中学生の頃に演劇活動を始められると、高校生の時には、エキストラとして多数のテレビドラマに出演された、石坂浩二(いしざか こうじ)さん。そんな石坂さんの、生い立ち、学生時代の演劇活動、俳優デビューについて調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
石坂さんは、1941年6月20日生まれ、
東京府東京市京橋区(現・東京都中央区銀座)のご出身(大田区田園調布育ち)、
身長177センチ、
体重65キロ、
血液型はO型、
学歴は、
小さき花の幼稚園
⇒田園調布小学校
⇒慶應義塾普通部(中学)
⇒慶應義塾高等学校
⇒慶應義塾大学法学部法律学科卒業
趣味は、
絵画(二科展で何度も入賞するほどの腕前)、
ちなみに、本名は武藤兵吉(むとう へいきち)で、親交の深かった大橋巨泉さんらからは、「兵ちゃん」と呼ばれていました。
また、芸名の石坂浩二は、親友の大空眞弓さんが、好きな作家・石坂洋次郎と、好きな俳優・鶴田浩二から名付けられたそうです。
少年時代から数多くのテレビドラマにエキストラとして出演
石坂さんは、幼い頃、お芝居が好きだったおばあちゃんに、よくお芝居を見に浅草の劇場に連れて行ってもらったそうで、物心つく頃には、すっかり芸事にハマり、特に榎本健一さんの軽演劇がお気に入りで、夢中で見ていたそうです。
そんな石坂さんは、成長し、慶應普通部(中学)に入学されると、自ら演劇部を立ち上げ、演劇のほかにも、放送劇を制作。(そこでは、演劇ではできなかった女形に挑戦されたこともあったそうです)
また、高校生になると、当時、あちこちにできたラジオの民放局の番組制作が追いつかず、先輩のつてで駆り出されたそうで、石坂さんはラジオ番組の台本を書くなど、早くも本格的に活動を開始されたのでした。
ちなみに、この頃、石坂さんは、3つの劇団をかけもちされていたのですが、1958年に、「お源のたましい」で通行人の役でテレビドラマに初出演すると、以降、劇団の運営資金を稼ぐため、数多くのテレビドラマにエキストラで出演されたそうで、
そのため、授業に出る暇もないほど忙しく、部室にいたところを先生に見つかって、学校中を追いかけ回されたこともあったそうです(笑)
舞台「黒蜥蜴(とかげ)」にエキストラで出演
その後、慶應義塾大学に進学された石坂さんは、「新演劇研究会」に所属されると、
1962年には、舞台衣装を借りるため、演劇プロデューサーの吉田史子さんに会いに行かれた際、
貸す代わりに、あなたたち、次の私の芝居で通行人役をやって
と、吉田さんに言われ、仲間とともに、「黒蜥蜴(とかげ)」に通行人役などのエキストラとして舞台に出演されているのですが、
「黒蜥蜴」には、慶応大学在学中に「新演劇研究会」を設立された芥川比呂志さんが出演されていたそうで、芥川さんは、石坂さんたちが「新演劇研究会」の部員であることを知ると、
おお、君らもそうなのか
と、とても喜んでくれたそうです。
石井ふく子に見出され「七人の刑事」で俳優デビュー
そして、この「黒蜥蜴」では、石坂さんたちは、出番以外は暇で、楽屋でプラモデルを作っていたところ、黒蜥蜴にさらわれる令嬢役で出演されていた大空眞弓さんが遊びに来て、
何してるの?私も作りたい
と、言われたそうで、
石坂さんは、大空さんにプラモデルの作り方を手ほどきすることとなり、公演中、何度も大空さんの楽屋にお邪魔していたそうですが、
そんなある時、いつものように大空さんの楽屋にいたところ、同じく、大空さんの楽屋に頻繁に訪れていたTBSのプロデューサーである石井ふく子さんが来られ、
石井さん:あなた、劇研だったら、ちゃんとテレビなんか出たくないの?
石坂さん:出たいですよ、それは!
石井さん:セリフのある役、やってみたくないの?
石坂さん:やってみたいですよ、それは!
などと、軽い会話をされたそうで、
石坂さんは、特に期待はしていなかったのですが、それから2週間後、
局まで来て
と、石井さんから電話があり、石井さんを訪ねてTBSまで行くと、
そこには、当時の人気ドラマ「七人の刑事」のディレクターがいて、
容疑者の青年役だけど、やるかい?
と、聞かれたそうで、
すぐさま、石坂さんは、
やります!
と答えられ、1962年、20歳の時、「七人の刑事」で、母親が真犯人であることを知らない息子、という大役で(まとな役での)俳優デビュー。
すると、石坂さんの演技はたちまち高い評価を受けたのでした。
ちなみに、母親役の千石規子(せんごく のりこ)さんは、
初出演の相手が私だった人は、みんな大物になるのよ
と、声をかけてくれたそうで、以来、石坂さんは、千石さんのことを、
お母さん
と、呼ぶほど、親しくなったのだそうです♪
「石坂浩二は昔は浅利慶太スカウトで劇団四季?NHK大河ドラマ主演も!」に続く
「七人の刑事」