耐えられて歌手になれると思ったのです。

ただ一つ、お店が休みになる元日は心細かったです。仕事が休みなのに、行く当てもなく、話す相手もいないので、店の前を行ったり来たりしながら日が暮れていく。そのときが、なんともいえず不安でした。

週2日の歌のレッスンにはカレー屋がある向島から上野まで歩いて通っていました。お金がなかったので電車賃がなく、片道2時間歩きました。冷たい雨粒が体に当たっても、風が吹き付けても、コートなんかありませんし、喉が渇いてもペットボトルの飲みものなんてなかった。今、思うとあれで身体も鍛えられたのではないかと思います。

と、自ら苦労を選んだ理由について、語っておられます。

「杉良太郎の昔は野郎笠で歌手デビューも鳴かず飛ばずだった!」に続く

Sponsored Link