ずっと、エキストラ出演ばかりの石坂浩二(いしざか こうじ)さんでしたが、ひょんなことで、石井ふく子さんに見初められ、「七人の刑事」で、セリフのある役での俳優デビューをされると、そのドラマでいきなり高評価。そして、同年、いきなり、テレビドラマ「潮騒」の主演に抜擢されます。
「石坂浩二の生い立ちは?エキストラから大空眞弓⇒石井ふく子でデビュー!」からの続き
「潮騒」で主演に抜擢
こうして、石井ふく子さんに見出され、いきなり、デビュー作で高評価を受けた石坂さんは、さらに、同年(1962年)中には、テレビドラマ「潮騒」(三島由紀夫原作)で、いきなり主演に抜擢。
そして、相手役には、当時、小悪魔的なルックスで大変な人気を博していた加賀まりこさんが起用されたのですが、劇中、お二人はヌードシーンを披露し、大きな話題を呼んだのでした。
当時の石坂浩二さんと加賀まりこさん。
ちなみに、これまで石坂さんは、本名の「武藤兵吉」で出演されていたのですが、イメージに合わないということで、このドラマから「石坂浩二」と名乗るようになられています。
NHK大河ドラマ「太閤記」に出演するも学業との両立が困難に
また、端役ですが、翌1963年には「花の生涯」、1964年には「赤穂浪士」で大河ドラマに出演されると、1965年「太閤記」では、ついに石田三成役に抜擢。
「太閤記」より。石田三成に扮する石坂さん。
ただ、当時、まだ学生だった石坂さんは、NHKに、
学業をおろそかにせず、必ず卒業します
との誓約書を書かされての出演だったそうで(NHKは学生を連続ドラマに出演させることに厳しかったそうです)、
実際、石坂さんは、この年、大河ドラマ以外にも、多数のテレビドラマに出演されたことで、学業との両立は困難となり、結局、二度(2年)も留年。
石坂さんは、この時から50年後の2015年のインタビューでも、
つい最近まで、あと一つ(単位が)取れないから卒業できないっていう夢を見てましたから
と、うなされるほど、仕事と学業の両立に苦しまれたのだそうです(笑)
(二度の留年の末、無事に慶應義塾大学を卒業されています♪)
浅利慶太にスカウトされ「劇団四季」入団
そして、慶應義塾大学卒業後の1967年には、舞台「泥棒たちの舞踏会」に出演されているのですが、それを観た「劇団四季」の創設者で演出家の浅利慶太さんにスカウトされ、「劇団四季」へ入団。
「泥棒たちの舞踏会」より。石坂さんと加賀まりこさん。
劇団では、演出部に所属し、演出助手や舞台監督の仕事などスタッフとして働きながら、俳優としても舞台に出演する生活を送られるのですが、
ついに、過労がたたって、テレビドラマ「平四郎危機一発」に出演中に倒れられ、「胃潰瘍」と診断されて、「劇団四季」を退団。
以降、俳優業に専念することとなったのでした。
ちなみに、「劇団四季」在籍中に石坂さんが手がけられた、子ども向けミュージカル「王子とこじき」は、超ロングランを続けており、現在もなお、劇団「四季」のホームページで紹介されています。
NHK大河ドラマ「天と地と」で主演の上杉謙信役
そんな石坂さんは、1969年には、ついに、NHK大河ドラマ「天と地と」で主演の上杉謙信役に起用されます。
「天と地と」出演時の石坂さん。めちゃ美男子です!
ただ、前年の大河ドラマの視聴率が振るわなかったことから、NHK側から、
これが最後になるかもしれない
もし視聴率が悪かったら、これで大河が打ち切りだ
などと、さんざん脅かされ、
(記者会見でも、記者たちからこのことばかり言われ、腹がたったそうです)
さらに、父親役の滝沢修さんまでもが、稽古で一緒になった際、(ちょうど、滝沢さんが亡くなるシーンと石坂さんが登場するシーンが重なっていたため)
俺はそろそろ死ぬからな、お前、しっかりやれよ
と、これまたプレッシャーになることを言われ、
なんとかやらなければ
との意気込みだけで撮影に臨まれたそうですが、
その気迫が通じたのか、「天と地と」は高視聴率を記録し、出演後は、時代劇の依頼が殺到したのでした。
(もちろん、大河ドラマは打ち切りになることなく存続したのでした♪)
「石坂浩二の若い頃は?金田一耕助で市川崑監督と!フケやボサボサ頭は本物?」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=eQLmYJRqiGM